第3話 :雪国の少女との出会い
旧エンペリオス帝国第37区画は、巨大なエンペリオス帝国領の一番北にある区画だ。
唯一これまで一度も帝国の暴走した機械兵器に侵略されたことがない、奇跡の地とも言われている。
理由は不明だが、とにかくそのおかげで生き残った人々がいるし、そのさらに北にあるアイスポート教国もこの世界ではかなり安全な国となっている。
ブレイズスカーとの戦いで心に傷を負ったアイのため、レイヴンはヴィマナをアイスポートに向かわせ、少しの間休息を取ることにした。
しかしこの国で、LALLが再び"彼女"と出会うことになるとは、この時は思いもしていなかった。
アイスポート教国は、10年前から一度も止むことなく常に雪が降り続けている国で、オリジンを神聖な力として信仰している宗教国家だ。
温泉が有名で、雪景色の夜景を眺めながら入る温泉はもちろんいいものだが、10年前まではオーロラを拝むことも出来たらしい。
アイスポートに到着してすぐ、レイヴンはアイに街に出ることを提案しようとしたが、アイはその前にサルヴァに一言だけ伝えて1人で街に降りていた。
真っ白な街はこんな時代でも活気に溢れ、人々の顔には穏やかな笑顔が浮かんでいた。
もちろん平和のために戦うLALLのアイにとってそれは喜ばしいことだが、今のアイは共に笑えるような気分ではなかった。
『でもアイちゃんなら例えどんなに強くなっても裏切らないって保証出来るもの。少なくともそういう意味ではレイヴン以上に安心ね。』
「………。」
アイの気分が落ちているのはもちろんクシスの件が理由だが、その頭の中にはサルヴァの言葉が繰り返し浮かんできていた。
もちろん、アイとて自分がLALLを裏切ったり、無実の人を傷つけるつもりはない。しかし実際に、事故だとしてもあんなことが起きてしまうと、どうしても自信がなくなってしまう。
そう思うのは、やはりあの夢のせいだろう。
もう細かい内容はすっかり忘れてしまったが、自分が仲間に剣を向けている夢だったと思う。
段々とあの夢に近づいているような気がする。
「あの………。」
あれはやはりただの夢ではなく、自分の未来を表しているのだろうか。
アイのオリジンは過去を視る力だ。未来を視ることは出来ないはずだが、過去でも未来でも似たようなものなのだろうか…?
「あの…すみません……本日はわけあって大教会は立ち入り禁止になってまして……。」
「………え?」
街を歩きながら考え事をしていたアイは、気が付くと街の中央にある大教会の入り口で、シスターのような恰好の少女と2人の衛兵に止められていた。
「あっ…すみません……失礼しました…!」
「あ…ちょっと待ってください…!」
アイが慌てて頭を下げ、踵を返し小走りで移動し始めると、シスターの少女が呼び止めてきた。
「え?はい…。」
シスターの少女は衛兵と一言二言話した後、こちらに歩いてきた。
「なにか悩んでいたみたいですが、良ければお話していただけませんか?」
シスターの少女は優しく微笑みながら、アイに手を差し伸べてきた。
「えっと……でも、教会は忙しいんじゃ…?」
「まだもう少しだけ時間がありますから。中には入れませんので、いつものようにとはいかないのですが…。」
「えっと………。」
確かにシスターとしては悩める人を放ってはおけなかったのだろう。
アイはアイスポートの事情にそれほど詳しいわけではないが、教国なので聖職者は国の運営に携わる側の人ということになるだろう。
そんな人に、実は誤って人を殺してしまった、などとはとても言えない。
「すみません、あまり人に言えるような悩みではなくて……。」
「そうですか……でしたら、ひとまず息抜きにあちらの屋台に行ってみませんか?」
「えっ?」
「代金は私がお支払いしますから、ご心配なさらないでください。」
「あ、いえ、それぐらいは自分で……というか、むしろシスターさんの分も私が払います。」
そういってアイはシスターが止める間もなく屋台に走って行ってしまった。
「あら、私の分は買うつもりではなかったのですが……。」
アイがチョコレートでコーティングされたお菓子がいくつか入った袋を持って戻ってくると、シスターの少女はしっかり代金を押し付け、丁寧に一つ受け取った。
「ありがとうございます。」
「いえ、こちらこそ話を聞こうとしてくれて、ありがとうございます。」
チョコレートの中にはチーズが入っていて、酸味と甘みが程よく、冷たくて美味しい。
「あ、すみません、まだ名乗ってもいませんでしたね。私はフローリアと申します。この教会で…シスター………の、ようなことをしています。」
その言い方だと自分は正確にはシスターではないと言っているようなものだったが、こちらが隠し事をしている以上、深く聞く気にはなれなかった。
「私はアイです。えっと…LALLという組織に所属しています。」
「あぁ、あなたがそうだったんですね。」
「え、知ってたんですか?」
「はい、厄災蔓延るこの世界で、見返りも求めず人助けをし続ける組織なのだと、大主教様は言っていました。素晴らしい組織だと。確か、休暇のためにアイスポートに来ているんですよね。」
「そう…ですね。」
正しくはアイを心配したレイヴンがやや強行したところはあったが、休暇であることに変わりはない。
「…まだもう少しアイスポートに滞在しますか?」
「多分、そうだと思います。」
「でしたら、一つお願いしたいことがあるのですが、いいでしょうか?」
「私に出来ることであれば…。」
「この街の北に今は海が凍り付いて使われなくなった港があるのですが、その近くにヴァレムさんという方が住んでいるんです。彼の住んでいる場所はとっくに危険なエリアとされているんですが、最近また雪が強くなっていて、これ以上放っておくわけにはいかないんです。既に偉い立場の方々は、彼を都心に連れてくることを諦めているみたいなのですが、私は見捨てたくなくて…。せめて、どうしてあの場所に居続けるのか、その理由が知りたいんです。アイさん、彼に話を聞いてきてもらえませんか?そして出来れば、安全な街中に来るよう説得して欲しいんです。」
「…分かりました。」
「え、いいんですか?」
二つ返事で了承するアイにフローリアは驚いたが、アイからすればそのお願いを断る理由がなかった。
「はい、問題ないです。LALLは人助けのための組織ですから。」
それに、この依頼なら剣を使うこともないだろう、という言葉は口には出さなかったが、今のアイにはとても重要なことだった。
「今残っている北に続く道は一本しかありませんし、ヴァレムさんの住んでいる家はその道沿いにありますので迷うことはないと思いますが、北に行くほど強い雪が降っているはずですので、無策で向かうのは危険だと思います。確か、明日と明後日は比較的雪が弱い予報だったと…」
「フローリア様。」
いつの間にか、大教会の入り口に居た兵士の1人がアイとフローリアに近づいてきていた。
「そろそろお時間です。」
「あ……そうですね…。アイさん、すみませんが私はそろそろ行かなくては…。」
そう語るフローリアの表情は硬く、ただ仕事が嫌、というだけには見えなかったが、迎えに来た兵士が鋭い目つきでアイを見ており、とても口を挟める雰囲気ではなかった。そもそも、あの優しいフローリアが嫌がる仕事とは、なんだろうか。
「…ありがとうございました、フローリアさん。その方のことは任せてください。」
「はい、お願いします…では、またお会いしましょう。」
アイはフローリアが大教会に入っていくのを見届けた後、一度レイヴンに連絡しておこうと通信機を取り出した。
「…?」
その時、剣が少し震えたような気がした。
実を言うと、アイスポートに来た時にも、剣が何かに反応しているような感覚があったのだ。
本当にこの剣に意識があるというのなら、何かを伝えようとしているのかもしれない。
翌日、アイはフローリアの言った通りにアイスポートの北の港に続く道を歩いていた。
強い雪が降っていたが、まだそれほど視界が悪いわけではない。世界各地の厄災の規模を考えると、確かに今日は雪が弱い、あるいは中心地点からまだ遠いだけかもしれないが。
しばらく歩いて、ようやく一見の家を見つけた。周りにはほとんど木しかなく、一瞬本当にここに人が住んでいるのかと疑問に思ったが、窓から覗いてみると、うっすらと人が生活している痕跡が見てとれた。
しかし残念ながらヴァレムという人は今は居ないようだった。
ただ1人、人里離れた吹雪の森に暮らす男がどこに行っているのだろう。
比較的雪が弱いという今日にちょうど街に物資を補充しに行っている可能性もある。しかし………。
「………もしかして……。」
アイは街とは反対の道の先を見る。
雪のせいではっきりとは見えないが、その先に大きな建物があるのが分かった。
『この街の北に今は海が凍り付いて使われなくなった港があるのですが………。』
その男が今もここに住み続ける理由は、きっとそこにある。根拠はなかったが、アイの勘はそれが正解であると確信していた。
港まではそれほど遠くはなかったが、その距離でも雪は一段と強くなっていた。
思っていたより港はずっと広く、しばらく歩き回ったがなかなか人を見つけられない。
しかし分かったこともあった。海と一緒に凍った船、機能していない制御室、ずっと使われていない大型倉庫。それらはとっくに朽ち果てていてもおかしくないが、どれも老朽化はしていてもどこか綺麗さを保っていた。誰かが、ヴァレムという名のその男が、ずっと1人で管理していたのだろう。
「誰かいますか?」
港の隅にあった小さな小屋の扉を開けながらアイがそう口にすると、奥の方で誰かが動いた音がした。
「あ、あぁ……いるぞ…こんな吹雪の中、一体誰だ?」
そういいながら現れた男は、少しおどおどした様子で、こちらを警戒しているようだった。
「初めまして、LALLという組織の、アイです。教会のフローリアさんという方に頼まれてヴァレムさんという方を探しに来たんですが、あなたがヴァレムさんですか?」
「そ…そうだ。俺がヴァレムで間違いない…。…それで、何の用だ…?」
「これ以上ここにいるのは危険なので街中に来て欲しい、という話だったのですが、その前に、どうしてヴァレムさんはこの場所に居続けるんですか?」
ヴァレムは少し悩んでから答えようとして、アイが今も小屋の扉を開けたまま外から話していることに気が付いた。
「…と…とりあえず、中に入ってくれ…そこの椅子なら使ってくれていい…。」
「分かりました、ありがとうございます。」
アイが椅子に座り、一息つくと、ヴァレムは奥から引っ張り出してきたもう一つの椅子に座って話し始めた。
「え、えっと…君はアイスポートの人じゃない……よね…?」
「はい、違います。」
「なら、ここから更に北に少し行ったところに島があることは知ってるか…?」
「いえ、知りませんでした。」
アイは一瞬窓の外を見たが、残念ながらここからでは見えなさそうだ。
「俺は10年前までその島に住んでた…。そこもアイスポートの一部だったが、10年前の大厄災で吹雪が起きた時、住人全員でこっち側に避難したんだ。………た、ただ、1人だけ島に残ったやつがいた。そいつの名前はサイエント……誰もが認める、天才だった…。…サイエントは、自分の研究を置いていくなら、死ぬのと一緒だと言って残った…。あ、えっと…言い忘れてたけど、俺も当時は科学者の端くれだった……まぁ、実際あいつの言う通り、あれから研究を続けられる環境を失って、今は勝手に港を整備しているおっさんでしかないわけだが…。…とにかく、同業者としてあいつの才能を誰よりも知っていた俺は、あいつなら今でも生きてると思ってる…。…だ、だから、俺は港を整備しながらあの島と通信できないか試し続けてるんだ…。」
そういいながらヴァレムは、部屋の隅にあった機械に近づいた。
「………さ、最近やっとこの吹雪とこの距離でも通信できるほどの精度になったんだが……残念ながら、今のところあいつが使いそうなどの周波数でも反応はない…。」
ヴァレムのその言葉を聞いて、アイは自分の通信機を取り出すが、確かにこの吹雪のせいでヴィマナとは繋がらなかった。この大きな通信機は、少なくともLALLの一般の通信機よりは優れたもののようだ。
しかし、アイはふとサルヴァの研究の一つを思い出した。
「あの、もしかすると、その島にまだ生きている人がいるか、分かるかもしれません。」
「……え…?…それは、本当か…?」
「えっと、サルヴァさんに確認しないと本当に使えるかは分かりませんが、可能性はあります。ただ、私の通信機ではサルヴァさんに連絡出来なくて。その通信機を使ってもいいですか?」
「あ、あぁ……少し待ってくれ…今調整しよう……。」
ヴァレムがアイの伝えた周波数に合わせると、アイはマイクに向かってサルヴァを呼んだ。
「サルヴァさん、聞こえますか?」
『……アイちゃん?…少し…不安定だけど、聞こえているわ…。』
「少し前に言っていた、熱源を感知するレーダーは、どれくらいの距離まで使えますか?」
『…色々な条件ですぐ変動するから…一概には言えないけど、ここからアイスポート全域を…カバー出来るぐらいの…潜在能力はあるはずよ…。』
「そ、そんな広範囲のレーダーが実在するのか……?」
『…ん?…アイちゃん、誰か近くに居るの…?』
「あ、はい、事情を説明します。」
アイが事情を説明すると、サルヴァは真相の解明に協力的で、レイヴンと共にここまでレーダーを持ってくるとまで言った。ちなみに、アイが男と二人きりだということには警戒心をむき出しにして、ヴァレムには手を出したらどうなるか、と何度も脅しをかけていた。
しばらくして………。
「待たせたわね。」
レイヴンが運転する四輪駆動車両に乗ってきたサルヴァはややテンション高めで、ヴァレムにサイエントのことを事細かに聞いてきた。
レイヴンが言うには、サイエントはその道に少しでも足を踏み入れていたら知らない人は居ないほどの有名人らしい。そういえば、確かに昔デイブレイクからもその名前を聞いたことがあったような気がする。
しばらくサルヴァはヴァレムと話していたが、一段落ついたところで、レーダーを起動するために広くて吹雪が当たらない場所に移動することになった。
「…倉庫でもいいが、多分こっちの方がいいと思う…。」
ヴァレムがアイ達を連れて行ったのは、巨大な砕氷船が停まっている発着場だった。海側は当然壁がないが、これだけ広ければ吹き込まない。
しかし念のため閉鎖空間を探し、最終的に砕氷船の中に十分な広さの場所があることに気が付いた。
「ここならスペースも十分だし、この気象条件でも距離的に問題ないはずよ。」
「…な、なら、ついにあいつがまだ生きてるか、分かるんだな……?」
「先に聞いとくけど、あくまで熱源感知だから、他の熱源があったら分からないわよ。」
「…あの島には、他に熱を発するようなものはないはずだ…。」
サルヴァはしばらく機械をいじっていたが、ついにその時が来た。
「………これは………。」
「…こ、これ、熱源じゃないのか…?」
「熱源よ。………ただ、これは……。」
島があるはずの座標には、確かに家一軒ぐらいの熱源があった。それは不思議ではない。
ただ、その島よりさらに北、何もないはずの場所に、わずかな熱源があった。
「これは、なんだ?」
「人1人分ぐらいね。…まぁ、こんなところに人が居るわけないから、野生動物かしら…?」
「こんな吹雪で、海上に一匹だけ現れる生き物が…?」
レイヴンはヴァレムの方を見やるが、ヴァレムも心当たりがないようで、首を横に振った。
「まぁ今考えてもしょうがないわ。ただのレーダーの不具合って可能性もないわけじゃないもの。とりあえずその島に人が住んでる形跡はあるけれど、どうする?」
「………え、えっと…出来れば、もう一度会いたい。…あいつの気が変わってこっちに来たい、と思うことはないだろうが、万が一、ということもあり得る。それに、この10年であいつがどれだけのことを成し遂げたのか……俺は、それが知りたい…。」
「なら、行くわよ。」
「…え?」
「おいサルヴァ、お前勝手なことを…。」
レイヴンは嫌そうな顔をしていたが、サルヴァがそう言うのは予想出来ていたようだった。
「もしかしたら、助けを求めてるかもしれないじゃない。LALLとしては、見捨てるわけにはいかないでしょう?」
「お前はその男の研究成果が知りたいだけだろう。………、はぁ、まぁ、別に問題はない。」
「よし、そうと決まれば早速出発しましょう。」
「…え、今から…行くのか…?」
「当然よ。待つ理由はないわ。」
そうして、4人は急遽凍った海を渡ることになった。
小さな島の、小高い丘の上の研究所。
そこで、ある一人が、部屋を掃除していた。
「………?…今、誰かに呼ばれたような………。」
手を止め、窓の外を見るが、その目に映るのは、一面の白だけだった。




