黄金の使者(2)
三:無詠唱の刃
「……お前たちが、やったのか」
アークの声は低く、凍てつくように冷たかった。
涼しげな目元が、殺意に満ちた暗い光を帯びる。
『神の意志に逆らう者に、言葉は不要だ。消えろ』
使者が右手を軽く一瞥しただけで、空間そのものが圧縮され、アークめがけて凄まじい衝撃波が放たれた。
音速を超える圧縮空気の刃が、地面をえぐりながら迫る。
だが、アークは一歩も引かなかった。
――無詠唱・魔力圧縮『断罪の盾』。
声なき呪文が発動した瞬間、アークの前面に目に見えない強固な魔力の壁が展開された。
衝撃波が激突し、周囲の空気が爆発したように弾け飛ぶ。凄まじい風圧がアークの黒髪を激しく揺らしたが、彼の足元は一歩たりとも動かなかった。
「なんだと……? 下位層の人間が、我が魔力を防いだだと……?」
使者の仮面の奥から、初めて動揺の色が滲み出た。
「お前たちが奪ったものを、返してもらう気はない」
アークは冷たく言い放つと、腰の剣の柄に右手をかけた。
「だが、お前たちのその首を切り落とす理由には、十分すぎる」
次の瞬間、アークの姿がかき消えた。
あまりの神速に、使者の視覚が追いつかない。物理的な身体能力、そして無詠唱による身体強化のレベルは、すでに人間という枠組みを軽々と超越していた。
「――遅い」
使者の背後。
まるで最初からそこに立っていたかのように、アークの姿が現れた。
右手に握られた実戦用の剣には、眩いばかりの純白の魔力が限界まで圧縮され、刃そのものが青白く透き通っている。
――無詠唱・魔力圧縮『無形の一閃・改』。
一太刀。
それは音すら置き去りにする、光速の斬撃だった。
シュッ……と、風がかすかに鳴った。
使者を包んでいた神々しい白銀の衣が、中央から綺麗に両断され、仮面の中央に一筋の細い亀裂が入った。
『ば、馬な……! 私が、神の使者が、このような下等な人間に……っ!』
使者の身体はそれ以上言葉を紡ぐことなく、微細な光の粒子へと分解され、風の中に消えていった。
跡形もなく、完全な消滅だった。
四:新たな決意
静寂が戻ったクレーターの中で、アークはゆっくりと剣を鞘に納めた。
荒い息一つついていない。しかし、その瞳には、先ほどよりもさらに深い重みが宿っていた。
「……これが、使者の一人か」
今の戦いで分かったことがある。
神や上位層は、決して触れられない絶対的な存在ではない。鍛え上げ、力をつければ、十分に倒すことができる相手だ。そして何より、奴らが「下位層の魔法」をこれほどまでに恐れ、根絶やしにしようとする理由が、少しだけ見えてきた気がした。
奴らは完全ではない。自分たちの過去の過ちや、下位層の可能性に怯えているのだ。
「グルァ……」
背後から、低い足音が近づいてきた。
振り返ると、群青色のトラが心配そうにアークの顔を覗き込んでいた。その金色の瞳には、敵を倒したことへの称賛と、主人の無事を確かめるような温かい光が宿っている。
アークは少しだけ表情を和らげ、その大きな頭にそっと手を置いた。
「……大丈夫だ。怪我はない」
トラは安心したように、アークの手に自らの頭をすり寄せた。
十年前のあの夜、すべてを奪われた絶望の森から始まった孤独なサバイバル。しかし今の自分には、もう一人ではない。帰るべき場所があり、隣にはこの相棒がいる。
そして、世界を敵に回してでも、あの「光」の本当の正体を暴き、すべての真実を突き止めるという目的が明確になった。
「戻るぞ。……ガルドの爺さんや、町のみんなが心配する前に」
アークは空を見上げた。
紫色の雲はいつの間にか霧散し、わずかに夕暮れのオレンジ色の光が森の向こうから差し込んできた。
少年の長き旅の、本当の始まりだった。




