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第二十九話:『あの人』のこと

 三月。

 あたしが美文館に採用されて、もうすぐ一年になろうとする。

 今は受賞作品展を開催中。

 しかし、あたしは憂鬱だ。

 マッシモ・プピーロ先生がクトゥルフに関わっていた事。


 あの人の行動が気になる。

 せっかく仲良くなったのに。

 しかし、確かめる必要がある。


 今日はラウル事務長とドメニコ係長は文化芸術庁へ会議に行っている。

 ベルトランド主任は看守業務で展示室へ。

 あたしは裏口と美文館の間の敷地にジュシファーさんを呼び出した。


「何でしょうか、ローラさん」

 いつも通りニコニコ顔のジュシファーさん。


「あの、確かめたいことがあるんだけど」

「はい、どうぞ」

「あたし、頭は悪いけど記憶力はいいんだ。それで、最初の頃からおかしいことがあったと思い出したんだけど、それは置いといて、マッシモ・プピーロ先生が作品を寄贈してきた日のことなんだけど、印刷屋さんから連絡が来てあたしは地下の収蔵庫へあなたを呼びに行った。その時、運送業者の人とすれ違ったの。『もう作業は終わったんですか』って業者さんに聞いたら『ええ、作品の梱包も終わりましたよ』って答えたの。でも、後でわかったけど、マッシモ先生の作品って複雑な形をしていたのが原因か知らないけど、梱包しないで横に置いたままじゃないの。じゃあ、何の作品の梱包作業が終わったのかと考えたら、あの時、あなたはマッシモ先生と『深淵への誘い』が置いてある場所から姿を現した。要するに『深淵への誘い』の梱包を運送屋に頼んで解いて見せたんじゃないの。もうマッシモ先生をかなり操った状態にしてあったんじゃないの。だから、係長と主任が忙しい日を狙って、マッシモ先生に作品を寄贈させたんでしょ。あの台座もあなたがマッシモ先生に作らせたんじゃないの。そして、『深淵への誘い』を見せてマッシモ先生をより強力に操ろうとしたんじゃないの。その後、運送業者に再び『深淵への誘い』を梱包させた。だから業者さんは『作品の梱包も終わりましたよ』って答えたんじゃないの」


 あたしがまくし立てるがジュシファーさんはニコニコ顔のまま。

 こんなこと言われたら、普通の人は怒ったり、呆然としたりするものだけど。

 人間のふりをしたクトゥルフは普通の人とは感情の出し方が違うんだとルチオ教授は言っていた。


 ジュシファーさんがニコニコ顔で黙ったままなので、あたしは恐怖に怯えつつもさらに言った。


「それに、あの『深淵への誘い』って、『展示厳禁』って紙を貼ったけど係長たちが逆に置いてしまって、それが貼ってあるのが壁際になっていたの。つまり、表面に貼った『展示厳禁』なんて見えないのよ。あたしいい加減だから、裏面にも貼ろうと思ってそのまま放置してたの。あなたはマッシモ先生に『梱包の上から展示厳禁って貼ってあるから見せられません』と言ったとあたしに報告したけど、あれウソでしょ。そのあと、ラウル事務長が就任したんで収蔵庫に案内して、『深淵への誘い』を見せたの。絵の梱包材の表面に『展示厳禁』と貼ってあったのが見えたのよ。その時、あたしは係長たちが絵を逆に置いて『展示厳禁』が見えないなんてことすっかり忘れてたけどね」


 ますますニコニコ顔のジュシファーさん。

 黙ったまま。

 背筋がゾッとしてきた。

 しかし、さらにおかしな点もあるんだな。


「他にも、ミケーレ先生やマルセル先生がおかしくなったのって一昨年の十月からなのよ。あなたが採用されたのって、あたしが採用される半年前。つまり、一昨年の十月。『あの人』って人物が操ってたみたい。もしかして、あなたのことなの。あと、美文館の概要の原稿なんだけど、三月の時点で印刷業者に提出したってあなたは言ったけど、すでに八十九名になってた。本来、その時点では会員は九十名のはず。四月にマルセル先生が亡くなったのに、なんで三月の時点ですでに八十九名にしてあったの。マルセル先生が死ぬのがわかってたからでしょ。後、『深淵への誘い』が選ばれた時も怪しいのよ。講堂が停電になった時、係長と主任は電源の大元の機械室に行って、事務長は館長と中庭を見ながらお喋りしてたってことみたい。あなたが投票用紙をすり替える時間は充分あったはず。だいたい講堂だけ停電っておかしいらしいの。あなたが厨房で配電盤を見せてくれたことがあるじゃない。ほら、お庭の照明を点けてくれたじゃないの。その中に講堂のスイッチもあったの覚えているのよ。単純にあなたが厨房へ行って、配電盤の講堂のスイッチを消して投票用紙をすり替えたら、またスイッチを戻しただけじゃないの」


 ニコニコ顔のジュシファーさんがやっと口を開いた。


「そうですねー、ところで最初の頃からおかしいことがあったと思い出したって何のことですか」

「猫の行動よ。猫はあなたを怖がっているの」

「猫?」

「後から思い出したの。さかのぼって言うけどね。四月に談話室の隣の厨房で猫にエサをやってたの。ベルトランド主任もいた。そしたら、エサを残して急に猫が走って、雨の中、外に出ていったのよ。しばらくして、回廊からあなたが来た。五月には、夕方、守衛のおじさんとあたしは裏口の敷地、この場所だけどね、猫と遊んでいたの。そしたら急に暴れて逃げちゃった。その後、サルヴァトーレ事務長とドメニコ係長、そして、あなたが裏口から入って来た。六月には、主任とあたしは、やはりこの場所で猫と遊んでいたけど、また暴れて逃げちゃった。その後、入ってきたのはルチオ教授とロベルト調査官、そして、あなた。七月にはプロビンチャーレ市立美術館に出張して、宿屋に宿泊したときあたしの部屋に白猫が入ってきたので、エサをあげたの。けど、サッと窓から出て行ってしまった。そして、廊下に出たら、あなたが二階から降りてきた。八月になる少し前にはマッシモ先生が作品を寄贈にやって来て、応接室に案内したら、そこにいた猫が物凄い勢いで逃げて行った。その後、あなたが応接室に入ってきた。九月の会員総会では、事務室の入口にまた猫がやって来たんだけど、すぐに逃げて行った。その後、工芸部門の先生方がやって来て、その最後にいたのがあなた。十一月の冬の所蔵作品展では展示室に猫が来たの。でも、ルチオ教授が来たら逃げちゃった。あなたは来なかったけどね。但し、ルチオ教授はあなたがくれたハンカチを手に巻いていたのよ。一月の仕事始めの昼食会の後、談話室の外に猫がいたの。談話室の窓から館長室が見えるの。当然猫にも見えるわね。あなたは館長室に飾る作品を持って廊下の前で館長と事務長の打ち合わせが終わるのを待っていた。あたしがエサをあげようとしたら、猫は逃げて行ったの。その後、談話室に館長と事務長が入ってきたの。つまり、あなたが館長室に現れたのを猫は見たんでしょ。それから、授賞式の準備の時。三毛猫が五匹中庭にいたの。あたしの方へ向かってきて回廊に入ろうとしたの。けど、突然、物凄い勢いで逃げちゃった。その時、後ろにミケランジェロ館長がいた。そして、回廊の上には主任がいた。主任は女子トイレの雨漏りの修理をしていた。けど、あたしは女子トイレの雨漏りなんて気づかなかった。美文館で女子職員はあたしとあなただけ。つまり、あなたが雨漏りを見つけたんでしょ。そして、主任に報告した。あたしはその後、事務室へ戻ったんだけど誰も居なかった。要するにあなたは主任と一緒に廊下の端っこの階段を使って屋上へ登ったんでしょ。あたしからは見えなかったけど。あなたが来たから三毛猫たちは逃げ出したんじゃないかって。何で猫はあなたを怖がるの。あなたはいったい何者なの。もしかして、あなたがクトゥルフなの」


 あたしの言った事は全部状況証拠でしかない。

 本当はジュシファーさんが怒って、「ローラさん、いったい何の事言ってるんですかー」って答えを聞きたかった。


 しかし、ジュシファーさんはクスクスと笑った。

「大正解。ローラさん、どこが頭が悪いんですか。全然頭いいじゃないですか。そう、私はクトゥルフ。ナイアルラトホテプって言うの。けど、ジュシファーでいいわ。人間にとってはいい名前じゃないからね」

「あなたの目的はいったい何なの」

「そうですねー、この世界に混沌をもたらすことですね。国王をクトゥルフの絵でおかしくさせて、この国をメチャクチャにするつもりだったんですけどね。私がやっても可能だったんですけど、人間を操る方が面白くてね」


 気がつくと、ジュシファーさんの体が少し地面から浮いている。

 この人、化け物だ。


 その時、大木の陰に隠れていたルチオ教授が現れた。


「クトゥルフ、覚悟しろ!」


 事前にあたしは教授に連絡していた。

 ルチオ教授が自動小銃をジュシファーさんに向けて発射。

 しかし、銃弾はジュシファーさんの手前で全て止まった。

 弾がそのまま地面に落ちる。

 

 ジュシファーさんが指を一本少しだけ動かす。

 ルチオ教授がふっ飛ばされ壁に叩きつけられた。

 そのまま動かなくなった。


「うざい爺さんは死んでもらったしと。この爺さんにはミケーレの作品を王室の間に飾るのを阻止されたしね。まあ、もっと前に殺しておけばよかったんだけど、今回はじっくりと攻めたかったんですよね。とりあえずマッシモ・プピーロを新会員にしてゆっくりと美文館に浸食していく感じでやりたかったんだけど、まさかあんな穴開けパンチで阻止されるとは思いませんでしたね。ただ、偶然、新会員はゼロってことで、前々回の受賞作品のマッシモの作品を貴賓室に置けたんですけどね。しかし、どんなに芸術性の高い作品でも興味の無い人にとっては価値はゼロ。それと同じでどんなにその作品から凶悪な力を発揮しても興味が無い人には効果ゼロ。あの王様、芸術には全然興味無いみたいですねー、無駄な事したもんですねー、全くマッシモの作品には目を向けなかったみたいですねー。警護官の方がよっぽど芸術に興味があったってことですね」


 クスクス笑うジュシファーさん。


「さて、ローラさんを殺すのは簡単なんですけどねー」


 どうしよう、殺されちゃう。

 あたしは恐怖に震えて全く体が動かない。

 しかし、ジュシファーさんは依然としてクスクスと笑っている。


「まあ、ローラさんは生かしておいてあげる。私、ローラさんのこと気に入っちゃった。いい加減な人だもん。お偉い館長の前で堂々と昼寝する姿。今、思い出しても笑っちゃう。混沌そのものね。あと、それからマッシモが暴走してクトゥルフを呼び出したけど、あれは最下等の奴だからね。クトゥルフを甘く見ない方がいいですよー。じゃあ、私はサヨナラするわね。もうすぐ混沌の世界が来るからね。その時、またお会いしましょう」


 ジュシファーさんはそう言って、スッと消えていった。


 助かった。

 こんなアホな性格で産んでくれた両親に感謝します。

 昼寝したことで危機を切り抜けるなんてどんな冒険小説にもないわ。


 ベルトランド主任が駆けつけてきた。


「何だよ、今の銃声は」


 あ、そうだ。

 ルチオ教授の容態はどうなってるんだ。

 壁に叩きつけられてぐったりしているルチオ教授にあたしは声をかける。


「ルチオ教授、しっかり」


 教授がうめいている。

 まだ生きてるわ。


「主任、救急馬車を呼んでください」


 ルチオ教授は病院に担ぎ込まれ、何とか命は助かった。

 あたしはまた情報省に呼ばれて、ジュシファーさんについて詳しく事情を聴かれた。

 そして、またもや緘口令。


 表向きはルチオ教授が自動小銃を見せびらかしてたら暴発したことになった。


 あたしは後日、病院へルチオ教授にお見舞いに行った。

「教授、お怪我の方、大丈夫ですか」

「うん、何とか助かったよ。腰はますます悪くなったけどな」

「しかし、教授はクトゥルフの専門家なんですよね。それにしては、何度もジュシファーさんとは会っていたし、愛車の蒸気自動車に乗せたこともあるし、ハンカチまでもらいましたよね。どうなってんですか。今までの確認作業もちゃんとしてたんですか」

「まあ、相手が一枚上手だったってことだなあ。うーん、わしもまだまだ修行が足らんってことかなあ。けど、そんなに虐めないでよ、ローラさん」


 なんだか、また揉み手をするルチオ教授。

 まあ、しょうがないか。

 私もマッシモ先生がクトゥルフを呼び出すまで、ジュシファーさんを全く疑ってなかったからなあ。


「ところで、教授、なにかご不便なことありますか」

「うーん、わしは独り身なんでなあ」

「あの、あたし時間を見て看病に来ましょうか」

「お願いしていいかなあ」

「わかりました」

「いやあ、ローラさんはやっぱり優しいなあ」


 仕方がないか。

 いろいろとルチオ教授とも御縁ができたしね。


 ジュシファーさんが消えた次の日、彼女の辞職願がドメニコ係長の机においてあったそうだ。

 驚いたドメニコ係長が、ジュシファーさんが届け出ていた住所に行くと、そこはゴミの集積所だったそうだ。係長が首をかしげていた。

 

 あたしは、一応、ジュシファーさんのことを事務長に報告した。

 ラウル事務長はただ黙って聞くのみだった。

 もう情報省から連絡はきていたようだ。


 三月末。

 今日が美文館で働く最後の日。

 一年はあっという間だなあ。

 事務長と係長、主任にお別れのご挨拶。

 ドメニコ係長には留任を求められたが断った。

 所蔵作品に多大な被害を与えた原因はあたしだからなあ。

 主任からは、「また、いつでも応募してくれ。歓迎するよ」と言われた。


 裏口から帰ろうとすると、あの黒猫ちゃんがいた。

 思わず抱きかかえる。


「黒猫ちゃん、今日でお別れね」

 

 その後、そっと地面に下ろして裏口を開けて、「さようなら」と黒猫ちゃんに言ったら、「ニャー」と答えた。まるで、さようならって感じで。


 この猫、やっぱり人間の言葉がわかるのかしら。

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