36.大公城へ
大公との再会から一晩が経ち、早朝のジンと肌に刺すような寒さの中、私は再び顔を赤くしていた。
「駄目だよ、ラン。あんな反応したらバレバレだって」
私の顔を赤くさせている原因こそ、この隣のノアだった。
「いつもは全力で否定するのに顔を真っ赤にして何も言わないんだから。いかにも何かありましたって言ってる様なものだ。そりゃ大公様も異変に気付くし心配するって。いくらエミルが何もしてないって言ったってランの反応が違い過ぎて疑われちゃうよ。大公様と言えど男はどこまでも妄想で飛躍しちゃう生き物だからね。昨日はランが部屋を出て行った後も作戦会議そっちのけでエミルへの尋問が凄かったんだから。エミルは何もしてないしか言わなかったけど」
もうノアの口を縫い付けてやりたい位に恥ずかしさでいっぱいだった。
事実、私とエミルには何も無かった……筈だ。おそらく大公が心配している事は男女の……ゴニョゴニョだろう。
強いて言うなら額に……キスされた位だ。火照った額に冷たいものが触れたあの感触を思い出し、更に私の顔が熱くなる。
あれ位大した事無い、本来なら。五、六年前の耳年増だった頃なら軽いスキンシップ位に思った事だろう。簡単にエミルに体を捧げようとしていた頃だ。あまり深く考えずに大人ならそれが普通なんじゃないかと理解のある女ぶっていた。
それが今となってはあの頃より純粋になってしまったらしい。はっきりとした言葉があった訳では無いのに、エミルの気持ちを察しただけでコレである。大公城に来てから色恋沙汰には無縁で恋をした事もなければ誰かに想いを寄せられた事も無かった。平民の暮らしをしていた頃より綺麗になった今の方が恋愛から遠退きすっかりポンコツになってしまった。
「顔が赤いが熱でもあるのか?」
突如割り込んで来た声に心臓が跳ねた。会話の内容の当人の登場にノアとの会話を聞かれたかもと慌てた。
「違うから。大丈夫」
口を縫い付けてやりたいと思っていたノアとの会話が遮断されたのは嬉しいが、それは出来ればエミルでなければ良かったのにと思った。
「本当か?具合が悪いなら俺の馬に乗っていけ」
「大丈夫だって!何ともないから!」
心配してくれるのは有難いが、顔が赤いのは回り回ってエミルのせいなのだから、その原因と一緒に馬に乗ったりしたら目的地まで体力が持たないだろう。けっして早くは走れないが、冬の冷たい風を感じながら一人で走った方が落ち着く事だろう。
「はいはい!ランの事は俺に任せて、兄貴は大公様の側近として近くをお守りしてくださいよ」
エミルがまた何かを言おうとした所にノアが間に入ってくれ、ちょっとホッとした。エミルは純粋に心配をしてくれているのだろうが、私の口から理由を言うのは恥ずかしかった。その理由を知っているノアだから助け舟を出してくれたのかもしれない。まあ、ノアが誂うせいなのだから責任を取ったと見るべきかもしれない。
エミルは渋々といった表情で大公の方へと去って行った。
これから私達は大公城へと向かう。
出立の準備が整う頃、次期グラッツィ男爵がやって来た。
「気をつけて」
ノアは「ああ」と返しただけだった。男同士はそんなものなのだろうか。
「お嬢さん」
「っはい!」
「落ち着いた頃是非このグラッツィ領に遊びに来てください。妻や父、それに他の息子達や娘と歓迎します」
騎士らしい大きな体に大きく重そうな鎧を身に着け、戦場で手入れが後回しになっているからか無精髭を生やしており、それ故怖そうな外見をしているにもかかわらずエミルやノアに似たグレーとブルーの中間色の瞳はとても優しげで、やっぱり親子なんだなぁと感じた。
「ランの嫁入りが決まった訳じゃないぞ」
「え、そうなのか?」
「ランにプレッシャーを与えるなって」
散々誂っておいてどの口が言うんだ。
私は佇まいを正して次期男爵に向き直した。
「その様に言って頂きありがとうございます。私はヴァイエルン大公領について学びましたが実際に見るのは今回が初めてでした。私ももっとこの地を知りたいので歓迎してくださるのなら是非再び訪れたいと思います」
戦争によって踏み荒らされ領民が避難を強いられた地では無く、どんな人々がどの様に暮らしている地なのかを見たいし、そしてエミルが育ち、グラッツィ家の者が代々守って来たこの辺境の地の日常を見てみたいと思ったのは、社交辞令でも何でも無く私の本心だ。
「お待ちしておりますので、いつでもお越しください」
「はい」
「そしてエミルの事、よろしくお願いします」
「えっ、あ、はいっ!こっ、こちらこそ…」
突然のフリに慌てて思わず「はい」と言ってしまった。言った直後から何をどう“よろしく”なのか、“こちらこそ”ってなんだと頭でぐるぐる考えてしまった。
そんな私を置いて次期男爵は満足気に私から離れて行った。
「義理の親への印象はばっちりみたいだな」
「まだ義理じゃない!」
「まだ?」
「違う!もうっ!ノア!誂うのもいい加減にして!」
ノアのせいで出発前なのに緊張感が全く感じられなかった。
暫くしてノアに「そろそろ出発しよう」と言われて馬に乗ろうとした時、「ラン」と後ろから声を掛けられた。振り向くと大公が居た。
「騎士団のスピードに付いて来られなくなっても無理はするなよ。道中はくれぐれも気をつけて」
出発前でここに残るグラッツィ領の兵達への指示確認やら準備やらで忙しいのに、わざわざ私に声を掛けに来てくれた様だ。
「はい。ありがとうございます」
「ノア。ランを頼むな」
「ハッ!」
ここにいる誰よりも気が流行っていてもおかしくはないのに、各方面への気遣いは忘れない。大公はそういう人だ。
ここ、辺境部であるグラッツィ領において隣国からの侵攻は無事に治められたのだと昨日聞いた。それも銀狼騎士団を二手に分けずに戦力をまるまるぶつける事が出来たからだとか。大公城へと向かってくれた王都軍のお陰との事だ。
エミルが言っていた様に大公が鍛え上げてきた銀狼騎士団がこのグラッツィ領に到着すると、侵攻を食い止めて踏ん張っていたグラッツィ領の兵が驚く位に圧倒的な強さだったとか。後退して行った敵軍も昨日の時点で姿が見えなくなり退散して行ったのではとの報告があった。
ここ辺境部はもうグラッツィ領の兵に任せ、銀狼騎士団は大公城の王都軍と合流する。王都軍と共に大公領の先導役として同行した騎士団長のフィンからの報告では、未だに動きが無い様だった。そして母や弟達、それにクラウディア様の安否も不明だった。
大公城までの道程はなかなか長い。騎士団のスピードは速く追いついていけるか心配だったが、この逃亡生活で馬での長距離移動に慣れた私は、意外にも付いて行く事が出来た。集団で固まっている為風の影響が減少したのもあるからかもしれない。
馬の駆ける音を聞きながら大公城に残して来た皆の安否を心配し、ただ無事を願っていた。
☆おまけ
グラッツィ家独特のグレーとブルーの中間色の瞳は、先祖に国北部から嫁いで来た者がいるからです。ヴァイエルン大公領には茶系の瞳が多く、薄い色は珍しいです。
何故かその瞳は強く遺伝する為に、いつからかグラッツィ家の特徴と言われるようになりました。




