25話 ララの矜持
扉の奥には美しい庭園が広がっていた。
あるはずのない日光が眩しい。これが魔法の力なのだとしたら、フェルデールの光源技術とは比べものにならないほど、強大な力が働いているに違いない。
丹精込めて育てられたであろう種々の花々には、なぜか季節感がなく、ルーシーの顔が沈んでいる。
庭園の中央には、優雅にお茶を楽しんでいる銀髪の女性が居た。3人に対し手を振っている。
「あらあら、皆様お揃いね。地下牢窟は気に入ったかしら? アースクローラーちゃんより簡単だったでしょう?」
白銀のテーブルの上には、1人分のティーセットが広げられている。沸かしたてなのかポットからはまだ湯気が出ているようだ。
女は優雅な所作で立ち上がると、豊かな銀髪を後ろへと払い、入り口付近で固まったまま動けないでいる侵入者たちの方へ、しずしずと歩いてくる。
「わざわざ迎えに行かせたのよ? ほら、可愛い坊やがなかなか出てきてくれないものだから……あんな街に隠れるなんて、お母さん困ってしまうわ」
ほっとした表情で3人を出迎える女は、煌びやかな法衣を身に纏っている。白銀に輝くそれは、高位の聖職者にしか着用を許されないものであることを青年はよく知っていた。
「でも心配しないで? 坊やがどこにいようと、ちゃんとわかるんだから。だって、あんなに小さかったフェルデールに手ずから恩寵を宿してあげたのは、他ならぬこのわたくし、大司教ジェルディオーネなんですもの!」
女性陣にはお初にお目にかかりますわね、と和かに挨拶をしてくるが、フェルデールに心当たりはない。だが、その表情は曇るどころか蒼白でさえある。
たらりと流れ落ちる嫌な汗が背中を伝った。
この女に見覚えはないが、漂ってくるお茶の香りには、何か記憶を刺激するものがある。院長先生の屋敷で、確か……否、思い出すのは今じゃなくていい。
「恩寵……を宿す?」
「あら? まだ気付いていなかったの? せっかく与えた腕環も使っていないようだから、てっきりわかっているものとばかり……あれを使ってくれさえすれば、こんな手の込んだ罠を張らずに済みましたのにねぇ。弱小国家の癖にバリュノアの皆様は思ったより優秀なんですのね!」
高笑いする大司教にムッとしたのか、ララが睨みつける。
「待って、あの魔物が現れたのは貴方の仕業? アースクローラーの出現をコントロールしたというの?」
「ええ、もちろん。そんなこと造作もないのよ? だって皆、可愛い可愛いわたくしの下僕なんですもの。あなた方、知っていて? このダンジョンを這いずり回る哀れな魔物たちの正体を? あのアースクローラーの正体を?」
3人は無言だ。嫌な予感がする。これ以上、この場に留まるなと、本能が警告を発している。
青年は震える右手を握り込み、棍棒の感触を確かめている。この武器で一体何匹の命を奪ってきただろう?
「フェルデールならきっと覚えがあるはずよ? 孤児院で教鞭を取っていた教師たちや、宣教師として旅立った諸先輩方に、あ! 生意気過ぎて飛び出しちゃった後輩なんかもいたかもしれないわねぇ」
考えるよりも先にフェルデールはその場に膝を突き吐瀉してしまう。迫り上がる胃液が喉を焼く。
投げ出された楓が乾いた音を立てて転がった。
この女は今なんて言った?
あれが、あの魔物たちが?
じゃあ日誌の日付は……。
まさか、そんなこと、あっていいはずがない……ああ、だけど、それなら通りで……僕に甘いはずだ。弱いはずだ。手加減するはずだ。
ルシュメイアは倒れそうになっているフェルデールを横から支え、抱きついたまま離れない。彼女なりに出来ることを探しているのだが、背中を撫でることくらいしか出来ない。どうすればいいのだろう。
「ふふふふふふ、とっても楽しいわ。どうしてもっと早くこうしなかったのかしら。この地下牢窟はね、人を魔物へと進化させるための牧場なのよ」
「っ、それはっ、人の所業ではないわ!」
1人、大司教と対峙するララは敵の視界に2人を入れたくなかった。
「うふふ、世間知らずなお嬢さんに教えてあげるわね。この世に魔物をもたらしたのは、我らが尊ぶ輝きの天子、光神ヴェルティルオス様、その人なのよ」
恍惚とした表情を浮かべた大司教は、ゆっくりと近付いてくる。
「苦しそうねフェルデール。わからない? お前もこれから魔物になれるのよ。ね? 光栄でしょう? 人として最大の誉れだと思うがいいわ」
踏ん張っているだけで精一杯のララを片手だけで押し除けた大司教は、フェルデールの髪を掴み上げ強制的に視線を合わせる。
「きっと力が溢れてくるわよ。何せお前の魔核は特別なの。聖胚ひとつ宿せぬ出来損ないにはもったいないくらいにね。この腹を丁寧に捌いて、取り出してあげても構わないのよ? でも、虫ケラのお前だって生きたいと思うでしょう? だからチャンスをあげるわ」
大司教が命令するまでもなく、庭園に咲き誇っていたはずの花々から蔓や蔦が飛び出してきて、ララとルーシーを拘束する。攻撃の主軸を担うのは、殺傷能力が最も高そうなイバラだった。
ララは瞬時に風の刃で周囲の植物を容赦なく切り落とす。が、ルーシーの分までは間に合わない。
「あっ、やめて、おともだち……? これ、おともだちじゃない!!! どうしよう!!! 怖い、怖いよ。これ全部人間なのっ!?」
大司教はルシュメイアを優しく撫でてあげて、とイバラに命令を下す。フェルデールが立ち上がるより早く、ララの魔法が届くよりも尚早く、無情なイバラが剣となって舞い踊った。
滴り落ちてくる液体がフェルデールの顔や服を汚していく。
息があるうちに返してあげてねという追加の命令に従って、イバラはルーシーをフェルデールの腕の中へ押し込んでくる。
「さぁ、お前の光魔法で回復しておあげなさい。今なら間に合うでしょう? 内臓は傷付けぬよう申し伝えてありますから、きっとすぐに元通りよ?」
言われるまでもない。
持てる力の全てを振り絞ってフェルデールは回復魔法をルーシーへと注ぎ込む。
ふんわりとしたルーシーの髪は濡れてへたり込み、顔からは血の気が失われつつあった。脱力したままの手足はいつまで経っても投げ出されたままで、焦らずにはいられない。
「そう、いい子ね。とっても上手よ? どんどん回復なさい。女の子に傷跡なんて可哀想だもの。足りなくなったらすぐに言うのよ? わたくしの恩寵をたっぷり授けてあげますからね。そうすればお前は、わたくしの意のままに操れる立派な下僕になれるんですもの! ああ! 楽しみ!」
大司教の意志に従順なイバラは回復魔法の邪魔はせず、今度はララの方へと向かってくる。
扇の魔石は既に悲鳴を上げていたが、ララはまだ諦めてはいなかった。すべてのイバラを風の刃で弾いたかと思えば、根本を探して走り回り、株ごと寸断させる。
するとイバラは諦めたのか狙いやすい2人目掛けて方向転換する。
「だったらまとめて守るまでですわ!」
ララが嵐の力を駆使して2人の元へと駆け付けると、どうやらルーシーは一命を取り留めたようだった。傷はすべて塞がったのだ。
が、フェルデールの表情は暗いままだ。
「ララ、ダメだ。もう回復出来そうにない。失血量が多すぎる」
「そんなもの攻撃を受けなければいいだけの話ですわ!」
「でも……」
「しっかりなさい! 必ず連れて帰りますわ。せっかく出来たお友達だって言ってたじゃない。フェルデール! 貴方その子を泣かせるおつもり?」
許しませんわよ?
と睨みつけながら攻防を一手に引き受けるララ。しかし、ルーシーを抱えながら攻撃しようにも、恩寵が尽きたのかフェルデールは力が入らない。光魔法は何ひとつ発動しない。
イバラの猛攻は続いている。
「お聞きなさい。わたくしが立っていられるうちに2人で逃げるのよ。反論は聞かないわ。この件の発端たるわたくしが全責任を持つの。部下も亡くした上に貴方たちまで亡くしたとあったら……だから絶対に戻って来ないで。わたくしを回復しようだなんて思ってはダメよ?」
そう言って不敵に笑うララは扉を開き、ルーシーを抱えたままのフェルデールを押し込む。風は彼女の味方だ。
戻ってこようとする青年に向けて最後のメッセージを遺す。
「でも、シャオム様には絶対に何も言わないでね。いい? 約束よ? だってね、だって……ずっと、ずっーーーと片思いなの。それだけ覚えてて」
じゃあね! と言って無理やり追い出すと、いよいよ扇の魔石が崩れ落ちた。扉を守らなくちゃと最後の力を振り絞る彼女は、ドンラン家の財力と父アイザックの溺愛、そしてバリュノア族の技術の結集である、その華美で場違いな魔法糸織りのドレスが放つ防御魔法によって攻撃を凌いでいた。
「こんなもの痛くも痒くもございませんわ」
願わくばダンジョンを探しているはずのミュリオルがここに辿り着くまでは持たせたい。しかし、それは叶わぬことも知っていた。きっともう、長くは持たない。
ララフォードは1人の女の子であるよりもまず、父の背を追うドンラン家の跡取りであり、バリュノアを愛する1人の民でもあった。
彼女はこの街が好きだった。かつて帝国に憧れ、その帝国に幻滅し、それを救ってくれた通りすがりのシャオムに憧れた。彼女の帰りを暖かく迎え、いつも我儘を聞いてくれる家族や使用人たちや、商会の従業員が大好きだった。
愛する母を帝国から取り戻すより前に倒れるのは腹立たしかったが、あの2人には生きていて欲しかった。なぜだろう。たかだか数日の付き合いなのに。
「もう少し一緒にいたかったわね……」
防御魔法が間も無く途切れる。
「お父様、親不孝な娘でごめんなさい」




