16
魔王が放とうとしていた炎の魔法が、急に消えた。
至近距離であれを撃たれて、避けられる体力なんて残っていない。直撃して丸焦げになっても、虫の息でしばらく生き残る……そんな最悪の想像をして、吐き気がぶり返しかけていたところだった。
……ここで攻撃をやめる理由はなんだ。どうせヤツのことだ、油断したところをぶっ飛ばすつもりなんだろ。そういう悪趣味な真似、平気でやりやがる。
警戒したまま身を固める。
――そのとき、空気が変わった。
魔王は苦々しい顔で舌打ちすると、ゆっくり目を閉じて動かなくなる。
……今度は、なんなんだよ。
少ししてパチリとヤツの目が開く。キラキラ澄んだ、ガラス玉みたいな……。
……ニト、なのか?
魔王は急に呼吸を乱して苦しそうにして、しばらく肩で大きく息をしていた。
オレはなにか言いたいのに言葉が見つからなくて、バカみたいに口を開けたままそれを眺めることしかできずにいる。
息を整えた魔王がまっすぐオレを見据えて、どこか安堵したみたいに穏やかに笑いながら言った。
「ジェイドくん。わたしを殺して」
魔王とも、一緒に旅してたときのニトとも違う。キラキラしてて、でも揺れない強さがある、そういう目。
……あの魔王から体奪い返す根性見せといて、最初に言うのが……結局それなのかよ。
「それがお前の望みなのか」
……言ってくれよ。
「あのね、ジェイドくん。わたし、前の世界ですごく下らないことで死んでしまって……」
ニトは、オレから目を離さずに話す。
「だからきっとこの世界に来たのは、神様がわたしにくれた死に直しのチャンスなんじゃないかって思うんです」
違うだろ。オレが聞きたいのはそんな言葉じゃねえんだよ。頼むから言ってくれ。
「……ニト、お前はさ、ほんの一瞬でも……オレと一緒にこの世界で生きることを考えたことがなかったか?」
だってオレは知っちまったから、諦めきれねえんだよ。だから、言えよ。
きっと今のオレは、焦りとか苛立ちとか恐怖とかが入り混じって、ただでさえ人相悪いってのにさぞかしおっかない顔してると思う。取り繕う余裕なんてこれっぽっちもない。
「知ってるくせにそれを聞くのは……ずるいですよ」
オレを見るニトの瞳が、揺れた。
力の入らない体を無理やり動かして立ち上がって、一歩、ニトに寄る。ニトの肩が小さく跳ねた。
「ここで終わりにするか、一緒に続けるか……選べよ」
手に持った斧を放り出す。また魔王が戻ってきたら詰みだけど、そのときはそのとき。
今のオレとニトの会話に、あれは必要ないものだ。
「……結末は……もう、決まっているんですよ。わたしが死んで、この世界は平和に……」
震える声で必死に話すニト。明らかに動揺してる。
「お前の書いた物語のことなんか聞いてねえ。お前が、今、どうしたいか。それを聞いてるんだよ」
語気を強めると、ニトは小さく震えながら涙を流す。クソ……泣かせたいわけじゃないのに、なにやってんだオレは。
でも、お前が選んでくれないと意味がねえんだよ。
「……せっかく決心したのに、なんでそんなこと言うんですか」
「この程度で揺らぐなら、決心しきれてねえんだよ。正直に言っちまえ」
右手を差し出す。
ニトはボロボロ泣きながら、震える声で、
「……い、一緒が、いいです……」
って言って、弱々しくオレの手を取った。その手をしっかり掴んで、ニトの体を抱き寄せる。
その背に――ナイフを突き立てた。
―――
背中に焼けるような痛みを感じる。その痛みはそれほど長引かず、視界が暗転した。
最期に見たのがジェイドくんの顔でよかった。
ジェイドくんは優しい。わたしが怖がらないように、見えないように刺してくれた。
掴んだ手は震えていて、ジェイドくんも怖かったんだと思う。それでも最後までわたしのことを気遣ってくれた。
暗く広がる空間の中にポツリと、誰かが胡座をかいている。
赤い瞳と髪に、二本のツノ。
「よ、クソ作家」
「こんにちは」
死んだ者同士、仲良くしましょう。
「はぁー……結局、俺死亡で丸く収まるってオチね」
「うん。ごめんね、アル」
「……あぁん? 今、俺のこと呼んだのか?」
不機嫌そうにわたしを睨みつける。もう死んでいるので、怖くない。
「本当だったらジェイドくんに呼ばれていたはずの、君の愛称だよ。わたしのせいでその機会がなくなってしまってごめんね、アルファルド」
「……この世界の人間が知りもしない俺の名を気安く口にしやがって。さすがは原作者サマってか」
アルファルドは心底つまらなさそうに吐き捨てる。本当なら誰よりも強いのにわたしの道連れで死んでしまうんだから、そりゃそうか。
「わたしが君の役割を奪わなければ、わたしよりうまく立ち回ってもっといい結末に辿り着けたかもしれなかったね。それも、ごめんね」
「……うっざ。それ、俺がこのクソつまんねえ世界であの雑魚と仲良くするエンディングってこと? 冗談キツいわ」
よいしょ、と立ち上がると、アルファルドはわたしに背を向けて歩き出す。その先には紫色の光がある。
そうか。もう、終わりの時間なんだ。
「じゃ、俺はこのクソみたいな世界とはおさらばするわ。次に生まれるのはお前のようなクソ作家が書いたクソみたいな世界じゃなくて、もっと面白い世界であってほしいもんだね」
「あ、待って。わたしも一緒に……」
「お前はこっちじゃねーから」
アルファルドと一緒に紫色の光に入ろうとしたら、見えない力で弾かれた。
「俺から勝ち取った命だ。せいぜいクソみたいな世界でクソみたいな人生送っとけ」
そうして、魔王アルファルドは光とともに消えてしまった。
置いていかれて立ち尽くしていると、
『ニト!』
ジェイドくんの声が聞こえた。
わたしは、あっちに行かなきゃ。
―――
目を開けると、ぐちゃぐちゃの泣き顔のジェイドくんと目が合った。
驚きすぎて声を出せずにいると、ジェイドくんはなにも言わずに笑って、頭を撫でてくれた。
「ジェイドく……え、あれ?」
声が、変? 変というか、女の子の声だ。
「お前、元の姿でもちっこいんだな」
ジェイドくんが優しい目をしながら言う。……元の、姿?
床に横たわったまま、自分の体を見たり触ったりして確かめる。
……わたし、秋山二兎の体になってる。
「え、な……なんで」
背中に手を回すけど、ナイフはおろか、刺された傷がある感じもしない。
さっきまでとは別の体なんだ……。
「もしお前がさ……」
ジェイドくんが立ち上がる。
「あのとき一緒に生きるほうじゃなくて、ここで終わりでいいって言ってたら、お前の望みならオレはすっげー嫌だけど叶えてやらないとなって思ってた。そしたら、お前が命かけて用意した平和な世界で、お前に誇れるような生き方しようって。それもきっとお前の言う“ハッピーエンド”のひとつだったんだろうな」
……でもわたしは、ジェイドくんと一緒を……選んだ。
「だからさ、お前がオレと一緒に生きるって言ってくれないと、オレが本当に迎えたいハッピーエンドに辿り着けねえなって思った」
「わたし……てっきり、殺してっていう頼みを聞いてくれたんだと……」
「……正直、あのやり方でほんとにうまくいくかわかんなかった。でも多分、『魔王を倒す』の部分をなんとかしないと強制力でどうしようもなかったし、あれしか思いつかなかったんだよ」
「ぶっちゃけ、手ぇ震えてたわ」って、ジェイドくんが照れくさそうに笑う。
……うん。知ってるよ。
「お前が生きたいって言ってるのにオレがお前を殺して終わったら、後味悪すぎてハッピーエンドにならないじゃん。だからお前から、一緒に生きたいって言葉が聞きたかった」
わたしが死ななきゃ、死ぬしかないって考えることをやめている間、ジェイドくんはずっと強制力とハッピーエンドについて考えていてくれたんだ……。
「……わたしの書いた物語はここまでです」
ハッピーエンドは迎えた。でも、ハッピーエンドのその先まで幸せな物語が続くかはわからない。
「ここから先は、なにも決まっていないですよ」
「そうだな。だから楽しいんじゃね?」
いつまでも床に横たわるわたしに、手を差し出すジェイドくん。
さっきは恐る恐るだったけど、今度はしっかりその手を掴んで、起き上がって、自分の足で立つ。
「あ、女の子だったこと隠しててごめんなさい」
「いや、だいぶ前から気づいてたけど」
え。
これにて第一部完結です。
第二部からは平和になった世界でのラブコメになります。




