第五章 愛されたいもの⑥
クレイン侯爵邸の執事は、手紙を届けにやってきたレベッカを友好的に迎え入れてくれた。どうやらエレノアからレベッカの話は聞いていたらしく、一度お会いしたかったと顔をほころばせた。
でも、肝心のエレノアは不在で会うことはできなかったので、手紙だけ渡すことになった。
送り主を確認した執事は眉をひそめたが、レベッカの頼みは断れないと言って受け取ってくれた。ちゃんとエレノアに渡してくれるらしい。
馬車に戻ると、テオドールが待っていた。
迷うことなくレベッカはテオドールの隣に腰かける。
「どうでしたか?」
「エレノアは出かけているみたいでしたが、手紙は受け取ってもらえましたよ」
「それは良かったですねぇ。これで、少しでもベンジャミンが仕事に集中してくれるといいのですが。最近はすっかり気落ちしているみたいで、あまり使い物になりませんでしたからね」
エレノアと会えないと嘆いていたベンジャミンは、ここ数日すっかり意気消沈していた。マナの浄化ができないこともあり、魔法をあまり使っていないそうだ。
だが、ベンジャミンも王宮魔法使いの一人。魔法をまったく使わないというわけにはいかない。
「これで、少しはエレノアの誤解が解けるといいですね」
エレノアがどうしてベンジャミンのことを年上好きで、なおかつ浮気をしていると疑っていたのか。
その理由は、きっと花街に行った時に二人の姿を見かけたからだろう。
テオドールたちに、どうしてあそこにいたのか直接聞くことはできない。
でも、ベンジャミンがエレノアを放って浮気するとは思えないので、何か誤解があったのだろう。
(ベンジャミンさんの気持ちが、エレノアに伝わるといいなぁ)
手紙で二人が元の仲良しになってくれることを願っていたレベッカだったが、それは叶わなかった。
数日後、ベンジャミンが再び邸宅を訪ねてきた。
テオドールの手のひらに乗った、リスの姿で。
◇
「ベンジャミンさんがちっちゃくなってる!?」
リスだ。手に乗るほど小さくて、なおかつ軽い。
亜麻色の毛に白っぽいシマシマが五本ほどできている。
ふさふさとした毛が生えた細めのしっぽが、そうとわかるほど落ち込んで垂れていて、なんというかこう胸をくすぐるというか、つい構ってしまいたくなる気持ちが……。
はわわわわと、指先で体を触ろうとしたら、横からさっそうとテオドールに回収されてしまった。
ベンジャミンは、彼の手の上で「はあ」と人間らしいため息をついているが、見た目はどこからどう見てもリスだ。
「ベンジャミンは僕が預かっておきますね」
「す、少しだけでも触りたいです」
「いくらレベッカさんの頼みでも、こればかりは聞けません」
「でも、こんなにもかわいいのにっ」
テオドールがいつもよりも早く帰ってきたと思ったら、肩に乗っていたリスがササっと移動してレベッカの手のひらの上に乗ってきた。その時点で、何このかわいい生き物と思ったが、必死に体を動かして何かを伝えようとしている姿に胸がときめいてしまった。
その後、自分がしゃべれないことに気づいたリスが、落ち込んでうなだれている姿に、さらにキュンとしたのだ。
エレノアが、ベンジャミン(のリスの姿)に夢中になるのが、よくわかる気がする。
リスの姿を見ると、自然と顔がゆるくなってしまう。
それを見たテオドールが、ぼそりとつぶやいた。
「……狼よりも、リスのほうがかわいいんですね……」
「え?」
「いえ、なんでもありません。忘れてください」
忘れてくださいというが、テオドールの言葉はしっかりレベッカの耳に届いていた。
どこかシュンとするテオドールの頭に、なぜか狼の耳が見える。
思わず手を伸ばして撫でたくなったが、ベンジャミンの前なのでいまは我慢だ。
「リスもかわいいですけど、狼はもっとかわいくて好きですよ。大きくって、つい飛びつきたくなるほどですから。私、犬は大きければ大きいほうが好きなんです」
「僕は狼ですが……。そうですね。レベッカさんは、僕――狼のほうが好きですよね」
ぶんぶんと嬉しそうに振るしっぽの幻影まで見えてきた。
リスが呆れたようなため息をついている。小さくてかわいい生き物なのに、なぜか人間っぽい。中身は人間だけど。
「ベンジャミンさんは、人間の姿には戻れないのですか?」
「マナ抑制剤を飲んで一時的に元に戻りましたが、またすぐにリスの姿に戻ってしまったんです。あまり薬ばかりに頼ってもいけないので、いまはひとまずこの姿になってもらっています」
リスが地団太を踏むようにテオドールの手のひらを足でタシタシとしているが、軽すぎて大した威力はないようだ。
「リスになったので言葉がしゃべれないみたいですが、言いたいことは分かりますよ。きっと、もっと魔法が使いたいんですよね。人間の姿に戻ったらたくさん仕事を用意しておきますからね」
テオドールが穏やかに微笑めば、リスの地団駄の回数が増えた。
「僕もそうでしたから。獣化しているときは魔法が使えなくてもどかしくなったものです。魔法が使えない魔法使いなんて、意味がありませんからね」
地団太を踏みすぎて疲れたのか、リスが仰向けに倒れる。
「エレノアとは、けっきょく会えなかったんですね」
「どうやら手紙の返事も来なかったようです。獣化する前も、朝晩と侯爵邸を訪問したそうですが、一度も会わせてもらえなかったとか」
ベンジャミンの手紙を侯爵邸に届けてから、もう数日が経っている。
どうしてエレノアは、ここまでベンジャミンとの対面を拒むのだろうか。
まだ薬があれば人間の姿に戻ることも可能らしいが、それも徐々に難しくなるだろうと、テオドールが言った。
このままだと、ベンジャミンは正真正銘のリスになってしまうかもしれない。
そうしたら、前みたいにベンジャミンと話すことができなくなってしまう。
「私、ベンジャミンさんをエレノアに届けに行ってきます!」
「そう思ってここに来る前に侯爵邸に寄ったのですが、会わせてもらえませんでした。リスの姿でも、駄目だそうで」
「じゃあ……どうしましょう」
もしかしたらエレノアは、本当にベンジャミンに愛想をつかしてしまい、リスになることを望んでいるのかもしれない。
(でも、エレノアがそんなこと考えるかな。……何か、会えない事情があるのかも)
「今日はもうすぐ暗くなるので、明日の昼頃にまた行ってみようと思っています。昼過ぎになると、クレイン嬢は出かけるみたいですので、そのタイミングを見計らおうかと」
「私もついて行ってもいいですか?」
「もちろんですよ」
断られるかと思ったが、テオドールはすぐに承諾してくれた。
翌日、昼前にレベッカたちはリスになったベンジャミンを連れて、侯爵邸が見えるところにいた。
馬車には乗らずに、物陰からひっそりと見ている形だ。
傍から見たら不審者そのものだけど、隠遁魔法を使っているので周囲は誤魔化せているはずだ。魔法使いでもない限り。
直接侯爵邸を訪ねられたらよかったのだけれど、レベッカのことはこころよく受け入れてくれるかもしれないが、ベンジャミンの姿を見たら断られる可能性がある。
門前払いを食らうのは目に見えて明らかだったので、こうしてエレノアが出てくるのを待つことにしたのだ。
昼ぐらいになると、侯爵邸の門が開いた。
中から一台の馬車が出てくる。
「クレイン嬢が乗っていますね」
「見えるんですか?」
「魔法を使いました。遠くのものも見ることもできるんですよ」
「魔法って、すごいですね!」
馬車は質素な馬車だった。どこかにお忍びで出かけるためのもの。
「いますぐ声を掛けますか?」
「いえ、侯爵邸の前で馬車の通行を止めたらさすがに問題になりますので。後をつけましょうか。……少々、気になることもありますし」
さっきまで穏やかな笑みを見せていたテオドールの顔が、なぜか険しくなっている。
不思議に思いながらも、リスを連れたテオドールと共にレベッカは馬車の後を追った。
そうしてやってきたのは――花街だった。




