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大公の愛人の娘  作者: 知香
第三部

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45/47

45.考える時間

「…何しに、来たの」


 掠れた声が牢に響いた。決して大きくはない声でも、地下牢ではこんなにも響くらしい。その声にたじろいだが、驚きもした。


 大公夫人は牢に入れられてから殆ど喋らなかったらしい。それなのに、私が何か話す前に大公夫人の方から話し掛けてきた。

 聴取されるのを拒んでいるのならと、大公や騎士はこの場から離れてもらった。唯一護衛のノアだけ近くに控えてもらっている。


 本当に久し振りに発声したかの様な掠れた声は、威厳あるあの大公夫人のものとは思えなかった。


「大公夫人はもうじき王都へと移送されるそうなので、その前に聞きたい事が…」

「もう、大公夫人じゃないわ。大公から離縁すると言われたから」


 ぐっと唾を飲み込んだ。大公夫人で無くなったのに慣れない。この人が大公夫人だと、それが名前かのように私に刷り込まれている。私は何と呼べば良いのだろうか。


「空いた大公夫人の座に、平民であるあなたの母親が座るのでしょう。そしてあなたは晴れて大公女となる。上手いことやるわね」


 何も話さなかったのが嘘のように嫌味が出てくる。


「私は大公女になる事を望んでいた訳じゃないわ」

「嘘つきなさい。大公に甘えて気にかけてもらって、騎士を色香で惑わして味方につけて。純情な娘のふりして取り入ったのでしょう」

「そんな事はしていないわ」


 大公に気にかけてもらっていたのは事実たが、それは大公が優しい人だからだ。騎士を惑わした覚えも無い。エミルやノアの事でも言っているのだろうか。大公城に来てから必死だった私を支えてくれたエミルは、色香で惑わされるような人ではない。性欲の解消ならと言った私を本気で怒ってくれる様な人だ。


「じゃあなぜ!なぜあなたは…」


 そこで言葉を飲み込んだ。この人はまるで私と比べているかのようだった。


「もしかしてあなたは…連れ子なのですか?」

「……」


 少し沈黙があった。プライドの高いこの人が否定をしなかった。


「…私の母は踊り子よ。綺麗だった母はご当主様に見初められ、私が生まれたわ。ご当主様は母と私を引き取って屋敷の離れで暮らせる様にしてくれた。でも踊り子だった母は他の男との子をご当主様との子だと偽っているんじゃないかと邸の者達に疑われ、酷い虐めにあったわ。いつの間にか離れから使用人はいなくなり、食事だって一日一食あるかどうか。同じ敷地の中の本邸で暮らす正妻の子ども達は綺麗な服を着ていて、なのに私は汚れが取れなくなってツギハギだらけのサイズの合わなくなった服を着ていて、惨めだった」


 牢に入れられ、薄汚れた服を着て髪も整えられておらず見すぼらしい姿になった今、当時のこの人を容易に想像出来てしまった。「惨めだ」と言った声から悲しみが伝わって、簡単に同情をしてしまう。


「私が五歳の頃、母は死んだわ。栄養失調よ。信じられる?貴族の邸で暮らす人間が栄養失調よ。ただでさえ少なかった食事を、私にばかり食べさせていたからよ」

「栄養失調…」


 母親の気持ちは分からなくはない。きっと私の母も同じ境遇なら同じ事をしたかもしれない。母と二人暮らしだった時は周囲に助けて貰いながら、畑で採れた野菜を食べて生きてこれたから、そんな境遇にならずに済んだ。


「母が死んでから正妻の子として籍を入れてもらえ、ご当主様に家の役に立つようにと教育されたわ。正妻には良い顔なんてされなかったしほとんど無視されていたけど、些細な事だった。綺麗な服を着せてもらえ、豪華な食事が与えられて、調度品が立派できちんと掃除された私だけの部屋まで。勉強は大変だったけれど、女なのに教育を受けられるのは貴族の証だと思い必死に学んだわ。家の役に立たなければまた離れに戻されるんじゃないかと、それが怖くて、あの頃になんて戻るものかと」

「…ヴィゲリヒ家の当主を、恨んだりはしなかったのですか?もっと気にかけてくれさえすれば、お母様は亡くなられる事は無かったのでは、ないのですか?」


 私の言葉に目を向けた。その目が合うと、条件反射なのか背筋がピリッとした。


「恨んでどうなるというの?恨んだところで母は生き返りはしないし、反発したら元の生活に戻るか、捨てられたかもしれない。私にはもうご当主様しかいなかった。ご当主様に認めてもらう事、それが私の全てだった」


 ヴィゲリヒ家当主は従順な娘にする為に、思い通りに操られるように仕組んだのだろうか。

 母親を見初めたなんて、愛情があるのなら離れに放置しないし、母親が栄養失調で倒れる前に変化に気がつく筈だ。遊びだったか、妊娠したから興味が無くなったかでは無いだろうか。


 私はヴィゲリヒ家当主に会った事は無い。どんな顔をしているのか、どんな人となりなのかも知らないけれど、大公領を狙って王になりたかったくらい欲深い男なのだろうと思う。そしてその為に娘であろうと利用する冷徹な男なのだろう。


「大公様に、嫁いでから事情を全て話していたら、きっと助けてくださったのではないですか?」

「助ける?何から?無血開城でもしれくれたと?」

「そうでは無くて!当主の良いように使われることなくヴィゲリヒ家から自由になれたかもしれない。大公夫人として生きる道があったかもしれないのに」

「自由ですって?別に私は不自由をしていた訳じゃない。ご当主様に、父親に…ただ認めて褒めて貰いたかった。それだけよ」


 言葉はもう出てこなかった。

 私にはヴィゲリヒ家から解放される方が幸せに思えるけれど、きっとこの人にとっては親の愛を得る事の方が幸せなんだ。当主が全てで、依存する存在で、執着する相手。幼少期から頼れる人が当主しかいなかったからだろうか。

 もう大人になった今、その考えを変えることは難しいのかもしれない。ずっとそれを信じ縋って生きてきたのだ。


「でも、私の事を羨ましく思っていたんじゃないですか」

「羨ましい?」


 私を見る目が鋭くなった。怒らせてしまったかもしれない。


「目障りだった!大公は正妻である私に全く遠慮する事もなくあなた達の住む塔に通って、連れ子でしかないあなたを気にかけて、食事も使用人も教育も何もかも与えて!愛人にばかり構う大公に愛想をつかれ女しか生めない正妻と揶揄された私があなたを羨むですって?殺したい程憎かっただけよ!」


 直接的な殺意に、体が震えた。

 この人も苦しかったのだろう。夫に愛人が出来たら妻としての立場は無い。周囲に嫌味を言われ、当主にもきっと何か言われただろう。反逆を企てる前は、男児を生むことが第一の目的だった筈だ。それを邪魔する存在の母を、そして自分とは似た境遇なのに全く違う待遇の私を、目障りだと思うのも仕方が無いと思ってしまう。


 聞いてみたいと思った話は聞く事が出来た。

 この人の当主が全てという考えを変える事も私には無理だ。


 この人の境遇に同情はするけれど、殺したい程憎いと言われても私はこの人の為に死んでやるつもりもない。


「…ヴィゲリヒ家当主の企みを王家に伝えたのはドロテーアだった事は聞きましたか?」

「……」


 私を睨んでいた目は逸らされて、何も言わなかった。おそらくこれまでの聞き取りで聞いていたのだろう。


「ドロテーアは自分自身で何が正しいか、どうすべきなのか、考えて行動したのでしょう。それはあなたの教育の賜物なのではないですか。あなたもきっと一人に依存せずに広い視野を持って自身で考える事が出来る筈です。あなたが王都に送られた後どうなるかは私には分かりませんが、考える時間はまだまだあると思います」

「……」


 何も言われなかった。だから私はその場を去る事にした。ノアに視線をやって、来た道を戻った。

 階段の手前まで来て、大公とエミルが居た事を知った。離れたところから見て聞いていたらしい。どんな顔をしたら良いか分からなかったけれど、大公は軽く私の頭に触れると階段を上っていった。それについて階段に足を乗せたけれど、地上へと繋がる階段を上る体が異常に重く感じた。疲れなのだろうか。

 ゆっくりと上る私に、エミルが手を差し出してきた。エミルが何も言わなかったから、私も何も言わずにエミルの手を取って一段ずつ階段を上った。



☆おまけ

アードルフ第二王子殿下とドロテーア


 ドロテーアはアードルフ第二王子殿下に惹かれています。反対にアードルフ第二王子殿下はドロテーアに対して信用のおける令嬢といったところでしょうか。義理の父親になるのが大公なら「まあ良いか」と家門としても認めています。

 今回の王都軍の大公領出兵に志願したのは、ランが気がかりだったとか、大公への点数稼ぎだったとか、王城内での地位向上目的だったとか、ドロテーアをヴィゲリヒ家から解放させてやりたかったとか、色々な思惑があったことと思います。

 きっと彼はこれからも損得で考えて選択をしていく事でしょう。


 なので、これからの二人の行く末は…ご想像にお任せします。((( 三((( 三┌┤;´д`├┘


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