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115話「知らなかった3人」

凛の問いが、閉店後のRoseに残った。


「Rose girlsの総長だったというのは、どういう意味ですか」


 樹里は答えず、美園と陽菜を見る。


 美園はカウンターの中に立ち、陽菜は入口近くにいる。


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 凛は3人の顔を順番に見た。


 美園の背中に刻まれていた薔薇。


 Rose girlsという文字。


 昔、一緒に走っていた仲間の名前だと聞いた。


 それ以上は尋ねなかった。


 美園にとって大切な過去なのだと分かれば、それで充分だと思っていた。


 だが、その名前が樹里と陽菜にも繋がっていた。


 先ほどの一ノ宮は、樹里を総長と呼んだ。


「日高先輩」


 凛がもう一度呼ぶ。


「教えてください」


 樹里は、ゆっくりと凛へ向き直った。


『事実です』


 逃げずに、凛の目を見る。


『私は、Rose girlsという暴走族の総長でした』


 凛の表情が止まる。


 覚悟していた答えだった。


 それでも、樹里自身の口から聞くと重さが違った。


「暴走族……」


『はい』


 樹里は、それ以上の言い訳を加えなかった。


 陽菜が、凛の方へ一歩近づく。


『あたしは、副総長だった』


「陽菜さんが?」


『うん』


 凛の目には、今の陽菜が映っている。


 会社で誰よりも明るく、周囲を笑わせる女性。


 後輩の柚希が傷つけば、誰よりも近くで支える。


 中井を平気で揶揄いながら、心から大切にしている。


 その陽菜が、暴走族の副総長だった。


「美園さんは」


『私も、2人と一緒に走ってた』


 美園は短く答えた。


『背中の薔薇を見せたとき、昔の仲間だって話したでしょ』


「はい」


『あのとき言った仲間が、この2人』


「どうして、そのとき教えてくれなかったんですか」


『私だけの話じゃなかったから』


 美園は、以前と同じ言葉を使った。


『それに、知られたい過去でもなかった』


「私には、話せないと思ったんですか」


『凛ちゃんだから話さなかったわけじゃないよ』


 美園は首を振る。


『誰にも話すつもりがなかった』


「では、会社の皆さんも?」


『知りません』


 樹里が答える。


『Rose girlsのことを知る者は、会社にはほとんどいません』


 凛は視線を落とした。


 陽菜の恋人である中井が、すでに過去を聞いていることまでは、この場で話す必要はない。


 それは陽菜と中井の間で交わされた話だ。


 凛が今知るべきなのは、目の前にいる3人が隠してきた過去だった。


「Rose girlsというのは、どんなチームだったんですか」


 誰も、すぐには答えなかった。


 陽菜は何かを言おうとして、口を閉じる。


 美園も煙草へ手を伸ばしかけ、止めた。


 最後に樹里が口を開く。


『綺麗なものではありません』


「……はい」


『バイクで走り、ほかのチームと争いました。法律に反することもした。人を傷つけたこともあります』


 淡々とした声だった。


 過去を誇らない。


 美しく言い換えようともしない。


『私自身の手で傷つけた人間もいます』


「日高先輩が」


『はい』


 凛は樹里の手を見る。


 会社では資料を持ち、パソコンのキーを叩く手。


 仕事の分からない後輩がいれば、言葉少なに助ける手。


 その同じ手で、樹里は誰かを傷つけた。


 想像しようとしても、今の姿とは簡単に結びつかなかった。


『総長だけじゃないよ』


 陽菜が言う。


 凛の前で樹里を総長と呼んだことに、自分でも気づいていた。


 それでも、今は言い直さなかった。


『あたしも人を傷つけた。美園さんだってそう』


『陽菜』


『総長だけが背負う話じゃないでしょ』


 陽菜は樹里を見る。


『昔も、全部自分の責任みたいにしてた。でも違う。あたしたちは、自分で総長の隣にいた』


 樹里の目が、わずかに揺れる。


 美園が静かに続ける。


『誰か1人だけの過去じゃないよ』


『……分かっている』


『本当に?』


 美園に問われ、樹里は答えなかった。


 今でも、すべてを自分の責任にしようとするところは変わっていない。


 それを陽菜と美園は知っている。


 凛は3人のやり取りを見ていた。


 普段とは違う。


 陽菜は樹里を総長と呼んだ。


 美園も、会社で見る樹里へ向けるものとは違う目をしている。


 それでも、恐れて従っているようには見えなかった。


 3人は、誰かに強制されて一緒にいたのではない。


 互いに選び、同じ場所を走っていた。


「Rose girlsは、いつ終わったんですか」


『4年前です』


 美園が答える。


『その2年前に、私たちはRose girlsを作った』


「6年前に結成して、4年前に終わったんですね」


『うん』


「なぜ、終わったんですか」


 沈黙が落ちる。


 樹里は凛を見ていた。


 だが、その目は先ほどまでとは違っていた。


『私が、いなくなったからです』


 凛は息を止める。


「いなくなった?」


『何も言わず、2人の前から消えました』


『日高さん』


 美園が会社で使う呼び方で制する。


 だが、樹里は目を逸らさなかった。


『それによって、Rose girlsは終わりました』


「どうして消えたんですか」


『それは』


 樹里の言葉が止まる。


 今まで凛が見たことのない迷いが、その目に浮かんでいた。


 陽菜も美園も、口を挟まない。


 樹里が自分で決めるのを待っている。


『今は、話せません』


 やがて樹里が答えた。


『申し訳ありません』


「謝らないでください」


 凛はすぐに言った。


「話せないことまで聞こうとしたのは、私です」


『ですが、途中まで話しておきながら』


「それでも、話すかどうかを決めるのは日高先輩です」


 凛は樹里から視線を外し、陽菜と美園を見る。


「先ほどの一ノ宮という人は、Rose girlsと何か関係があるんですか」


『一ノ宮は、当時JACKを率いていた男です』


 樹里が答える。


「敵対していたんですか」


『何度か衝突しました』


 今度は美園が口を開く。


『ただ、単純に敵だったとも言い切れない』


「どういう意味ですか」


『一ノ宮は、日高さんに執着してた』


 美園は言葉を選びながら説明する。


『強くて、誰にも頼らなくて、1人で全部を決める日高さんを気に入ってた』


『気に入られていたつもりはない』


『総長がどう思っていたかは関係ないよ。向こうが勝手に見てたんだから』


 陽菜の声には、隠しきれない苛立ちがあった。


『あいつ、昔から総長のことになると気持ち悪かった』


『陽菜』


『だって本当でしょ、美園さん』


『否定はしないけど』


 美園は小さく息を吐く。


『一ノ宮が好きなのは、昔の総長だよ。今の日高さんじゃない』


「それで、日高先輩に会ってどうするつもりなんですか」


『分かりません』


 樹里は正直に答えた。


『ただ話をしたいだけかもしれない。昔へ戻せると思っているのかもしれない』


『どちらにしても、会う必要ないよ』


 陽菜が言う。


『一ノ宮が何を言っても、無視すればいい』


『そうはいかない可能性もある』


 美園はカウンターへ視線を落とす。


『今日、ここまで来た。一度断ったくらいで諦めるとは思えない』


『また来ると言っていました』


 樹里の言葉に、美園が頷く。


 陽菜はすぐに樹里を見る。


『絶対に1人で会いに行かないで』


 強い声だった。


『総長、約束したよね』


 沙月のいる組事務所へ、陽菜が1人で向かった。


 怪我だらけで戻った陽菜を見て、樹里は手を上げた。


 あの夜、樹里は2度と勝手に消えないと約束した。


 美園は3人で帰ろうと言った。


 その約束を、陽菜は忘れていない。


『分かっている』


『本当に?』


『1人では行かない』


 樹里は、はっきりと答えた。


『一ノ宮から接触があった場合も、必ず2人に伝える』


 陽菜の表情から、わずかに力が抜ける。


『うん』


『私たちも、勝手には動かない』


 美園が言う。


『一ノ宮のことは、3人で考えよう』


 樹里は頷いた。


『分かった』


 3人の間で、迷いなく約束が交わされる。


 凛はその姿を見つめていた。


 過去に何があったのか、すべてを知ったわけではない。


 それでも、樹里が1人でいなくなったこと。


 残された陽菜と美園が4年間、その不在を抱えていたこと。


 今の3人が、同じことを繰り返さないようにしていることは分かった。


『遠藤さん』


 樹里が凛を見る。


『巻き込んでしまって、すみません』


「私は、巻き込まれたんですか」


『一ノ宮が来なければ、知らずに済んだことです』


「そうかもしれません」


 凛の返事に、陽菜の表情が僅かに曇る。


『凛ちゃん』


「陽菜さん。すみません」


 凛は膝の上で両手を握った。


「今、何と答えればいいのか分かりません」


 その声は落ち着いている。


 だが、握った指先には力が入っていた。


「皆さんが元暴走族だったと聞いただけなら、驚くだけで済んだかもしれません」


 凛は樹里を見る。


「でも、人を傷つけたと聞きました」


『はい』


「怖くないと言えば、嘘になります」


 陽菜が目を伏せる。


 美園も、何も言わない。


 凛は無理に笑わなかった。


「今まで私が見てきた皆さんと、今日聞いた皆さんが、まだ自分の中で同じ人になりません」


『それで構いません』


 樹里は静かに答えた。


『今までどおり接してほしいとは言いません』


「日高先輩」


『遠藤さんが、ご自分で決めてください』


 拒絶される可能性も受け入れる。


 樹里の顔には、そう書かれていた。


 美園が煙草へ手を伸ばす。


 だが、箱に触れただけで取り出さなかった。


『凛ちゃん』


「はい」


『会社で黙っていてほしい。それだけは、お願いしてもいい?』


「話しません」


 凛はすぐに答えた。


「私は、誰かへ言いふらすために聞いたわけではありません」


『ありがとう』


「でも」


 凛は席を立った。


「少しだけ、考える時間をください」


『うん』


 美園は引き止めなかった。


『今日は遅くまで、ごめんね』


「いえ」


 凛は鞄を持ち、入口へ向かう。


 扉へ手をかけたところで振り返った。


 樹里、陽菜、美園。


 今まで知らなかった3人が、そこにいる。


「日高先輩」


 凛は、いつもと同じ呼び方をした。


『はい』


「明日は、会社へ来ますか」


『行きます』


「分かりました」


 それだけを確認し、凛はRoseを出ていった。


 扉が閉じる。


 美園は、しばらく何も言わなかった。


 陽菜は、凛が座っていた席を見つめている。


『凛ちゃん、怖いって言った』


『当然だよ』


 美園が答える。


『私たちだって、知らない人から同じ話を聞かされたら怖いと思う』


『もうRoseに来ないかな』


『分からない』


 美園は正直に言った。


 陽菜が樹里を見る。


『総長』


『何だ』


『追いかけなくていいの?』


『今は、やめておく』


『でも』


『遠藤さんには、考える時間が必要だ』


 樹里は凛が出ていった扉を見つめる。


 自分たちは何年も、過去を話さずにいた。


 それを聞いた凛にだけ、今すぐ答えを求めることはできない。


『待つ』


 樹里は短く言った。


 それは、かつて自分を待たせた人間の言葉だった。


 美園は、ゆっくりと頷く。


『そうだね』


 陽菜も、唇を噛みながら頷いた。


 今度は、自分たちが待つ番だった。

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