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「そういえばラズワルド公爵家の本邸なのに、使用人が四人って少なすぎないかしら?」
私は自分の部屋でリリスに淹れてもらった紅茶を飲みながら、かねてからの疑問を口に出した。ミリーナに任された庭仕事を終え、今は優雅なティータイムの時間なのだ。
リリスの余計な仕事になってしまうので申し訳ないが、この時間だけは譲りたくない。たった三日間でもそう思わせるくらい、彼女の紅茶は美味しかった。
ちなみに私の側で控えているリリスにも、席に座るよう求めたが断られてしまった。「皆で晩餐を共にしているのだから、今更身分を気にする必要はない」と言っても首を縦には振らない。無理強いする事でもないので私は早々に諦めた。
「アリア様、残念ながらここは本邸ではございませんよ」
「そうなの!?」
驚いた私に彼女は困った笑顔で対応する。言われてみれば私の離れほどの大きさしかなく、最初に見た時も予想より小ぶりだと思った。しかしまさか公爵本人の住む家が別邸などとは考えない。
リリスはため息をつくような調子でうなだれた。
「アリア様もお聞きになりませんでしたか?エドガー様は公爵でありながら実務を弟に任せている、と」
「確かに聞いた事があるけれど…。他の悪い噂同様に嘘ではないの?」
「はい。あれは人狼のそれと同じように本当でございます。無論、旦那様が何もしてない怠け者という訳ではございませんが」
「そうなのね」
「その辺りの事情については旦那様がいずれお話になると思います」
私は彼女の言葉に頷いてみせた。事情とやらに興味は引かれるが実はそこまででもない。彼が一般常識的に変わっていたとしても、優秀な人である事は私にも分かる。ならば私が心配するまでもないだろう。
でも、それにしても使用人が少ないわ。彼が人狼だという事を差し引いても少ない。たとえどんなに嫌われていようと、彼が望めば大抵の事は叶う。それが貴族社会で一番誉れ高い『公爵』の特権なのだから。
では、公爵自身が望まなかったのね。私は簡単に推察できた答えに合点がいった。この屋敷も品格はあるが贅沢三昧という雰囲気はない。むしろ学院の方が金を湯水のように使っていた。
「それにしても別邸が良いとは変わっているわね」
「いえ、それが…」
「もしかしてエドガー様が望んだ訳ではないの?」
リリスが言葉を濁した事で私はすぐに理解した。彼が本邸を自分から離れたのではない。それはつまり追い出されたという事。しかも当主を追い出せるくらいの決定権を持つのは、ラズワルド公爵家当人たちだけ。
要するに「家族に切り捨てられた」という事だろう。
「私も魔女と呼ばれた身だから分かるけど、それはあまりに非道だわ。少なくとも最初は愛されていたのでしょう?」
「はい。ですが人狼にはよくある事ですから。仕方ありませんよ。実際、私も人間だった頃は人狼が怖かったですしね。それにエドガー様の弟君だけは、変わらず接してくださるようですし…」
私も家族には愛されなかった。それどころか顔も覚えていないほどの蚊帳の外だ。しかし私は最初からそんな風に避けられていたために、家族に対して情も愛もない。だからこそ悲しくはない。
だが人狼の場合は違う。今まではずっと親しくしていた人が、記憶にない変身のせいで突然避けるのだ。当たり前の幸せは遠くの彼方に消え、経験した事のない孤独が襲ってくる。愛を知っているから尚更辛いはずだ。
でもまだ、弟が味方なだけ良い方なのかもしれないわ。人狼だと知っても態度を変えない人がいれば少しは救われる。私にとってのレオのように。
まぁ、そのレオに裏切られたのだけれど。私は自嘲気味になる自分の根暗さに辟易しながら、ティーカップに口をつけた。そして鼻に抜ける香りを楽しみ感情を鎮めて話し出す。
「その弟君はエドガー様を信じていらっしゃるのね」
「はい。そのせいで、たくさんの妻を迎える事になってしまいましたが」
「そうなの?」
「弟君はエドガー様のご子息を後継にしたいらしく、強引に縁談を進めてしまうのです。しかもそれをエドガー様が断らないから、公爵という肩書きにつられて多くの女性がやって来ます。ですが公爵夫人らしい贅沢もできないどころか、ここの使用人の自由さは規格外ですからね。人狼だという事も災いして、短期間で離縁されてしまうのです」
「そして残るのは独身という事実と、歴代最多の離婚歴だけ…」
そもそも離縁というのはとても珍しい事で、どんなに破綻した夫婦でもそこまでは踏み切らないのがほとんど。するとしたら、自分の名誉を傷付けても相手を失脚させたい場合くらいである。離縁はそれだけ大変な汚点であり、クズの証拠にもなるのだ。
それを両手の指の数ほど繰り返している公爵は、正に史上最悪の「結婚してはいけない男」。いや、むしろ「近づいてはいけない男」の方が正しい。
だけど、実際は違った。
そして離縁の理由も取るに足らないものだった。本当は公爵としても、紳士としても、人間としても慕われるべき存在だ。
だからこそ疑問が浮かぶ。弟君はなぜプライドの高い女性ばかりを選んでいるのか、と。
もし貴族らしくない素朴な考えの令嬢が嫁いだとしたら、こんなにも離縁される事はないはず。そしてそういう娘は珍しいと思うが、公爵家の力を使えばほぼ確実に見つかるだろう。しかし、それをしなかった。
さらに後継ぎのために結婚を推し進めているなら、私を選ぶ事自体がありえない。たとえやましい事がなくても子供には悪評が付きまとうだろう。何せ、人狼と魔女の子だ。人狼だと言うだけでエドガーを見捨てた公爵家が、そんな子供を次期当主として認めるとは思えない。
この違和感、正体など一つしかないように思うのだけれど。
私はため息をついて目を閉じた。