第9話「魔法」
第9話
ご愛読いただきありがとうございます。
第十二階層――
そこは、想像通りの見慣れた構造だった。
壁も天井も地面も、薄い光を帯びている。
眩しくはない。 薄暗い。 だが、視界は十分に確保できる。
そして―― フロアの中央に立っているのは、ローブ・メイジ。
赤いローブ。 杖。 そして、赤い皮膚。
よく観察すると、その顔は人間に近いが、どこか歪んでいる。
大きな切れ長の目。
高い三角の鼻。
薄い唇の大きな口。
その口は、口角が上がり、まるで微笑んでいるように見える。
ときおり「グギギ……」と濁った音を発している。
今回は、火の玉を放つときに聞こえた“発音らしきもの”が 本当に詠唱なのか確認したい。
そのためには、 ある程度近距離で戦う必要がある。
俺はゆっくりと距離を詰める。
ローブ・メイジは杖を構え、「グギギ……」と濁った声を漏らしながら殴りかかってくる。
杖の軌道は鋭い。
だが、ゴブリンほどの筋力はない。
俺はその一撃を避け、時に受け止め、隙を見て短剣を振るう。
だが―― 互いに攻撃は当たらない。
ローブ・メイジはすっと後ろへ跳び、俺との距離を取った。
(……来る)
火の玉を放つ前の動きだ。
俺は詠唱らしきものを聞き逃さないよう、さらに一歩踏み込む。
ローブ・メイジが杖を俺へ向けた。
その瞬間――
「グ……ギ……ギ……ィ……ャ……」
濁った、活舌の悪い声が漏れた。
次の瞬間、火の玉が放たれた。
(……今のが詠唱か?)
俺は火の玉を避ける。
熱風が頬を焼く。
ローブ・メイジは続けて杖を構えた。
「グ……ギ……ギ……ャ……」
火の玉が放たれる。
(……やっぱり詠唱だ)
だが、聞き取れない。
濁っていて、言葉になっていない。
俺は火の玉を避けながら、さらに一歩ローブ・メイジへ近づく。
火の玉の熱が服を焦がす。
皮膚が焼ける。
痛みが走る。
(……もう少し……近くで……)
ローブ・メイジが杖を構えた。
「グ……ギ……ギ……ャ……ァ……」
火の玉が放たれる。
その瞬間―― 俺は聞き取れた。
(……今の……)
俺は距離を取り、 ローブ・メイジの連続の火の玉を避けながら、 聞き取った言葉を繰り返す。
「グギギャ……」
「グギギャ……」
「グギギャ……」
(……違う……もっと……)
「グギギャァ……」
「グギギャア……」
「ギギャア……」
(……近い……)
「ギャア……」
「ギャ……」
「ファ……」
(……ファ?)
「ファ……イ……」
「ファイ……ヤ……」
(……そうか)
「ファイヤ」
ローブ・メイジが濁った発音で言っていたのは、 “ファイヤ”だ。
(……詠唱だ……やっぱり……)
ローブ・メイジは火の玉を連発し続ける。
だが、杖の先の光が弱くなっている。
(……MP切れが近い)
俺も体力は限界だ。
火傷が増え、服は焦げ、呼吸が荒い。
だが―― ここしかない。
ローブ・メイジが杖を構えた瞬間、火の玉は出なかった。
(……切れた!)
俺は最後の力を振り絞り、一気に距離を詰める。
ローブ・メイジが杖を振り下ろす。
俺はその軌道を読み、半歩だけ左へずらす。
杖が空を切る。
その瞬間―― 俺は鉄の短剣を逆手に持ち替え、ローブの隙間から覗く胸元へ突き入れた。
「ッ!」
短剣が肉を裂き、骨に当たる感触が手に伝わる。
ローブ・メイジの身体が跳ね、そのまま地面へ吸収されるように消えていく。
ドロップアイテムは――生肉だった。
ローブ・メイジを倒したあと、俺はその場にへたり込んだ。
生肉が目の前に落ちている。
だが、手を伸ばす気力はない。
両手を背中側につき、顔を上に向けて、呼吸が落ち着くまでその態勢でいた。
胸が大きく上下する。
火の玉を避け続けた疲労が、いまになって押し寄せてくる。
(……はぁ……はぁ……)
そのとき―― ふと、息子とのRPGの記憶がよみがえった。
◆
「父さん、魔法ってね、はじめは火と水が使えれば十分なんだよ」
息子はコントローラーを握りながら、得意げに説明してくれた。
「初級魔法はね、 火が“ファイヤ”、 水が“ウォーター”だよ」
「へぇ……そうなのか」
「うん。 MP消費はどちらも2」
息子は画面の敵を指差す。
「それとね、魔法には相性があるんだよ。
火が弱点の敵にファイヤを使うと強いし、
水が弱点の敵にはウォーターが効くんだよ」
「じゃあ、火の敵に水を使えばいいのか?」
「そうそう! でもね、逆に効かない敵もいるから、 敵の属性を覚えておかないとダメなんだよ」
息子は笑いながら、ゲームのキャラにファイヤを撃たせる。
「ほら、こうやって―― ファイヤ!」
画面に火の玉が飛び、敵が吹き飛ぶ。
「おお……すごいな」
「でしょ? 魔法って楽しいんだよ、父さん」
その笑顔が、 いまでも鮮明に思い出せる。
◆
俺は、生肉の前でへたり込んだまま、 ゆっくりと右手を前に突き出した。
(……試してみるか)
ローブ・メイジの詠唱。 息子の言葉。 火の玉。
すべてが頭の中でつながる。
俺は小さく息を吸い、 手のひらを前に向けて――
「……ファイヤ」
そう詠唱した。
次の瞬間、 手のひらに光が集まり始めた。
(……え?)
光は渦を巻くように集まり、 手のひらの中央へ吸い込まれる。
そして――
「ッ!」
火の玉となって前へ打ち出された。
地面に当たり、小さな爆ぜる音が響く。
(……出た……!)
胸が熱くなる。
驚きと喜びが混ざった感情が、一気に込み上げてくる。
だが同時に―― 身体の奥から何かが抜け落ちるような感覚がした。
ふっと疲れが出る。
力が少しだけ抜ける。
(……これが……MP消費か)
俺は続けて言ってみた。
「ウォーター」
……何も起きない。
もう一度。
「ファイヤ」
……何も起きない。
(……なるほど。 いまの俺のMPでは、初級魔法が1発しか撃てないってことか)
嬉しさと、 MPが少ない切なさが胸に広がる。
だが―― 魔法を使えたことが、 何よりも大きな収穫だった。
・・・・・・・・・・
(……もう、動けないな)
火傷の痛み。 疲労。 魔法を使ったあとの脱力感。
すべてが重なり、身体が地面へ沈んでいく。
俺はそのまま横になり、第十二階層の地面で目を閉じた。
(……魔法……使えたんだな……)
これでとりあえず、生肉を焼くことができる。
その喜びを胸に抱いたまま、 俺は静かに眠りへ落ちていった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
気に入っていただけた方は、ぜひ、
・ブックマーク
・星評価
・リアクション
よろしくお願いいたしますm(__)m
つけてくれると、嬉しいです。




