22 通りすがり
露店が建ち並んだ大通りから外れた路地裏。
積み上げられた木箱が壁際に乱雑に置かれている。
しかし、細道の石畳自体は路地裏という言葉から想像されるほど雑の然たる様子はない。
それでも積もった砂埃が舞う。
ただ、火のないところに煙はたたない。同様に埃が舞うだけの衝撃が無いと砂などは立たない。
詰まるところ、埃が立つには原因があって、その原因は俺、アーベル・ファルベが地面に頬を打ち付けられている所にある。
「いっ・・・つう」
腹を蹴られた衝撃で何の抵抗もなく倒れた俺の頬をダニエルが踏みつける。
右はひんやりとした地の温度。左は擦れる靴底の熱。
口の中で赤い粘液が舌を転がる。
もう一度蹴りつけられる。
手足は自由で抵抗できないわけではないが、抵抗しない。
もう慣れた。
「おら、立てよ。殴りにくいだろ」
「う・・・あ」
胸ぐらを掴まれ揺れる視界を無理矢理元の位置に戻される。
背後の壁に押しつけられた鈍い音と共に肺から小さく息が押し出される。
我慢。我慢だ。もう慣れたんだ。
こいつらに勝てようが勝てまいが関係ない。
俺にとってじっと殴られているのが最善であり、これはこの国の最善なのだ。
父を裏切らないためにも耐える。ただ堪える。
ダニエルが再度顔を打つ。
彼の手もざりざりと抉れ始めている。だが、彼は気にもとめない。彼にとって重要なのは親、もしくは兄妹の敵をとることなのだから拳の痛みなど何の抑制にもならない。
後ろに控えていた二人の少年も本格的に参戦する。もちろんダニエルに。
「こんなの俺の弟の痛みに比べたらなんてことねえだろ!」
「がっ・・・!」
「誰のせいで僕らが苦しい思いしてるかわかってるのか!?」
「ぐう・・・げ・・・は」
思い思いの呪いを連ねていく。
彼らは不幸だ。
そして悪いのは俺たちだ。
それさえ分かっているのならば今握りしめてしまっている拳を解くべきだ。俺は耐えるだけが義務だ。我慢することだけが責任だ。
ダニエルを殴ってどうなるのか。どうにもならない。むしろこの国にとっての不利益にしかならない。
一際大きな衝撃が頭を打って視界が回る。
ダニエルの手から服が離れ、肩からまた地面に落ちる。
腫れて開くのがままならない目には反動をつけたつま先が見える。
これで顔面蹴られて終わり。意識を失った後の俺はいつも通りここに捨て置かれたままになるのだろう。
と、
「おりょ?」
いつもとは違った間抜けな声が届く。
迫っていたつま先もその声によって制止をかけられる。
路地の奥から大通りを見る。
過ぎゆく喧噪からはみ出た彼女は「むう?」という声と共に歩み寄ってくる。
逆光で顔は見えない。しかし背格好からして16歳の俺とそう歳は変わらないだろう。
そんな彼女は俺に目を向けた・・・のだろう。
「何してるの?」と当然とも言える疑問をぶつける。
「見ての通りだ。文句あんのか!?」
と名前の分からない少年Aが下あごを突きだして精一杯に威圧する。
ところが威嚇された彼女はおののくどころか少年Aを押しのける。しかもべたべたの手で。
まあなぜべたべたなのかというと彼女の手元口元を見れば明白だった。
口に咥えられた焼き鳥の棒。片手にはケバブ風のサンドを二つ握りしめ、中から絶妙な焼き加減の肉とそれに絡めた艶のあるたれが手の上にこぼれ落ちている。推測するに、もう片方の手にも同じような惨劇が起きていたのだろう。やはり茶色のたれでべたべただったのだ。
少年Aは「うげっ」といいながら、たれまみれになった学制服を袖でぬぐっている。
「「・・・」」
ダニエルと少年Bは一言も発せずただ訝しげなめで少女を見る。
彼女はまた歩を進める。
そして俺の前にやってきた。
ここにきてようやく光のいたずらから脱し、少女の顔を見る頃ができた。
赤い髪。眠たそうな目つき。特徴的な八重歯。
彼女はしゃがみ込むと笑顔で
「わたしはラントって言うんだけど、寝転んで何してるの?」
「・・・え?」
口元もべたべたにしたラントという少女は、ダニエル達が何をしていたかより俺が地面に伏していることの方が疑問のようだ。