音葉と数字
『剣じゃない』
ギルの言葉が、的の頭の中をぐるぐる回っていた。彼はあれから、クピルから借りている石板ーー教科書に書かれた呪文ーー古代文字を片っ端から試していた。だが、どれも剣ほどの威力は出ず、壁にぶち当たっていた。
ルヴィニがアメティスを追う形で、星空に浮かんでいる。学園の中庭。噴水の音がいい具合に、まわりの話し声をかき消し、的は一人きりの世界に入り込み、ぼんやり星空を眺めていた。
あとは攻撃力を上げるだけと思っていたところに、武器が違うと言われて。確かに、悪魔一人倒すのに五振りも必要とは、他のクラスメイトの攻撃力のすごさを見てきた的としては、素直にギルの言うことを受け入れるしかなかった。
手足をだらっと投げ出し、
「はぁー……」
的は大きなため息をついた。と同時に、隣からも同じように、ため息を聞こえてきた。
「はぁー……」
まさか隣に人がいるとは思っていなかったので、的はぎょっとした。相手は気づいていないようで、教科書の石板を灯草で照らし、難しい顔をしていた。よくよく見てみると、召喚科、一年のミザリオだった。この間のように怒っていなかったので、的はすぐには気づかなかった。何をしているのか見ていたが、ミザリオは全く気づく様子を見せなかった。石板を凝視して、
「数字なら得意なんだけどなぁ……」
ひとりごちて、またため息をついた。
的は以前、助けてもらった(?)時のことを思い出し、声をかけるのをやめた。また、喧嘩になると思って。ミザリオの見ている教科書を覗きこむ。どうやら、召喚魔法の呪文のようだ。的が見たこともない古代語がぎっしり書かれている。召喚魔法は、攻撃だけでなく、防御、治癒なども入る。そのため、覚えることが、攻撃科よりはるかに多いのだ。また、頭の中で、ミザリオは呪文がこんがらがっているようだ。
召喚科は大変なんだなと、的は思った。が、その時、的はさっきのミザリオの言葉を思い出した。『数字が得意』。的はぱっとひらめいた。怒られることなどすっかり忘れ、思わず口を開いた。
「数字に置き換えてみたら?」
「えっ?」
ミザリオはぱっとこちらに向いて、誰だが確認してびっくりした。
「的くん!?」
マリンブルー髪の少年は、はっとして思わず、持っていた石板を膝の上に落とした。
「今、なんて言ったの?」
以前とは違って、素直なミザリオを前にして、的は少しだけ微笑んだ。
「呪文には一定の法則があるみたいだから、同じ言葉を同じ数字にして、覚えたら?」
ミザリオの眉間のシワは取れ、見る見る笑顔に変わっていった。
「そうか!」
膝に乗っていた石板を再び持ち上げた、召喚魔法の使い手は目から鱗だった。早速、的の言った通り、数字に置き換えてみる。
「んー? これが一だ。そして、こっちが二。これが三で……」
しばらくして、ミザリオはさっと顔を上げた。石板を裏返して、覚えたかどうだか試すらしい。噴水の音と、生徒たちの話し声がする中、ミザリオは深く息を吸って、目を閉じた。
「デオス プロセフホメ アゲロス アスピダ 」
すると、光り輝く魔法陣が突如出現した。そばを歩いていた生徒から、驚き声が上がる。
「うわっ!」
「な、何!?」
的は彼らの反応を見て、あちゃーと思った。場所を考えないと、危ない。だが、ミザリオは目を閉じて、意識を集中しており、まわりのことなどお構いなしだった。
彼の両手からは光の粒子が、すうっと上空へ上がっている。それを見た他の生徒たちは、彼が呪文を唱えているのだとわかり、的たちを避けて通行し始めた。
綺麗な石畳に、魔法陣がくっきり浮かび上がると、円の中から、ガタイのいい山男が現れた。図太い両腕には、頑丈な盾をつけている。背中には似つかわしくないが、ふたつの白い翼が。
「防御……?」
ミザリオはどうやら、防御の得意な天使を呼び出したらしい。意識を拡散させないように、彼はそうっと目を開けた。そして、自分が召喚した天使を見て、目を輝かせた。
「やった!」
そう言った途端、天使と魔法陣は、ゆらゆらと揺れて、光となり飛び散った。集中力が切れ、魔法が解けてしまったようだ。それでも、ミザリオの喜びはひとしおで、
「ありがとう!」
的に握手を求めてきた。この間は、握手なしだったのに。今日はえらい変わりようだ。的は苦笑いをしながら、手を握り返した。ミザリオは教科書をさっとバッグにしまい、
「的くん、早く帰らないと危ないよ」
一言多いミザリオに、的は一瞬むっとしたが、ニコニコしているミザリオを前にすると、怒りは自然と消えていった。
「剣じゃない武器を探してるから、まだ帰れない」
「ふーん」
君の悩みは大したことないね、みたいな雰囲気の返事を、ミザリオはした。的は何か言い返そうとしたが、ミザリオの瞳が遠くを見ていて、どこか寂しげなのを知って、黙り込んでしまった。
しばらく、行き交う生徒たちを見送り、噴水の音に耳を傾けていた。何度目かの風が頬を過ぎていった時、ミザリオが静かに口を開いた。
「ぼくのおじいちゃんも攻撃魔法の使い手だった」
的は頬杖をつきながら、ミザリオの顔をそっと見つめた。
「的くんと同じように、悩んだことがあったって言ってた」
ミザリオは慌てて、灯草をバッグへしまった。ふたりのまわりは一段光が落ちた。的はミザリオの行動の意味を悟って、視線をまっすぐ前へ向けた。
「神様の言葉をよく思い出せって言ってた」
アクアブルー髪の少年は、涙がこぼれないよう顔を上げた。ふーっと息を吐いて、心を落ち着かせる。
「六年前のあの日、悪魔に殺される日にね……」
ミザリオの瞳は涙をためておくことができなくなり、ぽろりと雫が彼の頬を伝った。彼にはとても衝撃的な日になってしまっただろう。六年経った今でも、こうして涙を流すほどに。的も自然と涙が溢れてきた。このまま家族にも友達にも会えず、一生を終えるのだろうか? どうか、奇跡でも起こって、地球に帰れたらいい。
的はそこで、やっと理解した。生きていることの感謝を神に捧げるということを。憎まれ口を叩いてくるミザリオには、むっとするけど、とても大切なことを教わったと思った。感謝しようと思い、話しかけようとすると、
「ぼくは帰るよ」
赤い目をしたミザリオが先に言った。泣いているのを悟られないように、ささっと荷物をまとめ、立ち上がり、歩き出そうとして、
「的くんも見つかるといいね」
たまにはいいこと言うと思いながら、
「あぁ、うん。ありがとう」
的は泣いているのをごまかそうとして、無理やり笑った。校門へ向かって歩き出したミザリオの背を少し見送って、的はもう一度空を見上げた。また新しい課題だ。
「神様の言葉を思い出す……?」
よく、ひらめきとは神様が与えるものと言うが、それが本当なら、最初に思いついた武器のことだ。しかし、闇雲に武器を試してきた的は、最初に何を試したか……いや、最初に試した武器は剣だった。だが、その前に一瞬浮かんだ武器があったことを今思い出した。
「そうだ!」
思わず、立ち上がりそうになり、まわりに人がいることを思い出して、何とか踏み止まった。今度は笑われずにすんだ。
「何だったかな?」
的の独り言が、セフィスの空に吸い込まれていった。
★ ★ ★
マディス学園、教師、マサガガ マリダは、教室から中庭を眺めていた。この男、的がマディス学園へ最初に来た時、『期待のルーキー』と声をかけてきた教師。さっきから、的とミザリオのやりとりを見ていた。召喚魔法を練習場外で唱えた生徒を叱ることも出来たが、彼は大目に見て、見逃した。一人取り残された、ベンチに座る的を見下ろして、
「いろんな世界があるんだな……」
しみじみ言うと同時に、ノックの音が。
「入れよ」
慣れた感じで応えた。相変わらず、ガタイのいい体の割には、頼りげない声だった。ドアがかちゃっと開き、ピンクのローブがふわっと入ってきた。マサガガのそばへ寄る。だが、その距離感は普通より、ずっと近かった。学校という場所にはそぐわない光景。
窓から差し込む、アメティスとルヴィニの月影に照らし出された顔は、あの面倒見のいいクピルだった。彼女はマサガガの腕に手をそっと伸ばし、絡ませた。その仕草は恋人同士がするものだった。薄暗い部屋で二人きり。思いっきりわけあり。
「今夜、行ってもいい?」
クピルの問いかけに、マサガガは困った顔で、
「今朝、戻ってきてさ」
意味深な言葉を言った、誰かと一緒に暮らしているようだ。ため息を軽くついた彼から、クピルは手を離した。二人きりで会えないことを少し残念がったが、彼女の興味は別の方向へ向いていた。窓に背を向け、敷居に両手をついた。視線の端でアメティスをとらえ、
「何のことかしらね?」
小首を傾げて、独り言に近い小さな声で言った。




