『星見』
休日の夜。
山道を、二台のバイクがゆっくりと登っていった。
先を走るのは、白いセロー。
少し離れて、赤いSRV250が続いている。
昼間なら木々の間から見える景色も、今はほとんど闇の中だった。
ヘッドライトが照らす道だけが、二人の前に続いている。
やがて明雄がバイクを停めた。
愛子も少し遅れて、その隣にSRV250を停める。
エンジンを切ると、辺りは急に静かになった。
聞こえるのは、風が木々を揺らす音だけ。
二人はヘルメットを脱ぎ、しばらく何も言わずに空を見上げた。
街では見えなかった星が、山の上ではいくつも見えていた。
空いっぱいに、細かな光が広がっている。
「……すごいですね」
愛子が小さく呟いた。
「ええ」
明雄も空を見上げたまま答えた。
明雄は鞄から双眼鏡を取り出した。
黒い小さな双眼鏡。
愛子に手渡す。
「これで見てみますか」
「いいんですか?」
「どうぞ」
愛子は双眼鏡を受け取った。
目に当て、空を覗く。
しばらく何も言わなかった。
「……あ」
小さな声が漏れる。
肉眼では、ただの小さな光にしか見えなかった星が、視界の中にいくつも浮かんでいた。
一つの光だと思っていた場所に、別の光がある。
その奥にも、さらに星がある。
愛子は双眼鏡を離さなかった。
「……すごい」
その言葉だけを繰り返した。
やがて愛子が双眼鏡を下ろす。
もう一度、肉眼で空を見上げた。
さっきまでと同じ星空なのに、少しだけ違って見えた。
あまりにも広い。
星と星の間には、想像もできないほどの距離がある。
今見えている光の中には、自分が生まれるずっと前から旅をして、ようやくここへ届いたものもあるのだろう。
そう考えると、時間まで果てしなく広がっていくようだった。
愛子は黙った。
自分が、その広さの中にぽつんと立っているような気がした。
目の前にある星空は美しい。
けれど、その美しさの中に、自分の小ささも見えてしまう。
少しだけ、寂しかった。
それでも、隣には明雄がいる。
何も言わず、同じ空を見上げている。
それだけで、不思議と心細さは和らいでいった。
広すぎる宇宙の中では、自分は小さな存在なのかもしれない。
けれど、今ここに一人でいるわけではない。
愛子はもう一度、空を見上げた。
二人は長いこと黙って、ただ星を見ていた。
***
やがて、空の端がほんの少し明るくなり始めた。
夜が明けようとしていた。
***
二人はヘルメットを被り、それぞれのバイクに跨がってエンジンをかけた。
静かな山に、二つのエンジン音が響いた。
先に白いセローが走り出す。
少し遅れて、赤いSRV250が続く。
山道を下るころには、空が少しずつ明るくなっていた。
しばらく走ったところで、道が分かれる。
明雄が手を上げる。
愛子も手を上げ返した。
白いセローが先に走り去っていく。
愛子はそのテールランプを見送り、自分もSRV250を走らせた。
一人になった道を、朝の光が少しずつ照らし始めていた。
さっきまで見ていた星空は、もう木々の向こうへ隠れている。
愛子は何となく、空を見上げた。
そして、ふと思った。
海が見たい。
足湯に浸かりながら眺めた海。
朝の光を受けた海。
どちらも、今でも覚えている。
愛子はアクセルを少しだけ開けた。
赤いSRV250が、朝の道を走っていく。
一方、明雄も一人で山道を下っていた。
ふと、新しい施設のことが頭に浮かんだ。
そこで働く、若い職員たちの顔。
明雄は前を向いたまま、走り続けた。
明けていく空の向こうで、遠い星が静かに消えていった。




