30.ずっと一緒にいたのに
一段と寒い夜だった。
よく晴れた日は月や星を隠す雲が無く、夜の闇が冷たい空気を送り込んでいるかの様に寒かった。だから月が恐ろしい位に皓皓と光り、星の輝きを奪っていた。
寒い夜は寝る時も暖炉に火を焚べ、薪が燃える匂いや、炎の揺らめく明かりを瞼を閉じた中でも感じながら眠る。冬はそれが当たり前だった。
だからかもしれない。違和感になかなか気が付けなかった。
「ラン!起きろっ!」
眠りから意識を戻され瞼を開けると、視界にノアが映った。
「火をつけられた!」
寝起きで回らない頭に届いた単語に理解が追いつかず、引っ張られるままに体を起こして寝台から降りた。それでも体は脳から伝達信号が届かないからか、足がもつれて躓き倒れてしまった。ノアはそんな私に構う余裕も気遣う暇も無く、私の体を引っ張った。
「塔にかなり火が回っている!出口には鍵が掛けられているから早く二階から飛び降りないと出られなくなる!」
私の部屋は三階だった。ここから飛び降りるのは無理だ。でも二階から飛び降りたとして無事なのだろうか。
思考が働き始めてやっと異変に気がついた。いつもの薪の匂いでは無い、薪以外が燃える匂いが鼻に届いた。部屋に暖炉以外に火は見当たらないが、ノアが壊して開けただろうと思われる扉が大きく開かれ、その先には煙が通路の上を這っていた。
「お母さんは!?フェルやマティは!?」
私を引っ張るノアの腕を反対に掴んでノアに迫った。
「ヘラ様の護衛がついてる!今は自分の身を……」
「大丈夫!この部屋には秘密の通路がある!そこから逃げられるから直ぐに皆を連れて来て!」
ノアは驚いた様だったけれど、直ぐに「分かった!」と言って部屋を出て煙の中へと行った。
クラウディア様に教えて貰い、その日にやった様にエミルから貰ったタペストリーを捲り、石を強く押した。その石がスポッと抜けて出来た穴に手を掛けて力の限り押した。ゴリゴリとする音から余計に扉の重さを感じたが、何とか石の扉を開けられた。その秘密の通路から冷たい冷気を感じてブルッとした。
今度は急いで外套を手に取って羽織った。そのまま部屋の窓から外を見た。
塔の下は燃えていて、煙と火の粉が冬の空へと向かって昇っていた。煙のせいで綺麗な筈の夜空は月も星も見えなかった。こんな晴れた冬の夜は乾燥している。石の塔は壁に使われた石以外の燃える物を燃やして火を大きくしていた。
火と煙の隙間から人が見えた。何人かいる。火に照らされて見えた人は、大公夫人だった。護衛と思われる騎士も居る。でも誰も消火活動をしていない。それで否が応でも悟ってしまう。燃やしているのだ。塔を。そして私達を。
この大公城に来てから妬まれ恨まれ嫌がらせもされたけれど、こうもはっきりと殺意を向けられたと感じた事は無かった。
気のせいじゃなければ、今、大公夫人と視線が合った。きっと窓から覗く私に気がついている。表情ははっきりと見えない。それでも足が竦む。
「ラン!」
ノアの声がして振り返ると、ちゃんと母と愛弟達を連れて来てくれていた。
「こっち!」と言って皆を秘密の通路へ案内した。部屋にあるランプを手に取ってノアに渡した。ノアはランプを持つとしゃがみ込んで通路の中へ入り、サッと通路内の確認をすると「早く!」と言って皆を中に誘導した。通路は下る階段になっており、ノアが見やすいようにランプを掲げてくれた。母に先に行く様促して寝ているマティを抱きながら入り口を潜り、不安そうな顔をしたフェルは護衛が抱えて潜ってくれた。最後に私が潜ると、石の扉を閉めようと押した。通路内が寒いからか、それとも階段で足場が悪いからか、上手く力が入らなくてなかなか閉まらず、ノアが一緒に押してくれてやっと扉が閉まった。
扉は石で出来ているから燃える事は無いので、焼け跡から通路が見つかる事は無いだろう。しかし塔が崩れ落ちたら見つかってしまうかもしれない。
通路はとても狭かった。一人ずつ階段を下った。冷気を感じた通路だったが、下に下りる程に石の壁が温かく感じた。火のせいだろうか。おそらく四階分と思われる階段を下り切ると少し広い通路に出た。地下通路だろう。じめっとしていた。そして有難い事に一本道だったので、迷う事無く通路を進んだ。
逃げている最中なのもあり、皆の呼吸音や息切れの音が通路内で反響して、それが怖く感じた。綺麗な平らな道では無いから躓きやすく、ランプの明かりだけで暗いのもあり歩きにくさから息が上がってしまう。窓も無い地下通路だから酸素が薄いのもあるかもしれない。
「ラン。この通路は何処に繋がっているんだ?」
「クラウディア様の住まいのある北通用門よ」
西の塔から北通用門はさして遠くない。歩きにくいから時間が掛かっているが、もうじき着いてもおかしくは無かった。
「少し広い所に出そうだぞ」
ノアがランプを掲げて通路の先を照らした。道の終わりの様だった。
秘密の通路を抜けると分岐の様な広い所に出て、そこには他にも通路が二つあった。この通路も大公城の何処かに繋がっているのだろう。そして石の扉が一つあり、おそらくだがこの扉の先が北通用門なのではと思った。
ノアが私にランプを渡して来て、扉の向こうを警戒する様に音を拾った。何も感じ取れないのか石の扉を少しずつ押した。ゴリッと石の擦れる音がして押すのを止め、再び音を拾った。
「ラン?」
微かにだったけれど、石の扉の向こうから私の名を呼ぶ聞き覚えのある声がした。
「クラウディア様ですか?」
「そうよ!少し扉から離れて」
ゴリゴリと大きな音を立てて石の扉が開いた。扉の向こうにはクラウディア様と数名の騎士が居た。
「ああ!良かったわ、無事で!」
クラウディア様に抱き締められて涙が出そうだった。殺意を感じるのも、暗闇の中逃げて来るのも、どれもが怖かった。
「西の塔に火の手が上がっていると報告があって、秘密の通路を使うかもと直ぐに準備をしたの。ついて来て」
クラウディア様の後をついて通路を出ると、北通用門の脇に出た。
「橋の向こうに馬を用意したわ。一先ず今は大公城から逃げるのよ」
思わず母と目を見合わせた。先の見えない未来に戸惑いや不安、恐怖が襲って来て足が竦む様だった。
「クラウディア様は……?」
不安から先導してくれる人が欲しかったのかもしれない。助けを求める様に聞いた。
「私は残るわ。一応大公家の人間ですから」
「でも……どうなるか……」
「おそらく私は殺される事は無いわ。交渉材料には使われるでしょうけれど」
「お子様達は……?」
「数日前からフィンの両親に預けているわ」
数日前から予感があったのだろうか。
そこへ騎士が一人走ってやって来た。
「急いでください!大公夫人の手の者がこちらに来ております!」
その騎士の背の向こうが騒がしくなった。揉み合いをしている様だった。
「行って!」
クラウディア様の言葉を掻き消す様に「誰かいるぞ!」と声が聞こえた。母の護衛が咄嗟に母とフェルを隠す様に秘密の通路に押しやった。反対にその母に私は体を推された。
「行きなさい!ランだけなら執拗に追われないわ」
「お母さんは……」
「フェルやマティを連れては逃げ切れない。貴女だけでも逃げて」
「そんな……」
母の真剣な顔に、怒られている気分になった。大公城に来てから母に叱られた記憶は無い。家庭教師に怒られても、反対に母と励まし合って過ごして来たのだ。
母が大公の愛人になっても離れずに一緒にここに来た。ずっと母と娘一緒にいたのに、私だけ逃げるなんて嫌だった。
「ノア!早くランを連れて行って!」
母に言われてノアは私の腕を強く引っ張って橋の上を駆けた。もう私はフラフラで今にも転びそうだったけれど、背中に「誰か逃げるぞ!」と声が聞こえ、とにかく足を動かした。
馬が居る所に着くとノアに体を押され馬に乗り、馬に跨げる様に寝間着の裾を破った。そして別の馬に乗ったノアについて馬を走らせた。
冷たい空気を切る様に無我夢中で馬を走らせた。何処に向かっているのか分からなかったけれど、夜空には憎らしい位に綺麗な月が出ていた。
☆おまけ
ヘラも乗馬の授業を受けているので馬には乗れます。けれど妊娠中や産後は乗らなかった為、ランよりも馬に乗る機会が少なく、しかもヘラの乗馬の授業には大公が登場する事も多く、授業というより乗馬デートでした。
なのでランに比べて乗馬はあまり上手いとは言えません。
フリッツとヘラの仲睦まじい描写は少ないですが、実は影でよろしくやってます。




