2.命取り
「帝国には長いこと住んでたからね。そろそろ違う場所に行こうかと、ちょうど思ってたところだったんだよ」
「そんな中、都合よく現れた存在が私たちだったということかな?」
「言い方はあんまりよくないが、まぁ平たく言うとそういう感じだね」
ユゲットとオーギュスタン殿下が会話を交わしている姿を見ながら、空になっているボトルとまだ口の開いていないボトルを時折視線だけで探して。空いているボトルの中に何本までならば彼らに気付かれずに未開封ボトルを忍ばせられるだろうか、そもそも外にいるであろう殿下の侍従は封の開いていないボトルを黙って下げてくれるだろうか、などと考えていると。
「妙に綺麗な顔をしてるとは思ってたけど、まさか別の国の貴族だなんてアタシも思わなかったからね。帝国内の貴族やら商人やらの顔は全部覚えてるはずなのに、明らかに見覚えのない上品な存在がいたら、とりあえず警戒するのと同時に探りを入れとくのが普通だろう?」
血のような赤とサファイアのようなロイヤルブルーという、ある意味で正反対な二対の瞳がこちらへと向けられて、思わずギクリと肩が強張る。とはいえ私が直前まで考えていたこととは無関係のはずなので、そのまま自然に会話に加わっておくことにした。
「普通かどうかは定かではないけれど、その方法が突然串を差し出すというものだったとするならば、むしろユゲットのほうが本来は警戒対象になるはずでは?」
「なんだい、今さら。あの時フェルナンは素直に受け取ってたじゃないかい」
「周囲の様子を覚えていないのか? 私とは違い街の人々に顔を知られていて、なおかつ受け入れられ慕われている人物から差し出されたものを、明らかに地元民ではない人間が断れると本気で思っていたのかい?」
「いいや、まさか。受け取らざるを得ないだろうと思っての行動に決まってるじゃないか」
「それが全てだろう」
呆れてため息をつきながらそう答えてみせれば、してやったりな顔をして腕を組みながら胸を張るユゲット。得意気なその表情が若干鼻につくと思ってしまった私だったが、実際にこれを目の前でやられたら、きっと誰もが同じ感想を抱くはずだろう。決して私の心が狭いだとか、酔いが回ってきているというわけではない。
「とはいえさすがのアタシでも、そこから帝国の姫が嫁ぐ予定の相手につながるとは思ってもみなかったけどね」
そこだけは完全に予想外だったよと肩をすくめながら口にして、けれどすぐに手に持っているグラスの中のワインをまた一気に喉の奥へと流し込む。先ほどよりもかなり多く残っていたはずだが大丈夫なのだろうかと段々本気で心配になってきたので、私もグラスの中にある残り少ない白ワインを飲み干して新しくワインを注ぎに行くように見せかけつつ、まずは中身が空になっている何本ものボトルの中に未開封のボトルを二本ほど紛れ込ませる。それらをシルバーのトレイに乗せて廊下にいる殿下の侍従に回収を頼んでから、先ほど口にしていたものと同じ銘柄の白ワインをグラスへと注いだ。
ちなみに扉の外にいたはずの侍従は、殿下の様子をひと目見ただけで私の意図に気付いたらしい。こちらに目線だけを向けて私に分かるように小さく頷いてから、当然とでもいうようにトレイごと全てのワインボトルを下げてくれたので、特に問題も心配する必要もなさそうだった。
(それにしても、ユゲットはいったいどれほどの量のワインをこの部屋に持ち込んだのやら)
見渡す限り、あちらにもこちらにもワインのボトルばかりが置かれている部屋の中は、ある意味で大変異様な光景と化している。しかし私がボトルの整理をしている間にも二人だけで会話は進んでいたらしく、そのおかげで一切疑われることなく未開封ボトルを下げることができたので、この手法で次も同じように回収してしまおうと考えながら席に戻ったのだが――。
「で、フェルナンはどうなんだい?」
「……は?」
唐突にユゲットからそう話題を振られて、直前の会話の内容を全く知らないままなので反射的に首をかしげる動作をしてしまってから、私は心の中で若干後悔した。こういった言動は話を聞いていなかったと示しているのと同義なので、普段は基本的にやるはずのない行動なのだ。それが今は何も考えずに出てしまったということは、私も少し酔いが回り始めているのかもしれない。
などと考えている暇は、ほんの一瞬しか与えられず。
「だーかーら! オーギュスタンは帝国の姫と、政略以上の関係になっているじゃないかって話だよ。それに対してフェルナンはどうなんだい? 好きな娘の一人でもいるんじゃないかって、アタシは考えてるんだけどね」
「ゲホッ」
新たに注いだ白ワインを口に含んだところで、ユゲットの瞳と同じく真っ赤な唇から飛び出してきた言葉に、思わずむせてしまった。
おそらく、それがいけなかったのだろう。
「おぉ!? その反応は、まさかっ!」
「これは……あるねぇ」
幼い頃から私のことをよく知っているオーギュスタン殿下と、通常の人間ではあり得ないほどの年月を重ねてきたのであろう魔女の前では、こんなにも小さな反応すらある種の命取りになるのだということを、私はここから嫌というほど学ぶことになるのだが。
「なにっ、ゲホッ」
今はそれ以上に、おかしなところに入り込んでしまったワインへの対処に必死になっていた私は、この時の二人の表情をしっかりと確認することができなかったのだった。




