静寂の共犯者(2)
三:雑貨屋の裏で
雑貨屋の奥の小さな小部屋。
カウンターの隅に座り込むことを許されたトラは、まるで部屋の主のように堂々と丸くなり、ゆったりと尻尾を揺らしていた。
ガルドは、カウンター越しにアークへ冷えたエール(未成年なのでノンアルコールのハーブ水だ)を差し出しながら、しみじみと言った。
「しかし、驚いたな。お前が誰かと一緒に町を歩く日が来るとは思わなかったぜ」
「……たまたま、成り行きだ」
「そう言いながら、お前、そのトラを見る目がどこか優しいぜ?」
ガルドの鋭い指摘に、アークはふっと顔を逸らした。
「……気のせいだ」
否定はしたものの、アーク自身、このトラに対して抱いている感情が何なのか、完全に言語化できているわけではなかった。
あの森の出会い。左腕の火傷の痕跡が消えた奇跡。そして、人間の言葉こそ話さないものの、自分の感情や指示を完璧に理解しているかのような、あまりにも知性的な瞳。
(こいつは、いったい何者なんだ……?)
ふと、アークはトラの方に視線を向けた。
トラはちょうど金色の瞳をパチッと開け、アークの視線を受け止めるようにじっと見返してきた。その眼差しの奥に、かすかな「懐かしさ」のようなものが揺らいだ気がして、アークは胸の奥がキュッと締め付けられるような不思議な感覚を覚えた。
「おい、アーク。少し耳寄りな話を聞くか?」
ガルドの低い声に、アークは意識を現実へと引き戻された。
「……なんだ?」
「最近な、この辺りの別の町や村で、奇妙な噂が流れているんだよ。『空から眩しい光が降り注ぎ、村ごと消え去った』ってな」
その言葉を聞いた瞬間、アークの身体から、先ほどまでの穏やかな雰囲気が一瞬で霧散した。
空気の温度が下がる。アークの涼しげな瞳が、鋭い刃物のように険しくなった。
「……光、だと?」
「ああ。旅の商人が言っていた。山を越えた東の果てにある小さな集落が、一晩で跡形もなく焼け野原になったそうだ。生存者は一人もいない。ただ、現場の上空には、不気味な黄金色の雲が何日も停滞していたらしい」
ガルドは眉をひそめ、声のトーンを落とした。
「十年前の、お前の故郷を襲った事件と……なんだか似ている気がしてな。お前がずっと追っている『光』の正体と、関係があるんじゃないかと思ってさ」
アークは何も言わず、ぎゅっと右手を握りしめた。
十年前の悪夢。目の前が真っ白に染まり、すべてが蒸発していったあの日の記憶が、脳裏に生々しく蘇る。
神の使者か、あるいは上位層の人間か――。奴らはまだ、自分たちのような下位層の人間を標的にしているのか。
「……情報、感謝する、ガルドの爺さん」
アークは立ち上がり、ポケットに銀貨を放り込んだ。
「もう行くのか?」
「ああ。少し、確かめたいことがある」
アークが背を向けると、カウンターの隅にいたトラもスッと音もなく立ち上がり、その足元にピタリと寄り添った。
四:忍び寄る不穏な影
オルドの町を後にしたアークとトラは、足早に森の奥へと戻っていかしの道を歩いていた。
先ほどのガルドの言葉が、アークの頭から離れない。
(東の集落が消えた……。俺の故郷と同じだ。あれは偶然じゃない。奴らは、意図的に何かを隠そうとしているのか、それとも――)
ふと、アークは立ち止まった。
頭上を覆う木々の隙間から見える空が、いつの間にか異様な色に変色し始めていた。
晴れ渡っていたはずの昼の空に、不気味な紫色の雲が渦を巻き、その中心から、目が眩むような不自然な『黄金色の光の筋』が地上へと伸びようとしていた。
「……あれは……!」
アークは息を呑んだ。
空間が歪んでいる。まるで、世界の法則そのものが書き換えられるかのような、圧倒的な威圧感と熱量が遠くの空から押し寄せてくる。
トラもそれに気づいたのか、低い唸り声を上げながら、前足を地面に踏み込み、毛を逆立てた。
(まさか、この近くまで奴らが来ているのか……?)
まだ14歳の少年であるアークにとって、世界を牛耳る「神」や「上位層」の存在は、途方もなく巨大で理不尽な壁だ。しかし、逃げる気など毛頭なかった。
両親を奪った「光」の正体に近づくための糸口が、今、目の前で動き始めている。
アークは右手をすっと突き出し、無詠唱の魔力圧縮を展開した。
青白い魔力の光が、彼の掌の周囲で激しく渦を巻く。
「行くぞ……!」
アークは低い声で呟くと、黄金の光が差し込む方向へ向けて、一気に駆け出した。
その後を、群青色の巨獣が風を切り裂くように猛然と追っていく。
世界の理を揺るがす戦いの歯車が、今、静かに、しかし確実に回り始めたのだった。




