43.つむじと温もりと
意識が戻った時、まず首に痛みを感じた。それに眉をひそめ、ゆっくりと目を開けると、辺りが茜色をしていた。
「目を覚ましたのか」
横からノアの声がしてそちらに向こうとしたら、やはり首が痛くて動くのをやめた。
「結構傷が深かったから動かない方が良い」
首の痛みの原因をゆっくりと思い出した。
怖かった。これまでも色々とあった。家庭教師からの体罰、暴れ馬、ドレスを切られた事もあった。そして塔を燃やされ、兵に追われた。ここ数日の間に死を意識した事はあった。でも、傷付けられ目の前に死を感じたのは初めてだった。首に当てている剣に力を込められたら私の動脈は切られて死んでいただろう。
手をそっと首に当てた。包帯が巻かれていた。思い出すと怖いけど、生きている事にホッとした。
「ごめん」
目だけでノアを見たら、ノアが私に向かって綺麗に頭を下げていた。
「護衛のくせにランを危険に晒して傷まで負わせた」
ノアは初めて会った時から礼儀知らずで図々しくてまだ幼さを感じていたけれど、こんなに綺麗な礼も出来るんだなと思った。騎士なんだし、大公家の銀狼騎士団なんだからそういった教育もきちんと受けている筈で、ちゃんとやれば出来るのだろう。窓から入る夕焼けが作るノアの影も綺麗な形をしていた。
「ノア」
発声する分には痛みを感じなくて、それに安心した。
「ごめんね」
「俺が悪いんだからランが謝るなって」
「エミルに、城下町の塀から出るなって言われていたのに、出た私が悪いんだよ」
「俺が連れ出したようなもんだ。気が緩んでたんだ」
ノアはずっと頭を下げたままだった。私はつむじと会話していた。
「頭、上げて」
躊躇いがあるのかゆっくりとノアが頭を上げた。何もそこまで謝らなくてもと思ったが、でもノアの礼儀正しい一面をみられて嬉しいような気持ちもあった。
顔を上げたノアの口元に赤く痣が出来ていた。よく見れば唇にも切れた跡があり、腫れ上がっていた。
「どうしたの、それ…」
「まあ、ちょっと」
「誰かに殴られでもしたの?」
「まあ、そんなとこ」
「誰に?」
「……」
ノアは言わなかった。
けれど、思い当たる人は二人いた。どちらかだろうと思った。
「…ごめんね?」
「いやぁ、だから俺が悪いから」
「ふふっ…」
本当に悪そうに引かない様子から思わず笑ってしまった。この反省をして真面目に謝罪するのも、一発食らったからなのだろうと思ったら可愛く見えたのだ。
ノアは私が笑った事に不満そうな顔をしたけれど、何も言わずに脇にある椅子にギシッと鳴らしながら座ると足も腕も組んでそっぽを向いた。ノアの横顔は夕日に照らされて赤くなっていた。
「眩しいね」
「…カーテン閉めるか?」
「ううん。夕焼け色は温かく感じるからまだ閉めないで」
眩しさに目を閉じると、また寝られそうだった。
昨日もあまり寝られなかったし、今は差し込む夕日が温かい。きっと寝たら首の傷の痛みも忘れられる。
目を閉じた私が寝たと思ったのか、ノアは立ち上がって部屋を出た。でも直ぐに戻って来た。おそらく私が一時目を覚ました事を外の護衛に伝えたのだろう。
ギシッと音がして再びノアは椅子に座ったのだと思った。
「……エミルが第二師団長に斬りかかる直前、俺を見たんだ。それから一瞬だった。一瞬で腕を斬り落としてた。速かった。あんなに速いのは初めて見た。俺よりもウエートがあるのに俺よりも素早い動きだった。俺はまだエミルの足元にも及ばないのだと分かったよ。もっと強くなりたい…」
私に語りかけたのか、独り言だったのか。何かを言うのも目を開けるのもせず、私は何も応えなかった。涙が流れてしまいそうだったから
その後は無音で、ただ、穏やかな時間が流れていた。
翌日、母が私を訪ねてきた。母は一日救護室に居たそうたが、宿屋に移ることになったらしい。大公城の私達が暮らしていた塔は燃えてしまったし、本城は大公夫人の事件の後片付けや調査がある為暫く立ち入り出来ないとも。
「あなたが無事で良かった」
母は横になっている私の顔に顔を近付けて額をくっつけた。私の頬を包む母の手は温かくて安心するものだった。
母はノアに勧められて椅子に座った。マティは救護室の中を興味津々に歩き回って、それを使用人が見守りながら追い掛けていた。城下町から大公城へ通いで勤めていた使用人は、火災にも大公夫人の事件にも巻き込まれなかった為、ずっと城下町にいたらしい。
「フェルは、どうですか?」
「うん…怪我が酷くてね、暫くは安静にって」
「そうですか…」
「でも食事は取れてるし臓器に損傷は無さそうだって。外傷も後遺症とかの心配は無いって」
母は穏やかな笑みを見せたけれど、疲労は隠せていなかった。母自身長く潜伏生活をしていたのに、フェルが怪我をして戻って来た為看病もあり、そこに私までこうして寝たきり状態だ。今フェルが眠った為私の見舞いに来てくれた。心配を掛けて申し訳ない気持ちだった。
「……終わったのよね?」
母がポツリと言った。
「大公様から何か聞いてますか?」
「……何も。少し顔を見に来てくれただけで、後始末に追われているみたい」
「そっか……」
ノアの方をチラリを見たけど、ノアも首を振った。
「では、私達は治療や回復に努めましょう。元気になって『おつかれさま』って言ってあげましょう」
「そうね」
母は優しく微笑んだ。きっと大公が一番ホッとするのはこの笑顔だろう。
「ランはすっかり大人になったのね」
「そうですか?」
「ええ、とても頼もしい」
母は私の手を握った。不思議とこの母に握られた手の方が私には頼もしく思えて、ずっと大人になりたかった私は結局は今も、そしてこれからも、この母の子どもなのだと実感した。
それから一週間が経った。私は救護室で平和な時間を過ごした。傷口は塞がったけれど、まだ暫くは安静にとずっとベッドの上だった。救護室と言っても騎士団の詰所の中にあるので、なかなかに毎日騒がしさがあり、退屈はしなかった。毎日誰かが怪我をして来たり、または怪我の経過観察で救護室の医者の元を訪れていた。私がいるのは女性用の部屋で、騎士団に女性は少ないので貸し切り状態だったが、隣室の診察室や男性用の部屋は大部屋で毎日賑やかだった。壁が薄いのか会話は筒抜けていたのだ。
フェルは個室を使用している。大公の後継者なので当然で、母が殆どの時間そばについてる。私も会いに行きたいのだが、子どもと触れ合って万が一にも傷口が開いたら大事なのでと面会禁止になっている。フェルの笑い声が聞こえてくると元気になって良かったと思う半面、そこに私がいない寂しさはあった。
初めの頃は痛みがあったので痛み止めの薬を処方され、そのせいかよく寝ていたが、近頃は体を動かしたり起き上がったりしてもあまり痛みを感じなくなっており、暇な時間が多かった為、ノアが暇潰しにと本やら刺繍道具やらを準備してくれた。
ハンカチへの刺繍はこれまでワンポイントでする事が多かったが、なにせ暇なので、ハンカチ全体に刺繍したら豪華になってしまい、ノアに「売って金儲けでもするつもりなのか?」と言われた。でも所詮私が刺したものなので決して美しい仕上がりとは言えない。ノアには刺繍の良し悪しがよく分からないのだろう。
ふと、エミルに貰ったタペストリーの刺繍を思い出した。織物のタペストリーもあったが、とても丁寧に刺繍されたタペストリーもあった。それも火災で焼けてしまったが、本当に綺麗でプロの職人とは凄いなと思った。
エミルにタペストリーに描かれていた騎士をハンカチに刺繍して渡したら喜ぶだろうかと思った。私は全然好みじゃないけれど。
図案を描いてみようかと、タペストリーの絵を思い出しながら幾つか描いた。記憶とは曖昧で細部が分からずとても幼稚な絵になってしまった。
冷静になって描いた図案を見れば、やっぱりやめとこうという結論に至った。
そもそも何故エミルに渡す必要が?
エミルは忙しいのか一度もここを訪れていない。一週間会っていなかった。
あの日、城下町の通行門で見たエミルは怪我をしていたけれど、救護室に来ている様子は無かった。来ていたら声が聞こえただろう。私の様に安静にしていたり大事があればノアが教えてくれた筈だ。
ノアに一言「エミルはどうしてる?」と聞けばいいのだろうが、何故か聞けなかった。
☆おまけ
タペストリーについて
産業革命より以前、手作業でかなりの時間を要して作られるタペストリーは、現在の価格で数千万円から数億円はしたと一説ではいわれています。富と権力の象徴であるタペストリーは王侯貴族しか買えなかったとか。
当然大公家の一介の騎士でしかないエミルにそんな高価なものは買えません。なので王都で自分でも手の届く品がないかと探し回りました。大きな物でなく、王侯貴族お抱えの作家の作品でもなく、または中古品であったり等、訳アリ品を探し回り買っていました。なのでちょっとセンスが無い物になってしまっていた…と、エミルは言い訳しています。




