第4話 :モノクロに染まる日。
10年前、あの日。
小高い丘の上、サイエントの研究所。
ヴァレムが研究熱心なサイエントと会うのは、ほとんどヴァレムが訪ねてきた時だった。
「…サイエント、居るか…?」
「ん?あぁ、なんだ?」
「れ、例の西日之出国からの患者さんの娘さんが、お前の研究に興味津々なんだ。」
「あの子が?」
「この前病院に古い実験記録を置いていっただろ…?それを見つけて読んだらしい…。」
「子どもには難しすぎると思うが………それで、結局何の用なんだ?」
「あ、あぁ…なにか、あの子が楽しめるものはないかと思って…。」
「それだけのために来たのか?研究は遊びじゃないんだぞ。」
サイエントは口ではそういいながらも、子ども向けに作った模型や比較的簡単な内容の実験記録をまとめてヴァレムに渡した。
実はサイエントが子ども好きなことを、ヴァレムは知っている。
「それだけあれば父親の治療が終わるまで楽しめるだろう。」
「それは……いや、そう、だな。」
「ん?…あの患者の病気はすぐ治せそうだったんじゃないのか?」
「お、俺もそう思ってたんだが、どうやら行き詰っているらしい…俺は専門じゃないから、お前にも診て欲しくて…。」
「それを先に言ってくれ。というか、俺も本当は専門外なんだが……分かった、後で向かう。」
ヴァレムが去った後、サイエントは軽く片付けをしていると、研究室の入り口から1人の少女がこちらを覗いているのが見えた。黒くて長い髪に、遥か遠い異国の服装、そして片時も手放さない刀。その手には解剖学の古い実験記録があった。
「君は、木崎さんの娘さんだね?どうしてここに?」
その子は、さきほどヴァレムが話していた少女だ。大人びた雰囲気をまとっているが、まだ12歳だったはずだ。
「あなたの研究に興味があるんです。」
「お父さんのそばに居なくていいのか?」
「私が近くに居ても、お父様は元気なふりをするだけですから。…お父様の状態は、あまり良くないんですよね…?」
そんな気はしていたが、この子はとても察しが良い。ここでごまかしても気づかれてしまうだろう。
「俺も詳しいことはまだ知らないが、どうやらそうらしいな。」
「あの、あなたの研究について教えてもらえませんか?」
「…別に問題はないが、君が俺の研究について知りたがるのは、お父さんが理由か?」
「それは、そうですね。」
「例え君がどれだけ素早く知識を吸収したとしても、お父さんの今の治療には影響しないだろう。」
「あ、はい…それは分かってます。でも、いつかお父さんの病気が再発した時、なにか出来るかもしれませんから。それに、他の場面でも役に立つかもしれないですし。」
「そこまで理解しているなら、分かった。あぁだが、さっき入門編はヴァレムが持って行ってしまったな…。」
仕方ない、といったため息をついて、サイエントは少女に解剖学の基礎を教え始めた。
ちなみに少女は知らなかったが、サイエントの本来の専門分野は機械工学だった。
その頃、病院に戻ったヴァレムは、少女を探し回っていた。
「…どこに行ったんだろう…?」
歩いているうちに、少女の父親の病室の前まで来ていた。木崎ダンゾウ、もしくは担当の看護師の人が何か知っているかもしれない。
「し、失礼します…。」
「ん…君は確か…。」
「あっ、木崎さん、起きてたんですね…。」
ダンゾウは手紙のようなものを置きながらヴァレムを鋭い目つきで見やる。元々目つきが悪いだけで、警戒されているわけではない……はずだ。
「なんの用だ…?」
「あ、あの、娘さんが今どこにいるか知ってますか…?」
「あぁ、あのサイエントとかいう若造の元に向かったはずだ。アヤメは奴の研究に興味を持っているようだからな。」
「あ…じゃあ入れ違いになってしまったんですね…。」
「待て、その手にあるのは、あの若造の物か?」
「えっと、はい…簡単なものを娘さんのために持ってきたんですが…。」
「良ければ儂に見せてもらえんか。」
「え?まぁ、大丈夫だと思いますけど…。」
ダンゾウはヴァレムの持つものから適当に一冊取り、目を通し始めた。
「…儂にはこの内容は難しい。だが、アヤメは妻に似て賢い。アヤメなら、すぐに理解出来るだろう。…本当は、初めからそういう道を示してやるべきだった。刀と共にある生き方ではなくな。」
あの少女は、ヴァレムの知る限り一度も刀を手放していない。
「もし儂が治らんかったら、あの子は1人になってしまう。その時は、君とあの若造に任せたい。」
「そ、そんなこと言わないでください…。…きっと大丈夫です。…それこそ、サイエントならダンゾウさんの病気も治せます…。」
先ほどダンゾウが置いた手紙をちらりと見ると、それは遺書のように見えた。
「………すまない、どう説明すればいいか分からないが、これは治らない予感があるんだ。いや、そもそも病気ではないのだと、直感が告げている。」
「病気ではない…?」
「むしろ、これは力だ…。だが、儂の身体は最初から万全ではない。度重なる戦でボロボロになったこの身体では、耐えられないというだけ…。」
「それは、どういう……。」
「ん?」
ダンゾウは突然窓の外を見た。
ヴァレムもつられて窓の外を見ると、そこには強い雪が降っていた。さっきまでは晴れていたはずだが…。
「雪…?」
雪自体はこの島では何も珍しいことではない。
しかし、今は滅多に降らない時期であり、降ったとしてもこれほど強い雪が突然降るのは異常気象だ。
「ヴァレム殿、この雪は普通じゃない。」
「え?」
「直ちにこの島に居る全員を大陸まで避難させるべきだ。」
その時、ダンゾウの黒い瞳が青白く輝いていたが、窓の外を見続けるその目の変化を、ヴァレムは知らなかった。
ダンゾウはその後もすぐに撤退するべきだと主張を続け、その間にもどんどん強くなる吹雪を受け、人々もそれが正しい判断だと理解していった。
サイエントの研究所は小高い丘の上にあり、他の建物からは少し距離がある。ヴァレムが研究所を訪れて避難を呼びかける前に、そこでも異常が起きていた。
「君、その力は………。」
「わ、私にもなんだか…。」
2人の前には、晴れ渡る空があった。しかし、それは自然に起きた出来事だとは思えなかった。
なぜなら、雪が降り始めたのを見たアヤメが、また晴れればいいのに、と言った瞬間景色が一変し、雪が止んだどころか研究所自体が消え、晴れた空とピンク色の花が咲く景色になったからだ。あまりに、非現実的すぎる。
ピンク色の花は、おそらく日之出国に咲くという桜という植物だろう。海が遠くに見えているのも、島国である西日之出国の景色に見える。
「この景色は、西日之出国か…?」
「えっと、はい……私の故郷の景色…そのままです。」
後ろを振り返ると、少し離れた場所に人里があり、その奥に大きな城が見える。
何らかの理由で遠くの景色が見えたというより、少女の記憶を再現しているといった方が正しいだろう。なぜなら、木崎家が仕えていた一族は、既に戦に敗れ滅びているはずだからだ。
「あ、あの、これは現実じゃないです。」
「え?あ、あぁ…。」
「これは、私が見せている幻…何だと思います…。」
そういいながらアヤメが手を前に出すと、美しい景色は一変して戦場に変わり、古代の遺跡を映し、鋼鉄の都市を映し、闘技場を映し、サイエントの研究所に戻ってきた。
これらは、この少女がこれまでに見た景色なのだろう。12歳ながら、普通とはかけ離れた経験をしてきたようだ。
「なぜかは分からないんですが、私には幻を見せる力がある……いえ、今その力を手に入れた………そんな気がします…。」
「………。」
科学者であるサイエントは、そんな非科学的なことはにわかには信じがたかったが、その目で見てしまった以上、信じざるを得なかった。
そして天才だったサイエントは、既にそれがアヤメだけに起きた異常ではないのではないかと仮説を立てていた。例えば、血縁関係のある木崎ダンゾウの病気にも関わっているかもしれない。あるいは、目覚めるきっかけさえあれば誰でも、自分にも不可思議な力があるのではないかと。
特に後者は科学的なものからは遠かったが、この状況で科学が役に立たないことが分かっていたサイエントは、それを無視した考え方が出来る人物だった。
きっかけはなんだ?別に特別なことをしていたわけではない。アヤメにとって解剖学の知識はなんだった?未知の知識?求めていたもの?
なら自分にとってのそれはなんだ?この力自体、サイエントにとっては未知のものだ。だがそんな理解出来ない力を求めていたわけではない。
「君、その幻を見せる力を……どう思う?」
突然現れた力なら、その瞬間の状況、環境か、本人の何かが理由なのだろう。
サイエントの仮説では、発現者の感情に由来しているのではないかと考えていた。
「えっと……例え幻でも…お父様にもう一度好きだった故郷の景色を…そして、お母様の姿を…見せたいです。」
幻は、本人の願いを叶えるのに有用なようだ。それとも、幻を見てからそう願ったのだろうか。
「その願いは…」
「…サイエント!居るか…!」
その時、研究所のドアを開けながら、ヴァレムが駆け込んできた。
「ヴァレム?どうした?」
「天気がおかしい…大陸に避難しよう…!」
「天気…?」
サイエントとアヤメが外を見ると、雪は猛烈な吹雪になっており、外に出るのも危険なことが一目瞭然だった。幻のせいでそんな事態になっていることに気づいていなかった。
「この天気だと、今更船で避難なんて出来るとは思えない………いや、もしかすると…。」
サイエントはアヤメの方を見る。アヤメも、サイエントが何を言わんとしているのか理解していた。
この幻を見せる力があれば、大陸まで無事に進めるかもしれない。
「……どう、したんだ?」
「にわかには信じがたい話なんだが………。」
サイエントがかいつまんで先ほどの出来事を説明すると、アヤメはそれに合わせて幻を見せる力を使って見せた。
「とはいえ、あくまで幻だ。現実の吹雪にどう影響するのかは分からないが…。」
「あの、少なくとも私の偽物を出して避難誘導は出来ます…!」
そういいながらアヤメは自分と同じ姿をした数人の幻を街中に向かわせた。
「そ、そんなことも出来るのか…。…な、なら、サイエント、この力で安全に船を動かせることが判明したら………サイエント?」
ヴァレムが話している途中で、サイエントは自分の手を見て動きを止めてしまった。
「な、なんだ…?…どうした…?」
「サイエントさん…?」
「………いや…大丈夫だ。すぐに全員集めて出発してくれ。」
「サイエント…?」
「こんなに突然なのか………突然なのに、身体が使い方を知っている……不思議だ。」
サイエントが手をかざすが、そこには何も起きているようには見えない。しかし、サイエントの合図に従って手を伸ばすと、透明な何かに当たった。
サイエントの能力は、透明な壁を作り出す能力だった。
「君の力を他の人も使える可能性は考えていた。…だが、これほど関連性の無さそうなものだとは。」
「それって…これから誰もが不思議な力に目覚める可能性がある……ってことか…?」
「可能性はあるだろう。何が理由かは分からないが。」
「え、えっと、それならこの吹雪に対抗出来る力を手に入れる人が現れるかも…。」
「俺の力で一時的に防ぐことは出来る。だが、永続的に力を使うのは無理だろう。そして他にどんな力が現れるか分からない以上、大陸に避難することには俺も賛成だ。」
「あ、あぁ…その壁があれば、安全に船を出せるのか…?」
「それは保証しよう。だが、悪いが俺は行かない。」
「え…?」
「俺にとって自分の研究を置いていくのは、死ぬのと一緒だ。」
「で、でも、今を逃したら一生ここから出られないかもしれない………お前なら、どこでも活躍出来るだろ……?」
「だが、同じ環境も同じ実験も二度とない。もしこの不思議な力がこの島以外でも機能するなら…あるいは生まれているなら、世界は大きく形を変えるだろう。そうなれば、誰もここに残された研究には興味を示さない。忘れられた研究にしたくないんだ。」
「………いつまたここに来れるか、分からない…。」
「俺は一人でも問題ない。それに、案外すぐに戻ってこれるかもしれないぞ。」
「……わ、分かってる、お前はいつも正しい…一人でもやっていけるだろう……。俺にはお前と並ぶだけの知識も技術もない……。…でも、友達として、無事であってほしいんだ…。」
「………そう、か。……俺からすれば、君が俺より劣っていると思ったことはない。気づいてないのか?君と出会ってから公開した研究成果には、ほとんど君の名前ものっている。」
「それは……お、お前の実績にのっかっていただけだ……。」
「…まぁどう考えるか次第かな。…とにかく、俺はここに残る。そうだな、君と再会する日が来たら、その時はこれから俺が溜めることになるだろう研究成果を、共に世界に知らしめよう。」
「……分かった…。」
ヴァレムは、サイエントが自分の考えや行動を貫く人であることを、誰よりも知っている。
ここで長々と説得しても意味がないと知っている以上、そう答えるしかなかった。
「そうこうしてる間に、そろそろ避難誘導も終わるんじゃないか?」
サイエントがアヤメの方を見ながらそういうと、空気を読んで静かにしていたアヤメは頷きながら答えた。
「は、はい、もうほぼ全員が船に乗ってます。そろそろ出航しないと、海が凍り始めてます。」
「早く行くといい。俺も全力で手伝う。」
「……あぁ、元気で、な……。」
「もちろん、そう簡単にくたばるつもりはない。さらばだ。」
ヴァレムとアヤメが港に向かう後ろ姿を見ながら、サイエントは集中していた。
あの船が通る航路の上に、手に入れたばかりの力で天井を創る。
アヤメの力の影響で航路は安全に見えるが、それが幻であると知っている以上万全を期すしかない。
幼い頃からサイエントは物作りが好きだった。これが神の与えた力なら、その思いを汲んでくれたのかもしれない。
「…俺が神などと考えるとはな…。」
これから長い間、一人きりになる。一人でも問題ないとは言ったが、これからヴァレムが訪ねてくることもないのだと思うと、少し寂しい気持ちはある。
まずはこの力について………いや、そういえば前にヴァレムから頼まれたものがあった。もし完成すれば、孤独ではなくなるのではないだろうか。
今後の研究に想いを馳せながら、サイエントは唯一の友人達を大陸まで送り届けた。




