第三の語り 止めない理由と止める理由
「……止めるつもりですか」
木製の椅子の上に立つミキは、静かな物腰でそう言い、少年へ顔を向ける。そこには先程まで少年と会話をしていた少女の顔は無かった。その顔は、冷静さを保ちつつもどこか寂しさを感じさせ、なおかつ何かを覚悟したような顔。
少年は彼女の顔を見つめ、静かに口を開いた。
「いいえ、その行為自体は止めはしません」
「……え?」
少年のその言葉にミキは驚きの表情を隠せなかった。そして、少年はまるで水の溜まったダムが決壊でもしたような勢いで、言葉を吐き出し始めた。
「ただし、この部屋で自殺してもらうのは困ります。見たところロープによる絞殺を考えているようですが、もしも気が変わり刺殺などで血が部屋中に飛び散ったとしたら、それを処理するお金なんてウチにはありません。例え、血が出ないとしても死体処理をしようとしたら危ない橋は渡る、お金もかかる。公の機関である街の警備兵に連絡しても、自殺した現場であるという悪い噂にでもなったりしたらここは潰れます。だから、自殺するなら――」
少年が激しく吼える中、ミキはまるで石像のように固まったまま。その様子をことごとく無視して少年は話を続けた。そして、少年は最後の一言に、自分の思いの全てを込める。
「他所でやれっ!」
部屋の窓がガタガタと軋む音だけが響き渡る。
少年が叫んだ後、静かな時間が数秒間流れた。言いたいことは全て言い切ったような表情を少年はしていた。
ミキは慌てながら少年に尋ねる。
「ちょ、ちょっと待って。こういう時って普通は止めたりするものじゃないの? ほら道徳的な観点などから……」
「止めて欲しいんですか?」
「いや、そういうわけでは……」
「あなたが言いたいのは恐らく心の問題でしょう。『死んだら悲しむ』が代表的な例ですね。ですが、私はあなたと知り合ってからそれほど時間が経っていません。大した感情を持ち合わせていないので、別に悲しくともありません。親しいわけではありませんから。さぁ、荷物をまとめますので外に出て行ってください」
そう言うと、少年は何のためらいも無く彼女に近寄りロープを奪い取った。その行動が彼女にとってあまりにも突然の出来事だったため、抵抗する暇も無かった。彼女が立っている椅子の近くに転がっていたキャリーバッグを少年が開ける。
中には、何かを包んだタオルや何か不思議な液体の入ったペットボトルが入っていた。包丁でも包んでいるのだろうか。何かの薬品でも入れてあるのだろうか。どうせどれもこれも自殺するための道具なのだろう。
少年は深く考えず先程奪ったロープをキャリーバッグの中に無造作に突っ込んだ。キャリーバッグを閉めると、部屋の外へそれを持ち出そうとした。
その姿を見ていた彼女が口を開く。
「ちょっと待って」
「何ですか、まだあるんですか」
少年の足がぴたりと止まる。彼女の声はかすかに震えていた。
「話だけでも……聞いてください」
「自殺しようとしている人の話なんて興味はありません」
さっぱりとした対応で少年は話に耳を傾けようとはしない。
少年は気づいていなかったが、少女は両手の拳を握り締め震えていた。
「だったら!」
そう叫ぶと、少女は椅子を倒しながら勢いよく降りて部屋の窓を開ける。窓からは強風とともに雪が侵入してきた。そして、彼女は窓に向かって登ろうとする。窓は彼女の身長よりも少しだけ高い位置にあった。
「こ、ここから飛び降りて……し、死にます」
吹き荒れる吹雪に向かって体を乗り出す彼女。その覚悟とは裏腹に体は正直で、いや彼女の本心が恐怖を感じているのか分からないが、震えていた。窓枠をしっかりと握った両手も、そこに足をかけようとする両足も、少年の方を見つめる彼女の顔も。
少年はかすかに思った。あぁやっぱりわがままなお嬢様なんだな、と。
「……分かりました」
少年はキャリーバッグを部屋の隅に置いて、部屋から出ると続けて静かにこう言った。
「話ぐらいは聞きましょう。ですが、この部屋はあまり使いたくないので一階でお願いしますよ」
暖炉の火がぱちぱちと音を立てながら燃える。
「う〜、あ〜、あったけ〜」
少年が両手を暖炉に向けている。意味を持たない言葉を吐きながら、両手を揉んだりぶらぶらさせたりしている。少年は、先程の騒動でミキが開けた窓から部屋の中へ入り込んだ雪の片付けをしていた。片づけを終え、冷たくなった両手をさすりながら、少年は一目散に暖炉へ向かい、今に至る。
ミキはそんな少年の後姿をソファに座りながら見ていた。
「なんで分かったんですか?」
「何を?」
「自殺しようとしてること」
「ん、あぁこれ」
少年はミキの方を向かないまま、ズボンのポケットから手帳を取り出し、見えるように挙げた。それを見て、ミキは納得した表情と寂しげな表情を合わせた複雑な表情を顔に浮かべた。そして、一言「そうですか」とだけ小さく呟き黙ってしまった。
その一言で、先程まで意味の無い言葉を出していた少年の口も開かなくなった。暖炉が燃える音だけが静かな部屋中に響き渡る。
「最後のページ」
「え?」
沈黙を破ったのは少年の方だった。
「何度も開いているみたいで、自然とそのページが開けるようになってた。誰だって手帳のページの余白を埋め尽くすほどに、『死にたい』と書かれていたら気づくだろうな」
「そうですね」
一呼吸だけ間を置いて、少年が言葉を続ける。
「それでなぜ? 自殺をしたいと思った理由はなんだ?」
「それは……」
「それは?」
少年の体が暖炉ではなくミキの方へと振り返る。少年は落ち着いたまなざしで彼女の顔を見つめた。それに気づいたミキはテーブルへと視線を移し、ゆっくりと話し始めた。
「自分自身には非があるだなんて最初は思っていませんでした。付き合い始めた友人達とも仲良く遊んだり、旅行をしたり。でも、親の名前を出すだけで、友人も友人以外でもどんどんアタシの周りから離れていったんです」
「……親父さんが」
少年が落ち着いた声で口を挟む。ミキは少年のその声に反応して無意識に少年の方を向いた。
「極悪大魔王であるとかそういう落ち?」
ミキの眉間にしわが寄る。
「違いますっ! でも、次第にアタシの周りには誰も寄り付かなくなって、そこから自分自身に何か非があるんじゃないかって思い始めて」
彼女の話を聞きながら、少年は右手を握り締めて親指を顎に当てながら何かを呟いている。なにを呟いているんだろう? それに気づいたミキは耳を澄まして、少年の小さな声を聞くことに集中した。
「……親父に借金がある方が面白いか? いや、そもそも親父との仲が悪い方が面白いか、それでも」
聞いて呆れたミキは静かに、けれどもどこか怒りを感じさせる口調でこう言った。
「アタシの人生を、自由に想像してくれてますね」
「いや、そっちの方がほら盛り上がったりするかなって思ったり、ね」
「ね、じゃないです。それで」
笑いながら話す少年の顔を見つめるミキ。しかし、次第に顔の表情が暗くなり、視線を落とし、どこか遠くを見つめる。暖炉の燃える音は小さく部屋中に響く。
小さなその音に呼応したのか、ミキの声も小さくなっていた。
「なんだか分からなくなって。親も普段からアタシに寄り添わないし、誰だってアタシのことを良くないと思ってるんだと感じ始めて。そうじゃないって自分に言い聞かせても、どこかでそうだって思い始めたりして。結果的には自分も他人も信じることが出来なくなり始めて どうせ皆は内心ではアタシを見下したり避けたりしてるんだって……」
最後の言葉を濁し、ミキは沈黙する。その様子を見て、少年はミキに近づきこう言い放った。
「ベタだね、うん」




