第五章 愛されたいもの⑦
侯爵家の馬車に揺られてエレノアがやってきたのは、花街に続く橋の近くにあるお店だった。
二階建ての建物は一階がカフェになっているが、とっくの昔に潰れていていまは営業していない。エレノアが用があるのは二階だった。
エレノアは、箱を抱えて馬車から降りた。
箱の中には大切なものが入っている。エレノアは繊細な割れ物を扱うかのように箱を抱える。護衛が持ちましょうかと言ってくるが、こればかりは彼らに頼るわけにはいかない。
「いらっしゃいますか?」
扉越しに声をかけると、静かに扉が外に開いた。
扉の先には誰もいない。不思議な光景に見えるけれど、これは《魔道具》だ。
特定の人物の姿を察知すると、自動で扉が開くことになっている。建物の住人は《魔道具》を集めていて、この建物には様々な《魔道具》の仕掛けがあった。
護衛には外で待ってもらい、エレノアは一人で建物の中に入る。
一階のカフェスペースを通り過ぎて、二階へ続くの階段を上っていく。
二階にはいくつか扉が並んでいるが、その手前の扉が音もなく開き、エレノアは待っていられないとばかりにその部屋の中に飛び込んだ。
「先生、うまくいきましたわ!」
抱えていた箱を床に降ろす。
蓋を開けて、中から取り出したのはひとつの鉢植えだった。
鉢植えには小さな芽が出ていて、いまにもすくすく育ちそうなほど艶がいい。
「やっと、芽が出たんですよ。どうですか?」
鉢をのぞき込んだのはフードを被った人物だった。
「あら、いいですねぇ。あなたには、やはり特別な力があるようです」
フードの下からは女性の声が聞こえた。
エレノアはこの人物の顔を見たことはないけれど、声はまだ若いようだった。姿を見せない理由を聞いたことがあるが、顔に傷があり見られるのが恥ずかしいと言っていたので、無理やり見ることはしなかった。
この女性と会ったのは、ベンジャミンに「距離を置きましょう」と言った翌日のことだった。
エレノアはベンジャミンにああ言ったものの、本当にお見合いをするつもりはなかった。縁談の話はすべて両親が断っているためお見合いに発展したことは一度もない。エレノアにそのつもりがないというのもあるけれど。
ベンジャミンの反応は、エレノアの嫌な想像通りだった。
もしかしたらお見合いなんてするなと言われるかもと期待していたが、彼は反対しなかった。それどころか、いいんじゃないかとか言ってきた。
(ベンジャミンは、本当に私に興味がないのね)
それに無性に苛立ち、悲しい気持ちが胸に広がり、つい彼と距離を置こうと言ってしまった。
その次の日、自分に何が足りないのだろうかと考えた末、エレノアが向かったのは花街だった。
ベンジャミンは年下のエレノアよりも、年上の女の人が好きに違いない。前に花街で会った女性は、エレノアにない大人の魅力を持っていた。服装だけ真似してもベンジャミンは見向きもしてくれないのなら、内面から変える必要があるだろう。
だが、前に訪れたお店の女性は、エレノアの言葉を聞くとため息を吐いて、まるで野良犬を追い払うかのようにしっしっと手を振った。
「私たちをあまり馬鹿にしないでくださいな。ここは、お嬢様のような方が来るところじゃないんですよ」
相手にもしてもらえずに落胆したエレノアは、とぼとぼとした足取りで橋を渡っていた。
そこで、声をかけられたのだ。
「何かお困りなら、私が話を聞きましょうか?」
優し気な女性の声だったのもあり、エレノアはついその声に耳を傾けてしまった。
護衛たちもフードを深く被った女性のことを警戒していなかったこともあり、エレノアは彼女に連れられるがまま近くの建物に入った。
エレノアは流されるがまま気持ちを吐き出して、自分が聖女であることまで打ち明けてしまったけれど、女性はエレノアを気遣って寄り添うような言葉をかけてくれただけだった。
それに安心したのは無理もないことだろう。
女性はエレノアが落ち着くのを見計らうと、予想外の提案を持ち掛けてきた。
「お嬢さんは、魔法にご興味はありませんか?」
「魔法、ですか?」
「実は、私は昔から《魔道具》に興味があり、それらの研究をしているんです。この建物にもいままで集めた数々の《魔道具》があるんですよ」
「《魔道具》の研究……」
アーニアール王国には多種多様な《魔道具》があるものの、それらを生み出すのは魔塔の魔法使いのみだ。魔法使い以外の――それも、女性が《魔道具》の研究をしているということに、エレノアは興味を持った。
「この国では女性は魔法を使えない――という話はご存じですよね?」
「ええ。そもそも女性にはマナを蓄えることができないと聞いたことがありますわ」
魔法を使うには、マナを魔力に変換する必要がある。魔法使いだとそのマナの副作用で獣化してしまうことはあるものの、女性はそもそもマナを蓄えること自体ができないということもあり、魔法を使うことができないのだ。これは王国の人間にとっては一般常識でもある。
「では、聖女の神聖力はどういうものか、わかりますか?」
「えっと、マナを浄化することができる特別な力ですわ。希少な力で、聖女は生まれながらにして神聖力を保持していると聞いたことがあります。そして、それは成長するにつれてどんどん増えて、十歳で開花されると」
神聖力は、神の恩恵だ。神殿ではそう習った。
マナとは違って聖女自身が持っている力で、神に選ばれた証である。
だからこそ、マナを浄化することができるのだと。
エレノアの説明に、フードの女性は満足したように頷いた。
「私はずっと疑問に思っていたんです。どうして女性は魔法を使えないのか。そもそも聖女の持つ神聖力とはいったい何なのか」
「それを知るために、研究をしているのですか?」
「ええ、そうとも言えますね」
どこか不思議な声音だった。まるで自分の感情を隠しているようでもある。
そして、女性は言った。
「実は、女性でも魔法を使う方法があるんです」
「それは、どういう……?」
これ以上話を聞いていいのか不安になるが、気になってエレノアは問いかける。
「誰でも魔法が使えるわけではありません。……ですが、少なくとも聖女であれば、もしかしたら可能かもしれないんです」
「……私も、魔法が使えるということですか?」
思わず唾を飲み込む。
自分が魔法を使えるかもしれないなんて、そんなこと考えたこともなかった。
この女性の言うことは怪しい。それはわかる。
でも、彼女の言葉に、エレノアは惹かれていた。
「残念ながら私に神聖力がないからか、試したことはあまり芽が出ずに、研究も行き詰っていました。ですので、ここで会ったのも何かの縁です。もしお嬢さんさえよろしければ、私の研究に付き合っていただけないでしょうか?」
すぐに返答できなかった。
女性はそれをわかっているのか、答えを急かすことはしない。
「もし、私の研究に付き合ってもらえるのであれば、ひとつ特別な薬をご用意しますよ」
「特別な薬、ですか?」
「ええ、愛の妙薬はご存じですか?」
愛の妙薬。花街の住人は、果実の種のようなものだと言っていた。
エレノアはその薬を探る最中に、花街に通うベンジャミンの姿を見つけてしまったのだ。
「もし研究に付き合っていただけるのであれば、愛の妙薬を一粒ご用意しますよ。あなたの浮気者の魔法使いに使ってみるのもいいでしょう」
「……本当に、いただけるのですか?」
甘い誘いだってのは分かっている。でもいくら探しても見つけられなかったものが目の前にあるのだ。飛びつかずにいられなかった。
エレノアが頷くと、女性はひとつの鉢植えを渡してきた。
まずは、魔法を使える適性があるかを調べるためだそうだ。
「この鉢植えには、とある種が植えられています。これに毎日神聖力を注いであげてください。発芽をすれば、あなたに魔法適性があるということになります」
「神聖力を注ぐだけでいいのですか?」
「ええ。おそらく一周間か、それ以上かかかりますが」
本当に自分に魔法の適性があるのか、そもそも魔法が使えるのかどうかはわからない。
でも、もし魔法が使えるのであれば……。
エレノアは頷いていた。
「わかりました。やってみます」
あれ以来、エレノアは毎日、鉢植えに神聖力を注いだ。
芽が出る気配がなくて、心配になって毎日のようにこの建物に通ったものの、女性はエレノアを拒否することはなかった。
そして十日目にしてやっと発芽したのだ。
「これで、私も魔法が使えますよね?」
「まだ、あくまでも適性の段階ですよ。魔法が使えるかどうかは、あなたの努力次第です」
女性は呆れたようなため息を吐いたが、その声はいつもよりも軽やかだった。
「あなたであれば、もしかしたら私の長年の夢が叶うかもしれないですね」
「夢?」
「こちらの話です。――では、次の段階に移りましょうか」
エレノアは特に深く考えることなく、女性の言葉に頷いた。
女性も、研究に進展があったことが嬉しいのか、どこか楽しそうだ。
だから、夢中になっている二人は気づかなかった。
この部屋のなかに別の人――いや、一匹の生き物がいることに。
こっそり建物に侵入していたリスは、二人の会話を聞いて顔面を蒼白にさせた。
(て、テオドール様に伝えないと!)
そして、逃げるようにその場から脱出した。




