第二の語り サボりと目的
「……そうですね。泊まる場所が無いことは確かです。それに、助けていただいたみたいなので。ここに泊まることにします」
「よしっ、それで君の名前は? 一応聞いておかないと何が起こるか分からないから」
「私の名前はミキ。ミキ・カミヤ」
「ん、もしかして漢字表記もできるのか?」
「え、一応……できます。その場合、神様の神に谷と書いて神谷、神様のお酒で神酒になります……」
「すごい神々しい名前だな。あぁそうだ、部屋は2階にあるから」
それだけ言い終えると、少年はミキに背を向けて歩き始めた。そして、数歩歩いたと思うと突然ぴたりと立ち止まり、横顔を少女に見せて付け足すようにこう言った。
「どこの部屋使ってくれても構わないからね。お客さん、君だけですから」
その言葉の後、彼は顔の向きを元に戻し、また数歩歩いて少年の背丈よりも少し高い扉を開けた。彼の姿がその扉の中へ吸い込まれていくのを、ミキはマグカップを右手に握ったままじっと見ていた。
少年が消えて、一人残された彼女は、自分がいるこの部屋の中を見渡す。まず彼女の目に飛び込んできたのは、大きな両開きの木製の扉だった。先程少年が開けた扉よりもさらに高い扉で、それは彼女から見て左側にあった。その扉の内側の地面はフローリングの床と異なっており、地面がそのまま中に繋がっている。そこに彼女の靴と思われる物がちらりと見えたことから、彼女はそこが玄関だと解釈した。
あれ? なんだろう。なにか変な音がする――。
「……外、吹雪いてるのかな」
激しい音を立てながら、外からの暴風と吹雪から部屋の中を守ろうとする扉の姿が、彼女の目には写っていた。その扉の近く、ミキから見て奥側には大人一人だけが入れるようなカウンターがあった。カウンターの上にはノートのような何かが置いてある。そして、彼女から見てカウンターの右隣には、先程少年が吸い込まれていった扉があった。木製のその扉には看板が掛けられており、「厨房」と書かれていた。先程少年が扉を開け閉めしたせいで、看板が揺れていた。そのままミキは視線を右に移す。今度は、玄関の扉とは反対の位置に木製の階段が見えた。
ミキは気のせいだろうか、と思った。あの少年にはサボり癖があるのか? そうでもしなければ宿屋の階段があの状態にはならないだろう。彼女がそう思ったのは階段が埃を被り荒んだような色合いをしており、掃除されていないように見えたからだ。
次に、ミキは自分の周辺に視線を移した。テーブルを囲むようにして、左側に一人用の椅子、右側にも一人用の椅子。そして、自分が座るソファが置かれていた。右側の椅子の後ろには少し距離を置いて、煉瓦造りの暖炉があった。先程から聞こえるのは、この暖炉の燃える音だったのか。
「あ、荷物」
ここで、ミキはこの部屋に無い物に気づいた。どれだけ部屋を見渡しても、それらしき物は見つからない。彼女は念のため、座っているソファの後ろも探したが存在しない。再び眉間にしわを寄せながら、彼女はマグカップに残っていたココアを思いっきり飲み干すと、ソファから立ち上がった。マグカップをしっかり握りしめ、両手を思いっきり振りながら一歩一歩少年の消えたドアへ近づいていく。
そして、その目の前にたどり着いた。
「……」
しばらく黙りこんだ彼女は、空いていた左手でドアを2回ノックしようとした。
しかし、1回ノックしただけで扉は開いた。
「あれ、まだ2階に行ってなかったの?」
突然扉がミキ側へ開いたが、彼女は驚きながらも体を後ろに下げて回避していた。数秒間二人の間に沈黙の時間が流れた。
そして、その時間は彼女の一言で終了する。
「び、びっくりするわぁっ!!」
「居るとは思わなくて……それで何? あ、マグカップでも返しに来てくれた? そのまま置いといてくれれば後で片づけたのに」
ミキの顔は真っ赤になっており、先程よりもさらに眉間にしわが寄っていた。少年はそんな様子に目もくれず対応し続ける。
「荷物!」
「単語で人に意思を伝えるとはなかなか面白い方法を採るね。荷物なら預かってたから俺の後ろにあるけど」
「返せ!」
「今度は命令かぁ。もう少し文を作って会話できるといいんじゃない?」
「うるせぇ!」
「……俺の見た感じお嬢様だったんだけどな」
「さっさと荷物!」
「はいはい、お待ちくださいね」
少年は右手で頭をかきながら、後ろを向いて左手でキャリーバッグを持ち上げ、ミキの前に置いた。彼女はじっと置かれた荷物を見ていたが、しばらくして少年に中身が空になったマグカップを差し出した。厳密に言うと差し出したのではなく、突き出していた。
その様子を見て、少年は呆れながらもマグカップを受け取る。そして、ミキに階段を上がる時に気を付けるように一言言った。それに対して彼女はこう答えた。
「分かってます!」
冷静さを失ったミキは急いで階段へと向かった。少年の言動により失った冷静さは、少女にキャリーバッグを引いていくという判断を失わせた。必死にキャリーバッグを持ち上げて、一歩一歩進んでいる彼女の後姿を少年は見ている。少年は少年で笑いを堪えるのに必死だった。
階段を上り切り、少年の視界からミキの姿が完全に消えた。少年は笑い出すことを抑えるために、深呼吸しながら左手でドアノブを握り、扉を閉めようとした。
「ん?」
そのとき、地面に引っかかる何かに気づいた。少年は、それが何であるか気になったため右手でそれを拾い上げる。それは黒い布のカバーが付けられた手帳。
「さっき扉を開けたときか……」
誰が落としたか少年には正解が分かり切っていた。
少年が手帳を拾い上げた時には既に手帳はあるページを開いていた。手帳の状態から、何度も何度もそのページを開いていたようで、形状記憶が働き、自然とそのページが開かれるようになっていた。
そして、少年はそのページに目を向けた。
「……ちっ!」
少年の顔が鬼の形相へと変化する。
少年の頭の中には先程2階へ向かったお客様のことで一杯だった。この手帳の持ち主は確実にあいつ。だとすれば、もしかしたら、ここで――。
少年は勢いよく走りだし、階段を駆け上がった。騒音も駆け上がる姿も、何も気にしていなかった。ただただあの小さなお客様が今どの部屋にいるのかを考えていた。
「日頃のサボりのおかげだな……」
少年の目に2階の廊下が見えた瞬間、彼はそう呟いた。彼が言った通り、この山河貸室屋は客がいなかった。さらに、集客のための活動もしていない。そのため、廊下を挟み左右に4つずつある扉全てが開きっぱなしになっていた。
ただ一つの扉を、この日この時だけは除いて。
「間に合ってくれよ、っと!」
少年がそう言いながら、唯一閉まっている扉のドアノブに手を掛け、勢いよく扉を開ける。右奥から2番目の部屋の扉。そして、少年は飛び込むような勢いで部屋の中に入った。
そして、少年はこう言い放った。
「お客さん、この部屋で何をなさるつもりで?」
そこには、天井からぶら下がる照明に縄を引っかけ、逆側の先端に輪を作っている、椅子に乗った少女が居た。




