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エピソード③です
徳吉がかんがえて、実行するコトになった、「第4地区において、無料で医療サービスをおこなう」という案は、予想外の効果・成果を生むコトになった。
たくさんの患者が、診断にやってくるコトによって、たくさんのニンゲンと知りあい、つながるコトがデキる。
しかも、あいてからすれば、タダで医師の診断であったり、簡易とはいえ、医療をうけるコトがデキる。
そのために、コチラにたいして好印象を持つというカタチになる。つまり、たくさんのニンゲンから、好印象を得るコトがデキて、つながるコトがデキる。そのために、その分だけ、この第4地区における、情報・じじつを、今まで以上に、手にいれるコトがデキる。
と、ココまでは、徳吉も藤柴も高井も、じぜんの時点・だんかいで、想像し、予想をするコトがデキたのである。そして、じっさいのところ、その想像・予測というものは、あたったといえる。
だがしかし、ソレだけではなくて、予想外の成果・効果というものもまた、カレらは手にするコトがデキたのであった。
ソレは一体なんなのか。というと、「この第4地区には、ずのう・のうりょく・さいのう・知能のレベルがたかいニンゲンが、意外と埋もれている」というコトを、知るコトがデキた点である。
無料での医療サービスを提供するときに、つまり、診断をするときに、やってきたニンゲン・患者にたいして、医者は、イロイロなコトを、アレコレとしつもんをする。
そして、アタリマエのコトだが、「ニンゲンのアタマの良し悪し」だとか、「ずのう・さいのう・のうりょく・知能のレベル」というものは、たいていのばあい、コトバに現れるのである。
つまり、「じぶんのアタマのなかにあるコト、なやみごとなどを、めいかくに、ハッキリと、ぐたいてきに言語化し、コトバにして表現するコトがデキるのかどうか」というコトである。
患者として、ソコにやってきたニンゲンは、ナニカしら、カラダの不調というものを訴えてくる。そのときに、「じぶんは今、どういう状態であり、どんなときに、どういう症状がでてくるのか」というコトを、診断や医療行為をおこなうがわが、ハッキリとわかるように、チャント言語化して、表現するコトがデキているのか。
コレによって、あいてのアタマの良し悪し、ずのう・さいのう・のうりょく・知能のレベルというものが、こまかいところまではムリだとしても、大体のところは、察するコトがデキたのである。
フツウにかんがえてみれば、「ニンゲンの持っているアタマの良し悪し」だとか、「ずのう・さいのう・のうりょく・知能のレベル」というものは、たいていのばあい、あるていどであれば、あいてのガクレキによって評価し、はんだんするコトがデキるハズである。
たかいレベルのガクレキを持っているニンゲンであれば、アタリマエのことだが、ベンキョウというものが、良くデキたハズである。
学問をベンキョウし、良い成績を収めるコトがデキた。だからこそ、たかいレベルのガクレキのガッコウにたいして、進学するコトがデキた。というカタチになるハズである。
そして、ベンキョウ・学問が良くデキた。というコトは、一定レベル以上のアタマの良さ、ずのう・さいのう・のうりょく・知能のレベルが、ひつよう不可欠になるハズである。
ナゼならば、一定レベル以上の読解力、論理的な思考のうりょく、りかい力、キオク力。というモノがなければ、ベンキョウしたとしても、学問をまなび、りかいするコトはデキない。また、テストで良い成績を収めるコトもデキない。
たしかに、「ガッコウでベンキョウしたコトが、しゃかいにたいして出ていって、シゴトをしてはたらくときに、ちょくせつ的に、すぐに役にたつ」というケースはすくない。というか、ほとんどナイかもしれない。
だがしかし、「どのていど、ベンキョウがデキたのか」であったり、「どのていどのレベルのガッコウにたいして、進学するコトがデキたのか」というコトは、あいてのアタマの良し悪し、ずのう・さいのう・のうりょく・知能のレベルというものを評価し、はんだんするときに、おおいに役にたち、参考になるであろう。
もっとろこつにいってしまえば、「ガッコウのベンキョウでは、天才を見つけだすコトはデキない。だがしかし、秀才は見つけだすコトならばデキる」というコトである。
そして、天才というニンゲンは、そもそもの前提として、滅多にいるワケではない。天才とは、「いつの時代・ばしょでも、かならず一定数はいる」というワケではない。時々、とつぜん現れるのが天才なのである。
だからこそ、天才というニンゲンを、アテにするコトはデキない。さいしょから、アテにしてはいけない。
だがしかし、ソレにたいして、秀才というニンゲンであれば、いつの時代・ばしょでも、かならず、一定数はそんざいしているのだ。
ろこつにいってしまえば、一定レベル以上のガッコウがそんざいしていれば、「ソコにたいして進学したニンゲンが秀才である」といってもいいであろう。
どうやら、ガッコウという機能・機関には、こういうメリット・やくわりもあるのかもしれない。ソウ言ってもいいのかもしれない。
なにせ、すくなくとも、一定レベル以上の秀才というニンゲンを、すばやく、カンタンに、一定数を見つけだし、かくほするコトがデキるのだから。
だがしかし、この第4地区においては、ソウはいかないのである。ナゼならば、高等教育機関というものが、そんざいしていないのだから。
高校までしかそんざいしていない。そのために、ほんらいであれば、大学にたいして進学し、高等教育をうけるコトがデキるレベルのニンゲンであっても、ソレがデキないのである。
そして、第4地区に住んでいるニンゲンは、第3地区以上に住んでいるニンゲンから、バカにされ、見くだされ、さべつされている。
そのために、そういう秀才であっても、第3地区以上にそんざいしている大学にたいして、進学するコトはデキない。
(コレは、おもわぬ成果だ。怪我の功名とでもいえばいいのか。あるいは、ヒョウタンからコマ。だとか、タナからボタ餅といったところか)
医療サービスをおこなっている、医者からのハナシを聞いているうちに、ダンダンと、「患者としてやってくるニンゲンのなかには、カナリすぐれたニンゲンがいる」というコトに、徳吉は気がついたのである。
「どうですか、最近の状況は」
「この第4地区では、初歩的な医療サービスをおこなう機関もない。というハナシは、以前から聞いていましたが、想像以上でしたよ」
第3地区からやってきた医者のひとりである、伊藤が答えた。
「というと、想像以上にヒドイ状況。というイミでしょうか?」
「ソウ受けとっていただいて、もんだいないです。初期症状にたいするクスリも、カンタンには手にはいらない状況ですし。まして、医者なんていうのは、そんざいしていないに等しい」
「つまり、医療サービスのサバク地帯。といっても良さそうですね」
「サバク地帯ですか、言い得て妙ですね」
「ほんらいだったら、初期症状のだんかいで、すぐにクスリを処方したり、医療サービスをうけるコトがデキていれば、病気やケガが治ったり、あるいは、悪化するコトはなかった。
でも、ソレがデキないために、症状が悪化してしまうニンゲンがおおい。と、こういう解釈でヨロシイでしょうか?」
「おっしゃるとおりです」
「ソレと、こんかいの医療サービスをおこなっていただいて、そのハナシを聞いているうちに、気づいた点があるのですが」
「といいますと?」
「患者のなかには、じぶんであったり、あるいは、付き添いでやってきたニンゲンが、病状のせつめいをするときに、的確なせつめいをおこなうコトがデキるニンゲンと、ソウでないニンゲンがいる。というコトを、何度かお聞きしましたが、的確なせつめいをするコトがデキるニンゲンは、知的レベルがたかい。と、こうおもうのですが、どうでしょうか?」
「ソレはたしかに、そのとおりかもしれませんね。コチラにたいして、的確につたえるコトがデキるのか。あるいは、ソウでないのか。
ソレによって、コチラとしても、びょうきの診断をするときに、その正確性や効率性に、おおきな差がでますね。
やはり、病状をただしく、正確にはあくをしており、かつ、ソレをたにんであるコチラにたいして、的確にせつめいし、つたえるコトがデキている。
こういうニンゲンは、まあ、アタリマエといえばアタリマエですが、一定以上のずのうレベルがひつよう不可欠でしょうね」
「ソレは、モノゴトを感情・気分・感覚ではなくて、冷静に、論理的にかんがえて、りかいし、はあくするチカラがある。と、こういうコトでしょうか?」
「おそらく、ソレで合っているとおもいます」
「そして、その一定以上のずのうレベルを、つまり、知的レベルを持っているのであろうニンゲンであっても、高等教育をうけていないニンゲンがおおい。
ソレどころか、初歩的な教育すら、うけていないケースすらある。と、こういうカタチになるとおもうのですが、どうでしょうか?」
「ソレで合っているとおもいますよ。しょうじなところ、ワタシもソレは、つよくかんじましたよ。患者にたいして、置かれている状況を知るために、過去のじんせい経験を聞くコトがあるのですが、たいていのばあい、まずしくて、マトモな教育というものを、うけるコトがデキなかった。
だから、医療にかんけいした情報・ちしきを、ほとんど持っていない。という方が、おおかったんです」
「コレはまあ、シロウトの浅知恵なんですが、伊藤さんは、医者になるために、アタリマエのコトですが、専門的な高等教育機関でベンキョウして、医療をまなんでいますよね。
というコトであれば、お医者さんが、患者とハナシをするときに、お医者さんが感心するほどに、病状であったり、過去の経緯というものを、的確にせつめいし、つたえるコトがデキている。
と、こういうタイプの患者は、まあ全員ではナイにしても、お医者さんと、似たような知的レベル、ずのうレベルのニンゲンである可能性がある。というコトでしょうか?」
「ソコまでいえるかどうかはわかりませんが。コチラが感心するほど、コチラににたいして的確にせつめいし、つたえるコトがデキている。
そのために、コチラが診断をするときに、おおいにたすかる。というタイプのニンゲンは、やはり、バカではナイでしょうね」
(ニンゲンのずのうレベル、知的レベルは、あいてのコトバを聞けば、大体のところはわかる。というけど、聞くがわのニンゲンがすぐれているとき、そのすぐれたニンゲンが感心するほどだったら、あいても似たようなレベルのニンゲンである可能性・確率は、しぜんとたかくなる。というワケか)
「こんかいの医療サービスをおこなうときに、患者のナマエ、住所などを聞いているワケですが、参考までに、伊藤さんであったり、あるいは、ほかのお医者さんが、『このニンゲンは、病状というものを、ただしく正確に、的確にせつめいし、つたえるコトがデキている』というニンゲンがいたら、印をつけておいていただけませんか?」
「印ですか。しょうじきなところ、『なんとなく』でしか、はんだんがつかないのですが」
「ええ、ソレでかまいませんよ。コレはあくまでも、なんとなくでダイジョブです。ソコまで正確性をもとめるワケではありません」
「そういうワケでしたら、やってみますよ」
「アリガトウございます」




