47.選んだ道を
窓を開けると少し強い風が暖かな空気を部屋に流し込んだ。春霞で遠くの山々が見えない。最後くらい、素敵な景色を見させてくれてもいいのにと思う。それでも晴れているだけ有り難いことだ。
扉をノックする音がして返事をした。使用人のハンナが入って来て「おはようございます」と言った。
ハンナは塔が焼けたあの夜、仕事が終わって城下町にある家族と住む自宅に居た。なので火災に巻き込まれる事も無く、城に閉じ込められる事も無く、無事だった。火災が起きて城にも入れなくなってかなり心配させてしまったけれど、再会出来た時は本当に嬉しかった。そしてまた使用人として私の世話をしてくれた。
「今までありがとうございました」
ハンナに手伝って貰って、繊細な刺繍と揺れるレースが上品なドレスに着替えた私は、大公城の門に立っていた。春の風にレースが揺れて、体が軽くなった様な気さえした。
「幸せになってね」
涙が出そうで出ない母の目は潤んで、その様が美しく見えた。母に抱き締められて、寂しさを実感する。
「寂しくなるな」
大公に、私を抱き締める母ごと抱き締められた。本当の父親みたいだ。それを真似をして「僕も!」とフェルが足元に抱き着いて、マティまで真似をした。私の愛弟達は可愛らしく愛おしい。
「お早い里帰りが無いと良いわね」
そんな憎まれ口を叩いたのは、王都から戻ったドロテーアだ。
「そんな事言って、意外と寂しいとか思っていませんか?」
「そんな訳ないでしょ!」
ドロテーアとは、仲が良いとまではいけなかったけれど、そこそこ砕けた仲にはなれたと思う。二年前、アードルフ第二王子殿下がヴァイエルン大公領を訪れた際に、ドロテーアから胸の内をぶつけられた事があったから、私に対して飾らない態度で気取る必要も無く、寧ろ今更それをしたら気恥ずかしさを感じる為こうなったのかもしれない。
母に促されてドロテーアの後ろから出てきた妹二人は、おずおずと私にブーケを差し出してきた。
「私に?」
「二人がアレコレ言いながらあなたが喜びそうなものを選んでいたわ」
「姉様はそう言うけど、私達が選んでいる時横やり入れてばかりだったじゃない」
「リボンの色も私が決めたかったのに姉様が決めちゃったし」
「余計な事言わなくていいから!」
母はこの三姉妹と意外にも仲良くなった。下の妹達と私は少し距離があって、会話もあまり無い。ドロテーアが王都から戻ったらいつも間で橋渡し役をしてくれていた。おかげで二人はドロテーアの陰に隠れて私と会話する事が多い。でも母とは少しずつ仲を深め、何処まで踏み込んで良いのかを探っている様な感じもある。空気を読む賢さがあるのかもしれない。慣れが進めば我が儘や不満も出てくるかもしれないけれど、憎み合ったり不仲でいたりするよりは平和的で良いなと思う。それも今回の件で事情も把握して上手く立ち回ってくれたドロテーアのお陰だろう。
この姉妹が準備してくれたブーケは、春の柔らかで淡い花が詰め込まれた優しいブーケだった。
「ありがとう」
「花嫁なんだからブーケ位無いと」
ドロテーアが照れくさそうに言った。
今日は、この大公城を去る日。この後城下町にある教会で結婚の誓いを立てて、そのまま新居に移るのだ。
豪華な結婚式はしない。教会にも立ち会う人は居ない。母や大公が来るとなると、どうしても警備の問題も出てくるのでお断りさせてもらったのだ。大公はかなり残念そうだったけれど。グラッツィ家も辺境から来てもらうのが申し訳なく、後日エミルと挨拶に行く予定だ。本当は先に挨拶に行きたかったのに、もう既に次期グラッツィ男爵とは会っているし歓迎しているから問題無いと言われてしまった。大公から許しが出ている結婚にグラッツィ家が反対する理由もないと。
エミルは貴族だけれど、結婚をしたらただの騎士だ。そして私は大公の愛人の連れ子。貴族では無いのでささやかに二人で誓いを立てる事にした。
新しい住まいは、大公に大公家が所有する家を祝いとして贈るとも言われたが、さすがに断った。貴族では無いのにそんな立派で歴史ある家を軽々しく貰えない。身に余るし手に余る。なのでエミルの給料に見合った家を借りた。
「いいか。何かあっても無くてもいつでも帰ってきて良いからな。遠慮はするなよ。我慢もするな。エミルに限って大丈夫だとは思うけど、悲しい思いをする事があれば必ず頼れよ」
「大公様…それは…」
「どんな場合もどんな時もどんな理由があってもエミルに非がなくても全面的にランの味方だからな」
「出来ればいつもの様に冷静に判断して欲しいのですが…」
大公にタジタジになるエミルがおかしくて笑ってしまう。どうしても私は父親の様だと思ってしまうけれど、大公にとっては父親なのだろう。線を引く私を寂しく思っているのも分かっている。でも血が繋がっていない私が大公を父親とはどうしても呼べない。
だから図々しくとも父親代わりと思う事にした。
「大公様、ありがとうございます」
大公は満足そうな笑顔を見せた。本当に優しい方だ。
「帰るだなんて言い方しなくても、いつでも遊びに来て欲しいわ。フェルもマティもあなたと遊びたい筈よ。あなたならきっとこの門も顔パスよ」
母は私の手を握って笑った。それから「そうでしょ」と言わんばかりに大公に視線をやると、大公は大きく頷いた。
母と離れるのは寂しいし不安だ。母と一緒に暮らしてきたのに、これからは居ないのかと思うと心細い。でもずっと母と離れずにいる訳にもいかない。もっと早くに嫁に行く人も多くいる中、私は今日まで一緒にいられて幸せだった。
幸せだと実感すると、ポロポロと涙が溢れてきてしまった。目の前の母の顔が滲んで見られない。母は泣かないように堪えてくれているのに。
「泣かないで。せっかく綺麗なお化粧が取れてしまうわ」
「うん…」
母は握っている私の手を、エミルに引き継いだ。
エミルに涙を拭いてもらって、落ち着かない胸に春の優しい空気を入れた。
「これまでたくさんの愛情を込めて育ててくれて、そして一緒の時間を過ごしてくれて、数え切れない幸せをくれて、ありがとうございました」
名残惜しさがあったけれど、私は新しく自分で選んだ道を行く。
大公城は高い塀に囲まれ、長く住んだ塔は冷たい石の壁が牢の様で、母と暮らしていた家が恋しかった。でも子どもだからと母について大公城に来たのとは違い、自分で選んだ人とこの先の人生を歩んで行く事を決めた。
エミルの手を取って大公城の通行門を通り、堀に架かる橋を渡った。この先も思いもよらない事が起こるだろう。もしかしたら堅固なこの城にいた方が安全なのかもしれない。それでも私の手を握ってくれ安心をくれるエミルと共に生きて行きたい。
橋の上は心地良い春の風が吹き、足を軽やかに運ばせた。
END
最後までお読みくださりありがとうございました。
途中投稿に間が空いてしまいましたが、どうにかこうにか完結できホッとしております。
評価やリアクションしてくださった方、本当にありがとうございます。この場を借りて感謝申し上げます。
知香




