46.ありがとう
フェルが私より一週間程遅れて退院するタイミングで、私達は大公城へと住まいを移した。
新しい住まいは勿論広い本城の中だった。少しは知っているとは言え、あまりの広さと歴史の感じる荘厳な雰囲気に緊張してしまった。本当にこんなところで私が暮らして良いのかと萎縮してしまう。
でも母の方が私よりもびびっていた。母は本城に入るのが初めてだった。弟達は広い部屋や様々な調度品に好奇心が擽られたようで、探検がなかなか終わらなかった。何でもかんでも触ろうとする弟達に、いくらするかも分からない高そうな調度品を壊してしまわないかと私と母はハラハラとしたが、大公は全く気にしていなかった。
母はまだ暫く愛人という立場になるらしく、大公夫人の部屋ではなく別の部屋を与えられた。
ドロテーアや娘達の部屋は意外にも私の部屋と近くだった。ドロテーアは未だ王都にいるが、他の二人の娘には大公から紹介してもらった。十二歳と七歳。母親の反逆の事は隠さず話したそうで、事件があってからもずっと大公城にいた二人は多少なりとも察していた様だ。不安がある為か二人はぎゅっと手を握って、私や母を睨んでいる様にも感じた。母親から私達の事は聞いていたに違いない。大公がどう説明し、どう理解して貰おうと努力しても、簡単に信用は出来ないだろうなと思った。でも、少しずつでも歩み寄れたら良いなと思う。
そしてカサンドラはアードルフ第二王子殿下率いる王都軍によって王都へと護送された。娘二人は接近が禁止されていた為、離れたところから、大公に付き添われ泣きながら見ていた。見ていて悲しかったけれど、信用されていない私は慰めることも出来なかった。カサンドラにはきっとその泣き声は聞こえなかっただろう。
隣領のロッテベルク領は、ヴィゲリヒ家と共に反逆に加担した為、ヴィゲリヒ家当主の息子である領主が隣国と合流しようとするのを王都軍と銀狼騎士団が阻止し、捕まった。そして今後家は取り潰しとなり、領地は王家に返還されるだろうとの事だった。アードルフ第二王子殿下が「我が貰おうか」なんて言ってたけれど、どうなるかは今のところは分からない。
事件後の慌ただしさも落ち着きつつあるとある日、私の部屋をエミルが訪れた。
「行くぞ」
「どこへ!?」
私の部屋の前には必ず護衛が一人立っていた。騎士団の中にヴィゲリヒ家の残党がいるとも限らないからだとか。何故かエミルとノアは顔パスで入れてしまうけれど。時々ノアがその護衛役になるが今日は別の人で、エミルはその護衛に軽く挨拶をして、私の腕を引っ張っていった。
「どこに行くの?」
ズンズン歩いて腕を引っ張られているのに、不思議と痛くないから文句も言いにくい。
「まあいいから」
それだけ言って足を止めることなく城の中を歩いた。そのうち行った事の無いところにまで入って行った。
「ここ、私が入っていいの?」
「入っちゃダメなとこは鍵が掛かっている所以外、もう無いだろ」
確かに大公からは何も言われていない。大公夫人はもう居ないから他に何か言う人もいない。
進むうちに螺旋階段が現れた。目が回りそうな小径の螺旋階段に思わず「これ上るの?」と聞いてしまった。エミルは私に手を差し出して「上る」と言った。
コンパクトな螺旋階段は一段一段も高い。直ぐに息が上がってきてしまった。エミルは私にあわせてゆっくり上っているからか平気そうだ。所々に小窓がついていて、そこから覗き見える景色からかなり高い位置にいるのだけは分かった。反対に上を見上げると天井はまだの様だった。
息が上がるを通り越して息切れした頃、「到着だ」と言われた。疲労で重くなった足を持ち上げて上った所はとても狭い空間だった。エミルとドレスを着た私が立ったらもういっぱいになる位のスペースしか無い。そして驚く位に見晴らしの良い場所だった。
「大公城で一番高い所だ」
大公城の敷地の中がよく見え、さらに大公領も見渡せた。城下町の形も分かるし、どこに森があってどこに川があるのかもよく見えた。「監視塔として使われている」という説明に納得の眺めだった。
冬の冷たい風が吹いて髪がなびいた。息切れして火照った体に心地良かった。
なにより、寒茜色があまりにも美しくて、感嘆の声が漏れた。
この美しい大公領が守られて良かったと、心から思った。
「ありがとう」
ここに連れて来て美しい景色を見せてくれた事も、その美しい景色を守ってくれた事も、全て引っくるめた“ありがとう”だ。どれだけ伝わったのか分からないけれど、エミルは咳払いをした。これだけで照れるなんて珍しい事だった。感謝とか賞賛とかを喜んで受け入れるタイプなのに。
「ラン」
名前を呼ばれたと思ったら流れる様にエミルは片膝をついた。騎士の忠誠を誓うポーズの様な、でもどこか違う。私を見上げる視線が真っ直ぐで、ドキリとして動けなくなった私の左手を攫って薬指に唇を落とした。
「生涯、ランの隣にいて守り愛する事を誓う。ここに指輪をはめる許しをくれないか?」
あっ、と思った。
油断していた。事前に予測していれば答えの言葉も用意していたのに。
「何言ってるの、冗談はよして」なんて言葉も浮かんだけれど、洞穴で「大事な言葉を逃げずに聞くか?」と言われていたから、誤魔化して逃げられない。
そもそもこんなにも真面目に言われてしまったらその誠意に正面から答えるべきだろう。
「私の首の傷は綺麗には治らない。きっと残るよ」
「それは目の前に居たのに守れなかった俺の責任だ」
「傷は穢れって、敬遠される」
「俺がそんな事気にすると思うのか?俺の家族も誰も気にしやしない。家族も騎士だから傷だらけだぞ」
エミルはゴソゴソとポケットから指輪を出した。夕焼けに照らされてキラキラと輝くシルバーリングは、黄金色にも見えた。少し震える私の左手の親指にすっぽりとはまった。
「傷跡が気になるなら隠れるような首まである服を着ればいい。いくらでも買ってやる。他の男にお前の肌を見られなくてちょうど良い。俺だけが知っていればいい」
片膝をついているエミルに抱き着いた。思いの外勢いが良かった為、エミルが床にお尻をついた。
「なんでこんな時までちょっとスケベなのよ」
押し倒したような形になってしまったけれど、エミルは優しく抱き返してくれた。
「今のどこがスケベなんだよ」
「しかもまだ許してないのに勝手に指輪をはめるし」
「嫌がらなかっただろ」
もっと可愛い言葉が言えれば良いのに、口から出るのはこんなのばかり。
“好き”のひとつも言えない私は、耳元で小さく「ありがとう」と言った。
「顔、見せて」
残酷だ。照れている私にそれは無いだろう。
ぎゅっと抱き着く私の体をいとも簡単に離してしまう力強さを恨めしく思う。顔の近さに余計に照れが増してしまう。
「キスしていい?」
「…そういうのって、聞くものなの?」
私の反応が面白かったのか、少し笑ってから顔が近付いてきた。微かに上唇に当たって直ぐ離れてしまった。そうしたら今度はエミルの大きな腕に抱き締められた。
「ねぇ…」
「…ん」
「私、キスって初めてだけど…合ってた?」
「…聞くなって」
「ちょっと上じゃなかった?」
「俺だって初めてだし」
エミルの腕の中でクスクスと笑ってしまった。
エミルが初めてだっていうのも驚いたけれど、信じてあげようかなと思った。エミルの胸から聞こえる鼓動が、私と同じくらい速かったから。
「笑うなって」
嬉しかったのかもしれない。恥ずかしくても、同じなのが嬉しかった。エミル一人だけ経験値が高かったら、寂しさとか嫉妬とか物悲しさとかを感じていたかもしれない。それは欲張りな事だ。
「笑うならやり直すぞ」
「やり直しは一度だけなら許すよ」
やり直しは失敗しなかった。
二度もするから「約束が違う」と言えば、「二回目だからやり直しじゃない」と反論された。
私達は寒茜色が変わるまで、そのままそこにいた。不思議とちっとも寒くなかった。
☆おまけ
エミルのキスが初めてなのはホントです。こう見えて純情ボーイです。
フィンの従騎士だった頃は騎士団長に付いていた事もあり大忙しで、ラン達が大公城に来る事になり騎士となってからもあまり遊ぶ暇なく真面目に仕事と訓練をしていました。
大公について王都に行っていた際も、護衛任務や訓練があり、僅かな自由時間はランへのお土産探しをしていました。お土産探しをする為に自由時間になると飛び出して出掛けた為に、「女がいるんじゃないか」と噂が立ったそうです。剣の腕が立ち、大公の護衛中にも女性から声を掛けられるエミルに対する嫉妬混じりの噂ですね。
その噂によってランから女誑しと言われてしまうのですから、可哀想な男です。




