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雪解けの朝に、君に永遠の花を   作者: 幸田 雪


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月下に重なる影

糖度MAXでお届けしますご注意ください





重く鳴り響いていた車輪の音が次第に低くなり、猛吹雪を突き進んでいた馬車の速度がゆっくりと落ちていく。



「……シエル殿下、離宮へ到着いたしました」


御者台からかけられた控えめな声に、シエルはゆっくりと息を吐き出し、リリアの胸元から顔を上げた。

彼女の衣服に軽く額を押し当ててから、そっとその顔を見つめ返す。


「もう……大丈夫だ。ここなら安全だから」


自分の本当の姿を知ってもなお、変わらぬ温もりで包み込んでくれた愛しい少女。シエルは愛おしさに耐えかねたように、彼女の額にそっと唇を寄せた。


「はい……」


額に触れる吐息の温もりに、リリアはうっとりと目を細める。彼の手が自分をしっかりと抱きしめている感触に、身体の奥に残るわずかな怯えも綺麗に溶けていくようだった。


シエルは迷いなく馬車の扉を開け、吹雪く白銀の世界へと降り立った。吹き荒れる凶暴な寒気からリリアを守るため、彼は彼女を包み込んでいたマントの合わせ目を手早く引き寄せ、冷気を完全に遮断する。そのまま、まるで宝物を扱うかのような慎重さで彼女を腕の中に抱き上げた。


自分の胸元にすっぽりと収まった小さな温もりを確かめるように強く抱きしめ、彼は猛吹雪を押し切るように固い足取りで歩みを進めた。



厳重な結界の魔力によって守られた『北の離宮』。静まり返ったその重厚な扉を潜り抜けると、静寂の支配するホールで出迎えた配下の男が歩み寄り、深く一礼する。


「殿下、お部屋の準備は整っております。生薬と調合用の道具はご指示通り用意いたしました。我々は敷地の周囲を警戒いたします」


「かたじけない。……誰も近づけるな」


室内には薪の弾ける澄んだ音が響き、橙色の柔らかな光が壁を焦がしていた。外の吹雪を完全に遮断した部屋の温もりに、シエルは微かに安堵の息を漏らす。


シエルはリリアを天蓋付きの大きな寝台の縁へそっと腰かけさせると、彼女を寒さから守っていた分厚いマントを手際よく脱がせた。


マントが滑り落ちて現れたのは、激しい混乱の中で裂け、乱れてしまったドレス姿。

痛々しくも息をのむほど可憐な彼女の姿に、シエルは思わず言葉を失った。

一瞬だけ魅入られそうになった己の瞳を恥じるように、彼は切なく視線を落とす。

眉間に深い皺を刻み、溢れそうになる情動と罪悪感を強い理性で押し殺すと、彼は急ぎ足でクローゼットへ向かい、用意されていた柔らかい綿の部屋着を取り出した。


「……そのままでは身体が冷えてしまう。まずはこれを着て横になっていて」


シエルはリリアに優しく部屋着を渡すと、着替えを邪魔しないよう静かに背を向けた。

それから、その美しい顔立ちに鋭い薬師の冷徹さを宿し、用意されていた調合機材と薬品を手際よく並べ始める。静謐だった客室は、瞬く間に青い炎と薬草の甘苦い香気が満ちる作業場へと変貌を遂げていく。

ジュリアンが用いた禁薬には、王家に伝わる呪術的な澱みが密かに混ざり合っている。普通の解毒処方など効かないことなど、薬師たるシエルが誰よりも熟知していた。それでも、万に一つでも、放置すれば発狂することもあるというあの忌まわしい呪詛を極限まで薄める手立てが存在するならば――彼女の純粋な尊厳を守り抜き、汚れなき聖女のまま聖域に返してあげられるかもしれない。


血眼になって薬湯を練り上げ、リリアの元へ運び込んでは飲ませ、必死に手を尽し続ける。

しかし、その試みを嘲笑うかのように、薬湯は彼女の体に何の効果ももたらさなかった。呪術を孕んだ毒は、彼が差し出すあらゆる薬効を黒く染め上げるように撥ね返してしまう。


そして、夜が深まり、月が天頂へと昇り詰める頃――ついに、恐れていた刻が訪れた。


寝台の上で、リリアの呼吸が急速に荒くなっていく。

こらえきれずに途切れ途切れに漏れ出す甘い喘ぎと、苦しげな吐息が静まり返った部屋の空気を揺らした。


シエルが振り返ると、リリアは胸元をぎゅっと掴み、息を乱していた。

身体の奥底から滲み出る甘く重い熱が、白いシーツを握り締める彼女の指先から、肌へと広がっていく。


聖域の静寂に育まれた純白の身を、狂おしい熱気と情動がじわじわと浸食していく。火照りに耐え兼ね、掠れる意識で理性を繋ぎ止めようとする姿のなんと痛々しく可憐なことか。清らかな乙女の気高さと、逃げ場のない熱の苦しみ――その葛藤に耐えかね、彼女は身体を小さく震わせていた。


解毒の試みがすべて潰えた闇の中で、ついにその恐ろしい催淫の毒が、彼女を本格的に蝕み始めていた。


身体の芯から突き上げる激しい熱に、リリアは必死に耐えようと唇を噛んだ。


――誰かに身を任せるしか、この狂おしい熱から逃れる術がないのなら。


新たな薬湯を手に、己の無力さに押し潰されそうな横顔を見せるシエルを、リリアはじっと見つめた。


震える小さな手を伸ばし、祈るように彼の衣服の裾を掴み寄せる。

激しい羞恥に押し潰されそうになりながらも、彼女は途切れ途切れの声で、絞り出すようにその想いを口にした。


「……シエル様、が、いいの……」


溢れる想いとともに、熱く染まった頬を伝う透明な雫。


「ほかの人じゃ……嫌です……。だから……」


恥じらいに息を詰まらせ、今にも消えてしまいそうな声。


「私を……もらって、ください……っ」


清らかで、けれど逃げ場のない切なさを孕んだその告白が、シエルの胸を鋭く穿つ。

救い出すどころか、愛しい少女にこんな言葉を言わせてしまった不甲斐なさに、シエルは激しく痛む胸を押さえるように息をのんだ。


手元に握りしめていた一握りの薬草が、力なく小机の上へと滑り落ちていく。


これ以上、不可能な奇跡という幻影を追い求め、苦しむ彼女を放置することこそが何よりの不誠実だ。呪いなど知るものか――いま、一人の男として、愛する彼女のために自分が何をすべきなのかが、痛いほど明確に胸に刻まれた。


シエルは寝台の傍らに膝をつくと、熱と涙に濡れるリリアの頬を、冷たく優しい指先で撫で上げた。


「……悪あがきしてる場合じゃなかったね。待たせて……ごめん」


そこに躊躇いや戸惑いは欠片もなく、ただどこまでも深く、どこまでも甘やかな愛だけが静かに満ちていた。

シエルは彼女の震える手を取ると、その柔らかな手の甲に、永遠の絆を誓うような口づけを落とした。


「もう我慢しなくていいよ。君を苦しめる熱も、怯える心も……俺が全部、溶かしてあげるから」


まっすぐに見つめ返すシエルの蒼き瞳には、王弟としての迷いも仮面も消え去り、一人の男としての揺るぎない覚悟と、包み込むような温もりが宿っていた。


「優しくするから……怖がらないで。ゆっくり……大切に、教えてあげる」


ささやくような優しい声とともに、シエルは顔を近づけ、熱に浮かされた小さな唇を愛撫するように塞いだ。

重ねられた唇から伝わる、熱く切ない吐息と、胸を打ち震わせるほどの感情。


リリアの潤んだ瞳に宿るのは、シエルに愛されているという、揺るぎない安らぎだけ。


シエルは、リリアの額や頬、涙に濡れた目元へと、労わるような口づけを幾重にも落としていく。二度と離さないと誓うように、けれど決して彼女を脅かすことのない優しさで、そっと肌を撫でていった。


「愛してる……君を」


ガラス越しに降り注ぐ澄んだ銀の月光の下、ふたつの影が静かに重なり合っていく。

吹きつける北の寒気を忘れさせるほどの甘い微熱と深い愛に包まれながら、その夜は二人だけの密やかな静寂へと優しく溶け込んでいった――。





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