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12/20

『ビーナスライン』

夏の終わり。


休日の朝、高瀬明雄は白いセローのエンジンをかけた。


まだ街の空気には、朝の静けさが残っている。


今日は一泊二日のツーリングだった。


行き先は、ビーナスライン。


神谷愛子と二人で、高原を走る予定になっていた。


待ち合わせの場所へ向かう。


しばらくすると、遠くから赤いSRV250がやってきた。


愛子がバイクを停め、ヘルメットを脱ぐ。


「おはようございます」


「おはようございます」


「一泊のツーリングは初めてですね」


「そうですね」


「いつものツーリングと、ちょっと違う感じがします」


「そうかもしれませんね」


二人は準備を整えると、出発した。


***


街を抜ける。


建物が少なくなり、田畑が増えていく。


やがて道は山へ向かって伸び始めた。


朝の風が、少しずつ変わっていく。


平地ではまだ夏の暑さが残っていたが、標高が上がるにつれて、風は涼しくなっていった。


二台のバイクは、一定の距離を保ちながら走っていく。


今日の目的地は、まだ遠い。


二人は山へ向かう道を、淡々と走り続けた。


***


途中の道の駅で休憩した。


二人は飲み物を買い、駐車場の端で休んだ。


愛子が遠くの山を眺めながら言った。


「今、半分くらいまで来ましたかね」


「たぶん、そのくらいですね」


ここまで来ても、まだ目的地は遠い。


二人は飲み物を飲み終えると、またバイクに乗った。


***


午後。


山道はさらに高くなっていった。


木々の間から見える景色が、少しずつ広がっていく。


カーブを曲がるたび、遠くの山が見える。


二台のバイクは、ゆっくりと山を登っていった。


途中で何度か休憩をした。


特別な観光をするわけではない。


ただ走って、止まって、景色を見る。


それだけだった。


走る時間が長くなるほど、街の音は遠ざかっていった。


代わりに聞こえてくるのは、エンジンの音と風の音だけだった。


やがて、今日の宿泊先が近づいてきた。


高原の中にあるホテルだった。


***


ホテルの駐車場にバイクを停める。


ヘルメットを脱ぐと、山の風が吹いていた。


明雄は両腕を上げて、背伸びをした。


腰を伸ばす。


一日走った身体に、少し疲れが残っていた。


愛子も背伸びをして、腰を伸ばした。


「ふぅ……今日はよく走りましたね」


「ええ」


街よりもずっと涼しい。


愛子が空を見上げる。


夕暮れの空に、薄い雲が流れていた。


二人は荷物を持ってホテルへ入った。


***


部屋に荷物を置き、少し休んでから食事に向かった。


ホテルの食事処で、二人は向かい合って座っていた。


テーブルには、山の料理が並んでいる。


「いただきます」


二人は箸を取った。


一日走ったあとの食事は、いつもより美味しく感じた。


明雄はビールを一口飲んだ。


「美味しいですね」


「本当ですね」


愛子の前にもビールが置かれている。


二人は時々言葉を交わしながら、ゆっくりと食事を続けた。


愛子はビールを一口飲んだ。


「なんだか、いいですね」


「何がですか?」


「こうして遠くまで来て、バイクに乗って、ご飯を食べて……」


愛子は笑った。


「今、すごく楽しいです」


「そうですね」


明雄も笑った。


窓の外は、すっかり暗くなっていた。


昼間に走った高原も、今は静かな夜の中にある。


***


食事のあと、二人はホテルの外に出た。


高原の夜は静かだった。


昼間に走った道も、今は暗闇の中に沈んでいる。


遠くに小さな明かりが見える。


風が、昼間より冷たくなっていた。


愛子はしばらく何も言わず、その景色を見ていた。


「静かですね」


「そうですね」


二人は並んで立っていた。


星がいくつか見えている。


しばらく星を見上げてから、二人はホテルへ戻った。


それぞれの部屋へ向かう。


「おやすみなさい」


「おやすみ」


***


明雄は部屋の窓から、夜の高原を少しだけ眺めた。


今日走った道。


高原の風。


夕暮れの空。


そして愛子の笑顔。


明日は、どんな一日になるだろう。


そんなことを思いながら、静かにカーテンを閉じた。


愛子も部屋に戻り、窓の外を眺めた。


今日走った道。


高原の風。


夕暮れの空。


そして、食事をしながら笑った時間。


どれも、まだ身体の中に残っている。


愛子は小さく笑った。


明日もきっと楽しい。


そう思いながら、ベッドに横になった。


一泊二日のツーリング。


その一日目が終わろうとしていた。


***


翌朝。


ホテルの外へ出ると、空は青かった。


朝の高原には、ひんやりとした風が流れている。


駐車場には、二台のバイクが並んでいた。


白いセロー。


赤いSRV250。


二人は荷物を積み、エンジンをかけた。


昨日とは違う朝の道を、二台のバイクが走り始める。


***


ビーナスライン。


高原の中を、一本の道が伸びている。


左右には緑の草原が広がっていた。


遠くには山々が連なっている。


愛子の赤いSRV250が、先を走っている。


緑の高原の中を、赤い車体が軽やかに走っていく。


明雄は、その後ろ姿をしばらく眺めていた。


緑の高原の中を走る、赤いSRV250。


緑と赤のコントラストが、綺麗だと思った。


その景色が、なぜか心に残った。


高原の風が、二人の間を抜けていく。


明雄は、再び前を向いた。


カーブを曲がる。


また次のカーブへ。


道の先には、青い空が広がっている。


愛子は走りながら、何度も左右の景色を見た。


「気持ちいいですね」


少し離れたところから、愛子の声が届く。


明雄は前を向いたまま、走り続けた。


二台のバイクは、高原の道を進んでいった。


しばらく走ったところで、二人は富士見台展望台に立ち寄った。


バイクを停め、展望台へ向かう。


そこからは、遠くまで山々が見渡せた。


そして、その向こう。


富士山が見えた。


愛子が足を止めた。


「……富士山」


明雄も立ち止まる。


雲の上に、山頂が見えている。


遠い。


けれど、はっきりと分かる。


二人はしばらく黙って眺めていた。


「ここから見えるんですね」


「そうですね」


愛子は富士山から目を離さなかった。


「大きいですね」


明雄は頷いた。


「ええ」


しばらくして、明雄が言った。


「こんな遠くまで来たんですね」


「そうですね」


愛子は笑った。


二人はそれ以上、何も言わなかった。


ただ、遠くにある富士山を見ていた。


展望台を後にする。


再び二台のバイクにまたがった。


エンジンがかかる。


高原の風が、ヘルメットの隙間から入り込んできた。


ビーナスラインを走る。


さっき見た富士山は、もう見えない。


それでも、二人の中には残っていた。


道は少しずつ下っていく。


高原の景色が後ろへ流れていく。


やがて山を下り、帰りの道へ入った。


***


午後。


街へ近づくにつれて、気温が上がっていった。


高原の涼しい風が、少しずつ遠ざかっていく。


途中の休憩場所で、二人は最後の休憩をした。


愛子が飲み物を飲みながら言った。


「楽しかったですね」


「ええ」


「また行きましょう」


明雄は頷いた。


「そうですね」


二人はバイクに戻った。


しばらく走ると、帰り道の分岐がやってきた。


ここからは、それぞれの道になる。


愛子が手を上げる。


明雄も手を上げた。


赤いSRV250が先に走り出す。


少し遅れて、白いセローも走り出した。


二台の距離が、少しずつ離れていく。


***


愛子は前を向いて走った。


しばらくして、ふと一年前のことを思い出した。


海辺の足湯。


あの日、高瀬さんが誘ってくれた。


あのときの自分は、悩み、迷っていた。


どうしていいのか分からず、一歩を踏み出すことができずにいた。


けれど、あの日、背中を押してもらった。


そして、一歩を踏み出すことができた。


そこから始まったツーリング。


見たことのなかった景色。


感じたことのなかった風。


そして今日。


自分は、こんな遠くまでバイクで来ている。


あのとき誘ってくれて、よかった。


愛子は、少しだけ笑った。


***


少し離れたところを、白いセローが走っていた。


明雄もまた、走りながら思っていた。


自分ひとりだったら、こんな遠くまで来ることはなかった。


神谷さんが誘ってくれたから、ここまで来ようと思った。


海辺の足湯から始まった時間。


星を見た夜。


海を眺めた日。


そして今日の高原。


明雄は、そんなことを思いながら前を向いた。


***


赤いSRV250と白いセローは、それぞれの道を走っていく。


一年前の海辺から始まった道は、いつの間にかこんな遠くまで続いていた。


そしてこれからも、二人はそれぞれの道を走っていく。


明雄は静かにアクセルを開けた。

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