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大公の愛人の娘  作者: 知香
第三部
33/40

33.安心させる気無いだろ

 鳥達が一斉に羽ばたくのは、何も人が立ち入った時だけでは無い。猛禽類等の天敵に狙われた時や、集団のリーダーが飛び立ったので一斉に飛び立っていった等、要因は他にもある。

 とりあえず音を立てずにノアと二人息を潜めた。静かな洞穴に心臓のバクバクという音が響いてしまっているかの様に感じた。大きな洞窟なら奥に進んで身を隠す事も可能だが、小さな洞穴では逃げ場が無い。出口に立たれ剣を突き刺されたら躱す事も難しいし、狭い空間では剣を振って対抗するのも出来ない。

 それでも枯れ葉を踏むカサカサという音が聞こえて来て何かが近づいて来ているのを感じ、ノアは剣のグリップを握り、いつでも飛び出せる様に片膝を立て腰を浮かした。


 見つからないで欲しいと祈っていた。それなのに迷わずに近づいて来る気配に、ここに逃げ込むのを斬った兵士以外にも見られたのかもしれないと、不安と緊張で祈る手が震えていた。


 もうすぐそこに人影を見て目を瞑ったのと同時に、隣に居たノアが飛び出した。そして剣と剣がぶつかるキンと高い音が響いた。


「兄貴!?」


 ノアの声に反射的に閉じていた目を開けた。


「ノア!」


 聞き慣れた声に強張っていた力が緩んだ。ノアが「ラン!」と呼ぶのと殆ど同時に洞穴から外を覗き見た。


 目の前にはエミルが居た。

 姿を確認して一瞬に抱き締められた。エミルは「良かった……」と言って苦しい位に強く抱き締めた。私も抱き締め返すと、そこに本当にエミルが居るのだと感じられて、涙が溢れてきた。


「エミル……エミル……」

「ラン」


 私の名を呼ぶ声に安心して、私は一層涙を流した。泣くのをずっと我慢していたのに、堰が切れた様に泣いてしまった。


「私……私……お母さんも、フェルも、マティも置いて、ひとりで、逃げて……私がっ、助けなきゃいけなかったのに、私がお母さんに助けられて……ごめん、なさい。ごめっ、なさい……」

「いい。お前が無事ならいいから」

「でもっ……」


 エミルは抱き締めながら頭や背中を撫でてくれた。撫でてくれる大きな手は、いつも私の頭をグシャグシャにする手と同じ温かさだった。



「今日はもう日が暮れる。何処かに移動するのは危険だ。今晩はこの林に身を隠すのが良いだろう。けれど、日が落ちる前に斬った兵士を隠さなければ」


 私が落ち着いてきた頃にエミルがそう言った。


「兄貴は兵士を見つけたからここへ?」

「ああ。斬られたばかりの兵士を見つけて誰かが逃げ込んだと思った。それに確実に急所を突いていて明らかに剣術を学んだ手練れだと。それでノアかもしれないと思ったんだ」

「悪い。俺が兵士を隠してくる。兄貴はランのそばにいてやれよ」

「頼む」


 ノアが洞穴から離れて行くと、エミルは私を抱き締める力を緩めて顔を覗き込んできた。


「怪我は?」

「……無い」


 片手で私の頬や額を撫で、怪我が無いかを確認している様だった。一緒に涙も拭ってくれた。


「少し、やつれたようだ」


 エミルに言われてそうかもしれないと思った。食事量も少ないし睡眠不足だ。

 何となく顔を見られたく無いと思い、エミルの体に顔を埋めた。そこは温かくて反射的に目を瞑った。


 エミルは再び私を強く抱き締めて大きく息を吐いた。抱き締められてはいるが、エミルの体の強ばりが緩んでいく様だった。


 その抱擁は優しくて居心地が良く、何より温かくて、この逃亡が終わった訳でも安全になった訳でも無いのに、エミルがここにいると言う事に安心感を感じて、意識が飛びそうになった。


「……寝て良いぞ」


 私がうつらうつらとしているのに気がついたのか、エミルが言った。


「でも……」

「隈が酷い。寝れてないのだろう。寝れる時に寝るのが良い」


 子どもをあやす様に頭を撫でられると心地良さに瞼を開けられなくなってしまった。


「……どこにも、行かない?」

「行かないよ」

「眠って起きたら、居なくならない?」

「居なくならない」

「手を、握っててくれる?」

「ああ、分かった」


 私を撫でていた手は、私の望み通りに私の手を握ってくれた。


「……眠ってしまっても、握っててくれる?」

「ずっと握ってる」


 そこまで聞いてほっとして、睡魔に負ける事にした。するとあっという間に意識が無くなった。



 暫くしてノアの声を朧気に聞いたけれど、温かさに直ぐに眠りに引き戻された。



◇◇◇



「寝てるのか?」

「ああ」


 ノアが洞穴に戻って来た時には、もう辺りは暗くなっていた。

 焚き火は出来ない。ここに隠れている事を知られてしまう。月はまだ出ていないので、林の中は暗闇に包まれていた。身を隠すには丁度良い。


「全然寝られていなかったせいで体調も悪そうだったから」

「その様だな」

「安心したんだろうな」


 暗くなってしまい隈が出来ていた顔はよく見えない。でも温もりがここにあり、それが寝息を立てていて、確かにここに居るのだと分かる。


「……お前、何もしてないよな」

「疑ってんのかよ」


 何かされたならランの様子に違和感を感じただろう。でも何も無く、疑う理由は何も無い。ただ、何も無いと確信が欲しかっただけで弟を疑っている。そう分かっているから自身が馬鹿らしく思う。

 ランの髪に触れてその柔らかさに心地良さを感じた。


 ノアが態とらしく鼻から息を出した音がした。


「安心しろ。ランにとって俺は弟みたいなもんだよ」

「護衛じゃないのか?」

「そこはツッコむな」


 幼い弟が二人いるせいか、ランはすっかり世話焼きになった。礼節の無いノアを護衛なのに面倒を見ようとする様子は姉の様だった。


「ランの頭を撫でてその柔らかい髪に触れた」


 ランの髪に触れていた手がピタリと止まった。


「あと、ランに手を握られた。それ位だ」


 眠ってもずっと握っていると約束した手に意識が集中していくのが分かった。

 甘えるのは俺だけじゃないのかもしれない。


 ノアのちょっとした誂いであろうとは分かっている。この暗闇ではっきりとは見えないけれど、顔は嫌な笑みを浮かべている筈だ。声のトーンが態とらしく高いから。


 でも、誂いではあっても嘘では無いだろう。この数日辛い中頼れるのがノアだけだったのだ。支え合いや甘えがあっても何ら不思議は無い。


 そう分かっている。分かっているけれど、この感情の処理はそう簡単には出来ないらしい。何とも厄介な感情だ。


「安心しろ」

「安心させる気無いだろ」

「安心しろ。眠るランを見れば分かるだろ?」


 この暗闇の中、見ればと言われても見た所で見えはしない。分かる事と言えば話し声に目を覚ます事無く寝息を立てている事と、握られたままの手の感触だ。

 ノアの言いたい事は分かっている。自惚れるつもりは無いが、少なくとも今この腕の中で拠り所としてくれている事に俺は安心している。


「それに俺は両手に収まらない位デケェ胸した女が好きなんだ」

「……」

「ランは範疇外だ。だから安心しろ」


 ……。


「じゃ、ランをよろしく。俺は向こうで休むわ。朝になったらランと一緒に話を聞く」


 ノアは何処かに身を潜めた。ランが眠れる様に気を利かせたのか、自分が一人になりたかったのか。


 自分の片手の掌を広げてみた。暗闇でも薄っすらと見える手はそこそこに大きい。

 ノアがあんな話をするからこんな時なのに馬鹿な妄想が過ぎった。


「馬鹿だ……」


 広げた手でランを抱き締め直して、俺も目を瞑った。




☆おまけ


 ノアは本能(欲望?)に忠実です。


 え?エミルを安心させる為にわざと言ったんじゃないかって?


 いいえ。本心です。好みは人それぞれ…


 さて、自分の掌を広げて見つめたエミルは、この後ちゃんと眠れるのでしょうか。


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