118話「お前は幸せか」
約束した土曜日。
樹里、陽菜、美園の3人は、昼前にRoseへ集まった。
待ち合わせ場所に指定したのは、川沿いにある小さな公園だった。
かつての溜まり場ではない。
周囲には住宅があり、休日になれば散歩をする人や子ども連れが訪れる。
一ノ宮が何かをするつもりなら、選ばないであろう場所だった。
『本当に、何も持っていかなくていいの?』
陽菜が尋ねる。
『何を持っていくつもりだったの』
美園が呆れたように返す。
『何かあったときに使えるもの』
『使うつもりで持っていくなら駄目』
『向こうが持ってきたら?』
『その時点で帰る』
『帰らせてくれると思う?』
『帰らせるよ。必要なら警察を呼ぶ』
美園は鞄からスマートフォンを取り出し、充電と位置情報を確認する。
陽菜が不満そうに唇を尖らせた。
『昔なら、そんなこと言わなかったのに』
『昔のやり方をしないために、昼間の公園を選んだの』
美園は樹里を見る。
『総長も、それでいいよね』
『ああ』
樹里の返事は短かった。
普段着のまま、入口近くに立っている。
表情は落ち着いていた。
だが、右手の指先が何度か動いている。
陽菜がそれに気づいた。
『総長』
『何だ』
『緊張してる?』
『少し』
樹里は否定しなかった。
『一ノ宮が怖いわけではない』
『分かってる』
陽菜は樹里の隣へ立つ。
『あいつに何を言われても、総長が今ここにいることは変わらないよ』
『ああ』
『あたしと美園さんがいることも』
『分かっている』
美園も2人のそばへ来る。
『今日は、誰かが勝手に前へ出ないこと』
美園は樹里と陽菜を交互に見た。
『一ノ宮が何を言っても、まず最後まで聞く。陽菜はすぐに怒らない』
『分かってるよ』
『総長は、何でも1人で答えようとしない』
『分かった』
『返事が早い2人ほど信用できないんだけど』
『美園さんは心配しすぎ』
『誰のせいだと思ってるの』
美園が深く息を吐く。
樹里は2人のやり取りを見ながら、僅かに表情を緩めた。
6年前。
Rose girlsを結成したばかりの頃も、3人はよく同じような会話をしていた。
陽菜が先に走ろうとし、美園が止める。
樹里は何も言わず、その2人よりさらに前へ出る。
そして最後には、3人とも傷だらけになった。
あの頃とは、何もかもが違う。
着ている服も。
向かう場所も。
相手へ勝つことより、無事に帰ることを優先する考え方も。
それでも、3人で並んでいることだけは変わっていなかった。
『行こう』
樹里が言う。
陽菜と美園が頷いた。
公園へ着くと、一ノ宮はすでに来ていた。
川沿いの柵へ背中を預け、煙草を吸っている。
約束どおり、ほかに人はいない。
武器らしきものも持っていなかった。
3人の姿を見つけ、一ノ宮が煙草を足元へ落とす。
靴底で火を消した。
「本当に3人で来たか」
『こちらの条件は伝えたはずです』
樹里が答える。
「その喋り方、まだ続けるのか」
『今の私には、これが普通です』
「つまらないな」
『あなたを楽しませるために来たわけではありません』
一ノ宮は樹里の左右に立つ陽菜と美園を見る。
「櫻井陽菜に、中村美園」
『久しぶり』
美園が答える。
陽菜は何も言わない。
一ノ宮へ向ける目には、最初から警戒が浮かんでいた。
「3人とも随分変わったな」
『4年も経てば変わるよ』
『用件は何?』
陽菜が尋ねる。
『総長に会いたいっていうから来た。昔話がしたいだけなら、あたしは帰りたい』
「相変わらず落ち着きがないな、副総長」
『その呼び方、やめて』
「お前まで昔をなかったことにするのか」
『してない』
陽菜は一ノ宮を睨む。
『今のあたしに、副総長なんて肩書きは必要ないって言ってるだけ』
「そうか」
一ノ宮は面白そうに笑った。
「今のお前は、会社で男と仲良くやってるらしいな」
陽菜の表情が変わる。
『中井くんのことまで調べたの?』
「調べたつもりはない。少し見れば分かる」
『中井くんには近づかないで』
「安心しろ。お前の男に興味はない」
一ノ宮の視線が、再び樹里へ向く。
「俺が興味あるのは、こいつだけだ」
『だから、その理由を聞いてるの』
美園が静かに言う。
『今の日高さんを見て、何がしたいの?』
「確かめたい」
『何を?』
「本当に終わったのか」
一ノ宮は樹里から目を逸らさない。
「俺が知ってる日高樹里が、本当にいなくなったのか」
『私は、あなたの知っている私ではありません』
「その答えを信じられないから来た」
『信じていただく必要もありません』
「あるんだよ」
一ノ宮の声から、笑いが消える。
「俺は、お前が誰かの中に埋もれて生きてることが気に入らない」
『あなたには関係ありません』
「関係ならあった」
『ありません』
「お前が勝手に決めるな」
一ノ宮が、一歩前へ出る。
陽菜も反射的に動こうとする。
その腕を、美園が掴んだ。
『陽菜』
『でも』
『まだ何もされてない』
陽菜は歯を食いしばり、その場に留まった。
一ノ宮は、そのやり取りを見て笑う。
「今も中村が手綱を握ってるのか」
『昔から、必要なときは止めてたよ』
「止まらなかっただろ」
『今は止まる』
美園は陽菜の腕から手を離す。
陽菜は一ノ宮を睨んだまま、それ以上動かなかった。
「確かに、変わったらしいな」
一ノ宮はそう言ったものの、嬉しそうには見えなかった。
「6年前、初めてお前たちを見た日のことを覚えてるか」
樹里は答えない。
だが、記憶は残っていた。
Rose girlsを結成して、まだ間もない頃。
ほかのチームとの衝突が続き、名前だけが先に広がっていた。
女だけのチーム。
すぐに潰れる。
誰かの後ろ盾がある。
好き勝手な噂を流され、そのたびに陽菜が怒った。
一ノ宮と初めて会った夜も、Rose girlsは別のチームとの争いを終えた直後だった。
陽菜は口元を切り、美園の腕にも傷があった。
樹里の拳からも、血が落ちていた。
その場へ、JACKの人間を連れた一ノ宮が現れた。
「これがRose girlsか」
最初に口を開いた一ノ宮へ、陽菜が睨み返した。
『次はあんたたち?』
「その身体で、まだやるのか」
『必要ならね』
陽菜が前へ出ようとする。
美園が肩を掴んだ。
『待って、陽菜』
『でも』
『まだ敵と決まってない』
一ノ宮は2人のやり取りを見たあと、そのさらに前へ立つ樹里へ視線を向けた。
「お前が総長か」
『そうだ』
「仲間はもう動けないみたいだぞ」
『だから私がここにいる』
「1人で俺たちを相手にするつもりか」
『手を出すなら』
樹里は血の付いた拳を握った。
『私が相手になる』
恐怖がなかったわけではない。
身体には痛みがあった。
これ以上戦えば、自分も立っていられるか分からなかった。
それでも樹里は、陽菜と美園の前から動かなかった。
一ノ宮は、その姿を見て笑った。
「いいな、お前」
『何が』
「誰にも頼らず、最後には1人で立つ」
『1人じゃない』
「今、前にいるのはお前だけだ」
一ノ宮は樹里へ近づいた。
「JACKへ来い。俺の隣なら、今より上へ行ける」
『断る』
「話くらい聞けよ」
『必要ない』
「お前なら、女だけの小さなチームに収まる器じゃない」
『誰かの下につくつもりもない』
一ノ宮の目が、楽しそうに細くなった。
「そういうところが気に入った」
『私は気に入られていない』
樹里は一ノ宮に背を向けた。
陽菜と美園のところへ戻る。
一ノ宮も、JACKの人間を動かさなかった。
ただ、立ち去っていく樹里の背中をいつまでも見ていた。
あの夜から、一ノ宮は何度もRose girlsの前へ現れた。
敵として。
ときには、頼んでもいない共闘を持ちかける者として。
そして何度断られても、樹里へだけは執着を向け続けた。
現在。
一ノ宮は、あの頃と同じ目で樹里を見ている。
「俺は、お前に惚れてた」
陽菜の眉が大きく動く。
『今さら何を言ってるの』
「櫻井には関係ない」
『あるよ』
陽菜が美園の手を振りほどき、樹里の前へ出ようとする。
『あんたが好きだったのは総長じゃない』
「お前に何が分かる」
『分かる』
陽菜の声が強くなる。
『あんたは、総長が傷つくところも、苦しんでるところも見てなかった。強く立ってるところだけ見て、全部知ったような顔してた』
「それが樹里だろ」
『違う』
『陽菜』
樹里が呼ぶ。
陽菜の動きが止まる。
『私が話す』
『でも、総長』
『大丈夫だ』
樹里は陽菜の隣へ並ぶ。
前へ出て、庇うのではない。
同じ場所に立つ。
美園も、反対側へ並んだ。
一ノ宮は3人を見ながら、僅かに顔を歪める。
「そうやって群れるようになったのか」
『昔から3人だったよ』
美園が答える。
「違う。最後に決めていたのは、いつも樹里だ」
一ノ宮の言葉に、誰もすぐには反論できなかった。
「櫻井が暴れようが、中村が止めようが、最後には樹里が全部を背負った」
『それは』
陽菜が言葉に詰まる。
「俺が惚れたのは、誰にも弱いところを見せず、最後には1人で立つ女だ」
一ノ宮は樹里だけを見ていた。
「誰かに助けを求めるお前じゃない。会社で頭を下げるお前でもない。何も知らない連中に囲まれて、普通の女みたいに笑うお前でもない」
『普通の女で、何が悪いの』
陽菜が睨む。
「悪いとは言ってない」
『じゃあ、放っておいて』
「ただ、それでこいつが満足してるとは思えない」
一ノ宮が樹里へ問いかける。
「仕事をして、昔を知らない人間と過ごして、誰かに守られて生きる。それがお前の望んだものか」
『……』
「本当に、自分で選んだのか」
樹里は答えなかった。
選んだ生活だ。
そう言い切ることはできる。
だが、一ノ宮の言葉には、樹里自身が触れないようにしてきた場所が含まれていた。
4年前。
樹里は、自分の意思で陽菜と美園の前から消えた。
そして何も知らない場所へ逃げ込んだ。
一ノ宮の言葉は間違っている。
それでも、すべてが間違いではないからこそ、胸に刺さった。
「お前は、こいつらを捨てた」
一ノ宮が陽菜と美園を見る。
「今度は、新しく作った場所へ逃げただけじゃないのか」
『ふざけないで』
陽菜の声が低くなる。
美園が再び、その腕を掴んだ。
『陽菜、駄目』
『でも、こいつは』
『総長が答える』
美園自身の声にも怒りが滲んでいた。
それでも陽菜を離さない。
一ノ宮の狙いは分かっている。
ここで陽菜が手を出せば、一ノ宮は喜ぶだけだ。
昔のRose girlsは何も変わっていないと。
結局、暴力でしか答えられないのだと。
一ノ宮は、樹里へ一歩近づいた。
「答えろよ、樹里」
『何を』
「お前は今、幸せか」
風が吹いた。
川面が揺れ、遠くから子どもたちの笑い声が聞こえる。
樹里は答えない。
一ノ宮は、さらに問いを重ねた。
「今のお前は、昔のお前を捨ててまで手に入れる価値のある場所にいるのか」
陽菜も、美園も何も言わなかった。
その答えだけは、2人が代わりに口にしてはいけない。
樹里自身が、自分の言葉で選ばなければならなかった。




