可燃性のたかい燃料
(ソウか、比較するコトがデキたからか)
アタリマエのコトだが、ニンゲンは、比較をするコトによって、共通点や類似点であったり、あるいは、ぎゃくに、違い・差異というものを、ハッキリと知るコトになる。
ふたつ以上のモノゴトがあるとき、ソレを比較すると、おたがいの共通点や類似点、そして、違い・差異というものが、めいかく化され、可視化されて、ハッキリと見えるようになる。
ソウなると、ニンゲンは、「一体ナゼなのか。ナゼ共通点や類似点があり、ナゼ違い・差異があるのか」というコトを、かんがえるようになる。
ましてや、たかい知能レベル・ずのうレベルのニンゲンであれば、なおさらであろう。カレら、カノジョたちは、今まで、住んでいる地域・ばしょで、こりつしていた。つまり、あっとう的な少数者であり、異端者であったといえる。
じぶんのまわりに、似たようなニンゲンが、ほとんどいなかった。だから、じぶんと比較をし、くらべるコトがデキるニンゲンが、いなかったといえる。
じぶんとは、性格・かちかんなどが、あまりにも違っていたり、あるいは、じぶんよりも、はるかにアタマがワルイ。というニンゲンが対象では、どうしても、比較をするコトはむずかしい。
ナゼならば、比較という行為が成りたつためには、あるていど、共通点や類似点というものが、ひつよう不可欠になるのだから。
アタリマエのコトだが、コレがあるからこそ、そのふたつ、ないし、ふくすうのモノゴトを、かんれんさせ、つなげるコトがデキる。そういうカタチで見たり、かんがえるコトがデキる。
かんれんさせ、つなげる。というコトは、「そのふたつ、ないし、ふくすうのモノゴトを、くらべてみる」というカタチになる。「くらべてみて、ソレを見る」というカタチになる。つまり、比較という行為になるのだ。
今までは、ソレがほとんどデキなかった。だがしかし、こんかい、カレら、カノジョたちは、こうして、じぶんと似たようなニンゲンたちと、何人も会い、ハナシをするコトがデキたのだ。しかも何度も、そして、ながい時間。
その上さらに、「じぶんと似たようなニンゲンと、たくさん会うコトがデキた」というコトは、「じぶんの知っているコトや、かんがえているコトを、おたがいにハナシをする」というカタチになる。
ココで、このばしょで、おたがいが、今までしらなかったコトを、つまり、ちしき、情報、じじつ、知見、けいけん値などを、知るコトになったのである。
というコトであれば、アタマのなかで、比較するコトがデキる対象が、その分だけ増えた。というカタチになる。
ならば、比較する対象がたくさんある分だけ、たくさんの共通点や類似点、あるいは、違い・差異というものを知り、いしきし、にんしきするコトになる。
さらにいえば、医者という知的なシゴトをしており、たくさんの高度なちしきを知るニンゲンと、何度も会い、ハナシをした。
そして、このジム所の一室において、高度でせんもん的なちしきを記した書物を、たくさん読んだのである。しかも何度も。
これらのコトから、たくさんのコトを、つまり、ちしき・情報などを、たくさん知るコトがデキたといえる。
コレは、いいかたを変えれば、「もともと、すぐれた知的レベル・ずのうレベルを持っているニンゲンが、たくさんの比較をする対象を、知るコトがデキた」ともいえるであろう。
徳吉は、このじぶんの予測というか、仮説のようなモノを、何人かにたいして、つたえてみたのであった。すると、その全員が、「そのとおりなんですよ!!」と、つよく賛同したのであった。
(むかし、『思考の王道は比較である』っていうイミのコトを、ナニカの本で読んだコトがあるが、まさにソレか。
このヒトたちは、今まで、比較をするコトがデキなかった。ソレがデキるだけの対象だとか、カンキョウが整っていなかった。
比較をするコトがデキるニンゲン。あるいは、モノゴトを知っていなかった。でも今げんざい、ソレを知ってしまった。
そのコトで、今げんざい、じぶんの置かれている状況やカンキョウっていうものが、けっしてアタリマエの状態ではナイ。むしろ、『不しぜんであり、オカシイ状態である』っていうコトを知り、にんしきし、いしきをしたっていうワケか)
「そりゃたしかに、アタマにくるわなあ」
と、徳吉は、つい、つぶやいてしまった。
「どうしたんですか?ナニカ、アタマにくるコトでもあったんですか?」
近くにいた高井が、おどろいたように聞きかえした。
「あ、ゴメン。今のはひとりごとだよ。無いしきのうちに、ついクチにだしてしまったか」
「ひとりごとですか。とはいっても、一体ナニにたいして怒っているんですか?」
「イヤ、オレが怒っている。というワケじゃなくて」
徳吉は、内心においてかんがえていたコトを、高井にたいしてつたえた。
「ナルホド、そういうイミだったんですね」
「キミから見て、カレら、カノジョらが抱いた、フヘイ・フマンだとか、怒りの感情っていうのは、どうおもう?」
「ソウですね。こうして、じぶんが今げんざい、置かれている状況やカンキョウが、いかに理不尽で、オカシイ状態であるのか。コレを知って、にんしきし、いしきをした以上、しかたがないかなと」
「つまり、フヘイ・フマン、怒りの感情をいだくのは、アタリマエのコトだと?」
「ええ、ソウおもいます」
「だよねえ。オレもソウおもう」
「コレに火をつけたら、一体どうなるんでしょうね?」
「火をつける?」
とつぜんの予想外の発言に、徳吉は、すこしこんわくしてしまった。
(とつぜん、ナニをいいだすんだ?)
「ソレは一体、どういうイミだい?」
「あ、いえ、深いイミはナイんです。カレら、カノジョらが、こうして今、じぶんの置かれている状況やカンキョウを、つまり、げんじつの状態っていうモノを、知ってしまった。そして、つよいフヘイ・フマン、怒りの感情をいだいてしまった。
コレって、ガソリンや灯油みたいに、可燃性の高い燃料が、たくさんある状態と、似てるような気がしまして。
コレにたいして火をつけると、なんていうか、たくさんのつよいエネルギーになりそうだなと」
「そのエネルギーを、コチラが利用する。と、そういうイミかい?」
「ナントカ、ソレがデキたらいいかなと。とはいっても、ぐたいてきに、どうすればいいのか。っていうところまでは、まったくアタマにナイんです。ただ、ふとアタマにうかんだんです」
「カンってヤツだね」
「ええ、カンゼンなカンですよ。ナニカの証拠・こんきょ・ウラづけがあって、言ったっていうワケじゃないんです。ですからまあ、わすれてください」
(そういうが、キミのカンが、えらくアタルんだよなあ)
この高井が何気なくいった、「火をつける」というコトバが、ひとことが、徳吉のアタマのなかに、妙にのこったのであった。
高井がその場から立ち去ったあとも、徳吉は、このコトをかんがえていた。
(高井のいうとおりかもしれない。今までは、今げんざいの状態こそが、アタリマエだった。だから、ほとんどフヘイ・フマン、怒りの感情っていうモノを、持つコトがなかった。
でも今は、色々なコトを知り、比較をするコトで、理不尽さ、不しぜんさ、不平等さ、不公平さっていうものを、知ってしまった。
そして、ソレにたいして、つよいフヘイ・フマン、怒りの感情っていうものを、いだかざるを得なくなった。
つよいフヘイ・フマン、怒りの感情っていうのは、その矛先や対象は、アタリマエのコトだけど、おそらく、今げんざいの政治体制・統治機構にたいして、向けられているんダロウ。
しかも、このニンゲンたちは、皆が皆、アタマが良いときている。優秀で有能なニンゲンときている。そういうニンゲンたちを、何人も、オレたちは、配下に加えるコトがデキた。というワケか)
「となると」
徳吉は、熟考をつづけた。
(この揮発性というか、可燃性のたかい燃料を、たくさん抱えているニンゲンを、配下にたくさん持った。そういうカタチになる。
ソウである以上、このそしき・勢力の今後のかつどうに、ナニカしらのカタチで、影響をあたえるかもしれんか。
どくさい的なそしき・勢力じゃない以上、「メンバーが、どういうコトをかんがえて、のぞみ、もとめ、期待しているのか」っていうコトは、今後のそしきの方向性だとか、おこなうコトや、かつどうないようを、左右するコトになりかねん。コレは、良いコトなのか、ソレとも、ワルイないようのコトか)




