第十五話:マッシモ・プピーロ先生が作品を寄贈
サルヴァトーレ事務長が亡くなって、あたしは悲しい。
ほんの数か月の付き合いではあったけど。
一応、ルチオ教授にも秘かに知らせておいた。
教授もびっくりしていた。
「そうか、とにかく事務長さんのお悔やみ申し上げます。ただ、やはり『深淵への誘い』は危険だと思う。今後も、ローラさんはあの作品を厳重に監視してほしいんだが。あと、念のため、今後も美文館に作品が寄贈とかされたらその写真を送ってくれないか」
「はい、わかりました」
教授はあくまで、事務長が亡くなったのはクトゥルフ、そして『深淵への誘い』のせいと思っているようだ。
他の人たちはジュシファーさんのようにストレスが原因と考えているようだけど。
ドメニコ係長がオロオロしながら仕事をしている。
電話が来るとビクビクとして落ち着かない様子。
事務長の分も担当しなくてはいけないので大変みたいだ。
こちらも倒れるんじゃないかと心配してしまう。
まあ、もし倒れたとしてもドメニコ係長の場合はクトゥルフじゃなくて完全にストレスが原因だと思うけど。
後任の事務長は八月には就任するみたいだ。
「ああ、早く新しい事務長来ないかなあ」ってよくドメニコ係長が独り言を言っている。
ベルトランド主任はなんとなく羽を伸ばして仕事をしているような感じがする。
「上がいないと楽だなあ」とか言っているのを聞いてしまった。
人が亡くなったってことをわかってるのかしら、この人。
さて、いつも通りドメニコ係長が電話で喋りながらペコペコしている。
相手が見えないのにペコペコするって不思議だなあ。
あたしもやったりする事あるけどね。
「わかりました。その日にお待ちしております」
なにをお待ちしているのかと思っていたら、ドメニコ係長が電話を切った後、急に焦り始めた。
「しまった。その日は事務長の代理で会議があったんだ」
「いったい何の用ですか」
焦っている係長に主任が聞いた。
「一昨年の受賞者の工芸家マッシモ・プピーロ先生が作品を寄贈したいと申し込んできたんだよ」
「運送屋にまかせればいいんじゃないすか」
「いや、当日は御本人も立ち会うっていうし、作品の点検も行わなくてはいけない。悪いけど、ベルトランド君、代わりに立ち会ってほしいんだが」
「いいっすよ」
しかし、日付を聞いたベルトランド主任が急に難色を示した。
「まずいなあ、その日は一日中会計監査で文化芸術庁に行く用事があるんですよ。マッシモ先生には別の日に変えてもらえればいいんじゃないですか」
「いや、先生に対してもうかまわないと言ってしまったし」
作品の点検かあ。
まさか、ドメニコ係長がまたあたしに押し付けるんじゃないのか、嫌だなあと思っていたんだけど。
ドメニコ係長がジュシファーさんに言った。
「ジュシファーさん、マッシモ先生の作品の寄贈に立ち会ってくれないかなあ」
「はい、わかりました」
ジュシファーさんに仕事はまわった。
ほっとした。
どうも、あの作品点検ってのは苦手だ。
美術には素人なんだから。
しかも、お偉い先生の前でなんて出来ん!
まあ、事務員の序列からするとジュシファーさんが順当かな。
ちなみに、この作品の寄贈ってのは、かなり有名な芸術家が美文館に申し込んできても断ることが多いらしい。美文館に作品が所蔵されたってだけで、その作家さんの作品の値打ちがあがるそうだ。
しかし、会員や美文館賞受賞者の場合はほとんど問題なく受け入れてるみたい。
さて、ある日の午後、マッシモ・プピーロ先生が運送屋を連れてやってきた。
外は雨がザーザーと降っている。
ジュシファーさんが対応しているので、あたしは事務室に一人。
係長も主任も仕事で外出。
事務室に一人だけ。
寂しいけど、なんとなく羽を伸ばしたくなりますねえ。
静かな職場だなあ。
しかも、午後なんで眠くなってきた。
おっと、いかん、いかん。
また昼寝して、ジュシファーさんに起こされてしまって、そして、また笑われると。
看守の仕事も今日は終わったし。
やばい、また昼寝しちゃう雰囲気が出てきたぞ。
なんせ立っていても眠るあたし。
ああ、このままでは寝てしまう、どうしようかと思っていたら、いつの間にか事務室の入口にあの黒猫ちゃんがいるではないか。
ロベルト調査官に蹴り飛ばされたんで、二度と現れないかと思っていた。
「おお、黒猫ちゃん、久しぶりね。雨宿りかな。それともお腹すいてんの」
あたしは守衛室から、守衛のおじさんが置いていった猫缶を持ってくる。
勤務時間中だけど、いいだろう。
いや、よくないか。
けど、誰もいないし。
とは言うものの事務室には、突然、人が訪問してくる時があるな。
さぼっているのがバレてしまう。
と言うわけでこっそりと応接室に猫を連れていく。
お皿にエサを入れるとバクバク食べている。
食べ終わった後、猫が応接室の椅子に飛び上がって、その上で丸まった。
「なんだ、黒猫ちゃんはこの応接室が気に入ったの。まるでお客様のようね」
あたしが応接室で猫と遊んでいると事務室の方で電話が鳴った。
猫を置いて、廊下をはさんで事務室に戻って電話を取った。
印刷屋さんから、ジュシファーさんに美文館の概要印刷の件で問い合わせ。
今、席を外してますと答えたが、どうしてもすぐに確認したい件があるようだ。
印刷屋さんが焦っている。
しょうがないなあと、地下室の収蔵庫へジュシファーさんを呼びに行った。
階段を降りる途中、運送屋さんが上って来るのに出くわした。
「もう作業は終わったんですか」
「ええ、作品の梱包も終わりましたよ」
作業が終わったんならいいかと、地下室へ入り工芸部門の収蔵庫に行くが誰もいない。
あれ、マッシモ先生って工芸家じゃなかったっけ。
「ジュシファーさん!」とあたしが大声で呼ぶと、
「はーい、ローラさん、何でしょうか」と工芸作品が収蔵してある場所とは全く違う収蔵庫の奥の方からジュシファーさんが答えた。
ジュシファーさんとマッシモ・プピーロ先生らしき人物があたしの方へやって来た。
「あの、印刷屋さんから電話が入ってるんだけど」
「ああ、今、行きます。ローラさん、申し訳ありませんがマッシモ先生を応接室にご案内して下さい」
ジュシファーさんが小走りで事務室へ向かう。
あたしはマッシモ先生に挨拶した。
「美文館職員のローラと申します。この度は貴重な作品のご寄贈ありがとうございます」
「マッシモ・プピーロです。いえ、こちらこそ、私の作品を美文館に所蔵していただいて誠にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします」
こんな下っ端職員に対しても丁寧な対応。
礼儀正しい先生だなあとあたしは思った。
けど、以前、非常に格式の高い美文館の会員になろうとしている人は職員に対しては常に礼儀正しいってドメニコ係長が言ってたなあ。
「寄贈の関係書類に署名とか必要なので、マッシモ先生、応接室に来ていただけますか」
「わかりました」
あたしはマッシモ先生を案内したが、この先生、顔色があまりよくないなあ。
青白い顔してる。
思い出したぞ。
マルセル・パニョーニ会員が亡くなった時、「私はどうなるんでしょうか」って聞いてきた先生じゃないか。マルセル先生がいなくなって、誰が自分を会員に推薦してくれるかって悩んでいた先生だ。その後、どうなったんだろう。次回の会員選出は九月の総会で行われる。この先生を誰か会員に推薦してくれるのだろうか。
まあ、あたしには関係ない事ではあるけど。
マッシモ先生を応接室まで案内して、扉を開けると物凄い勢いで黒猫ちゃんが外へ逃げて行った。
やばい。
廊下を逃げていく猫の後姿を見ながらマッシモ先生があたしに聞いた。
「美文館は猫を飼っているんですか」
「いや、野良猫が迷い込んだんでしょう」
あたしは、そっと、床に置いてあったネコのエサ用のお皿を足で隠す。
その後、ジュシファーさんが書類を持って応接室に入って来たので、サッとお皿を拾ってそそくさと部屋から出た。
危なかった。
勤務時間中に猫にエサをやって遊んでましたなんて言えん!
しかし、気になることがあるなあ。
ジュシファーさんがマッシモ先生を見送って、事務室に戻ってきたので聞いてみた。
「ジュシファーさん、工芸作品の収蔵庫に居なかったけどどこに行ってたの」
「そうですねー、マッシモ先生がミケーレ先生の『深淵への誘い』を見たいって言い出したんですよ」
「え、それで見せたの」
「一応作品の方へ連れて行って、梱包の上から『展示厳禁』って貼ってあるから見せられませんって言いました」
「で、マッシモ先生はどうしたの」
「じゃあ、仕方がないですねってあきらめました」
「けど、あの先生、工芸家じゃないの。なんで絵画に興味持つんだろう」
「そうですねー、たまには絵画作品でも見て、あらたな創作活動のヒントでも得たかったんじゃないでしょうか。あの作品はナロード王国賞を取った有名な作品ですからねー、新聞とかにも載ったし」
ジュシファーさんはのんきなこと言ってるけど、あれは危険な作品なんだけどなあ。
なんで、マッシモ先生はそんな作品に興味を持ったんだろう。
それに美文館で所蔵しているってなんで知っているのか。
あまり公にはしてないんだよなあ。
ミスカトニク市立大学芸術学部に問い合わせたのだろうか。
不思議だ。
ジュシファーさんから写真を渡された。
「これ、マッシモ先生が寄贈した作品の写真です」
「ありがとうございます」
実は、ジュシファーさんにお願いして事前にマッシモ・プピーロ先生から寄贈作品の写真を何枚か持ってきてくれるよう頼んでおいたのだ。
見てみると、なんか気持ち悪い作品だなあとあたしは思った。
壺みたいだけど、変な軟体動物みたいな触手が何本も付いている。
しかし、ルチオ教授に郵便で送ったが、後日連絡が来て特に問題はないとのことだった。




