28.ここにいて
何故か緊張している私が居て、深呼吸をしてから救護室の扉をノックしようとした所、私よりも先にノアがノックも無しに扉を開けた。
「兄貴ー。元気ー?」
本当にノアの礼節の無さをどうにかしなければと護衛対象の私が思ってしまう位、相変わらずノアは礼儀がなっていない。
突然扉を開けられたエミルは上半身裸で梁にぶら下がって懸垂をしていた。驚く事も無く気安く「よお!」なんて返事をして。
この兄弟はこれが普通なのかもしれない。上半身裸なんだからもう少し照れるなり怒るなりすれば良いのに、気にせず懸垂を続けている。
実はこれは騎士にとって普通なのだろうか。騎士団の宿舎はノックをしないのが決まりだったりするのだろうか。
……そんな理由無いな。
結局私の方が恥ずかしくなっていつまでも上裸で懸垂を続けるエミルに「早く服着てよっ!」と怒る羽目になった。エミルは渋々懸垂を止めてシャツを羽織った。
「体を動かしたりして大丈夫なの?」
「抜糸もしたし軽い運動なら良いって」
「さっきのは軽い運動なの?」
「力んで頭部に負荷が掛からない程度なら傷口も開かないかなって」
「個人の感想じゃない」
「ずっとここにいると体が鈍るんだよ」
「傷口が開いたら元も子もないじゃないの」
「お二人さん、痴話喧嘩するなら俺部屋出てようか?」
「いいの!ノアもここにいて!」
この間の事もあって、今エミルとこの部屋で二人っきりになるのは恥ずかしくて無理だ。思い出してしまうし、逃げ出したくなってしまう。
「花がいっぱい飾ってあるな」
ノアがテーブルの上を見ながら言った。花が挿してある瓶が幾つも並んでいた。
「ああ、貰ったんだよ」
「誰から?もしかしてファンの子?」
「そうらしい。警備兵が受け取って届けてくれた」
「はぁ〜。健気な子がいるんだね〜」
色とりどりの秋の花が生き生きとそこで咲いていた。水に濁りは見られないし、きっとちゃんと水を替えているのだろう。
「……ごめんなさい。私、何もお見舞いの品なんて持って来てなくて」
お見舞いの品を忘れたのでは無い。一応考えた。
エミルは私の顔を覗き見た。
「見舞品なんていらねぇよ。来てくれただけで有難いよ。ここに居るだけは暇なんだよな」
エミルは知っている。私には自由に使えるお金が無いのを。小さな花束を買う小遣いも無い。大公は不便無い様に物を買ってくれるけれど、大公夫人に厭われている愛人の連れ子には小遣いは与えられていない。そもそも外出する機会が無いのだからお金を使う事も殆ど無いのだ。
だから塔の周辺で咲いている花でも摘もうかと思ったが、植えられて管理されている花でも無い野花をエミルに贈ったところで喜ぶだろうかと不安になってやめた。
エミルはスッと私の手を取って椅子に誘導した。素直に椅子に座ったけれど、エミルは手を離さなかった。
「全然来てくれねぇな。もっと来いよ」
言葉通りに不満げな表情だ。
「エミルにはファンの子がいるのでしょう?お見舞いに来た時私が居たら邪魔じゃないの」
「ファンって……ヤキモチでも焼いてんのか?」
「違うわよっ!」
反射的に否定したけれど、冗談で言っていると思ったのにエミルが真面目な顔をしているので、それ以上の言葉は飲み込んでしまった。
「違うのか。そもそも一般の町民は城内には出入り出来ないだろ」
確かにそうだった。そんな事にも気がつけないなんて、冷静さを失っている証拠ではないか。これではヤキモチだと言われても仕方が無い。
「お二人さん、イチャイチャするなら俺部屋出てようか?」
「違うから!してないから!だからノアもここにいて!」
ノアも居る事を思い出して、思いっきりエミルの手を振り解いた。
私はエミルの態度に困惑していた。
エミルは振り解かれた手を暫く見つめて髪をガシガシと掻いた。
エミルはこんなだったか。違う様な気もするしそうだった様な気もする。もしかしたら私が変に意識しているせいでおかしくなっているのかもしれない。でも、私が意識するきっかけは明らかにこの間のエミルの行動だった。
「兄貴は来月から王都に行くのか?」
「ああ」
ノアが話題を振ってくれた事にほっとした。話題が逸れて安心したのだ。
「俺も王都に行ってみたいな」
「そのうち行けるだろ」
「城下町よりも賑やかなんだろ?」
「そうだな。人も多いし建物も多くて華やかで、娯楽も多い」
「見てみてぇな。なあ、ラン」
「私は……いいかな」
「何で?」
ノアとエミルに同時に視線を向けられ、薄い笑みを浮かべた。
「私にはそんな華やかな所は分不相応よ」
私は殆ど大公城の塔から出ず、城下町すら自由に歩いた事は無いのだ。私が我が儘を言って城下町を訪れるとなれば、護衛を数名連れて行かなければならないだろう。そしてその様子を町民にジロジロと見られる。王都には護衛や使用人を連れた貴族が出歩くのが不自然では無いだろうが、私みたいな平民の世間知らずがそんな華やかな所に行ったら悪目立ちするだけだろう。
「そうか?関係無いだろ。王都には何も貴族しか住んでいない訳じゃないし」
「お出掛け用のお洋服も持っていないのよ?」
「そんなの俺が買ってやる」
「エミルからはもう沢山貰ってる。これ以上貰ったらタカってるみたいじゃない」
「そんな事無いだろ。誰も思わない」
「私がそう思ってしまうの」
「思わなくていい。俺が買いたくて買うんだから」
エミルは優しい。ちょっと強引な所もあるけれど、きっと私にはその位の方が丁度良いと思っているのだろう。
「エミル。今年はもうタペストリーを買って来てくれなくて良いからね」
「何で、どうして?」
「もう掛ける所が残っていないもの。それに、部屋が冷たいとも思わないわ。弟達が生まれて賑やかになって、あの頃感じてた寂しさは無くなったの」
「……そうか」
「ええ。ありがとう」
エミルが王都から戻るとお土産のタペストリーを持って塔まで会いに来てくれた。沢山のお土産話と一緒に怪我無く無事に帰還したのをそうやって確認出来た。
タペストリーを買って来て貰わなくなればその時間も無くなるのだろう。それに物寂しさを感じながらも優しいエミルにいつまでも頼って甘えてばかりでは、私はずっと昔のまま変われない気がする。まだ大公城に来たばかりの幼かった頃の私を憐れんだエミルが始めてくれた事だから。
憐れに思われる事に多少の哀しみもあるし、それ以上に幼い頃の自分とはもう違うのだと示したい気持ちもあった。
大人になりたかった幼かった私も、もう、大人になったのよと、伝えたかったのだ。
そして翌月、怪我も良くなったエミルは大公と共に王都へと発った。
☆おまけ
未来の話ですが、ノアは大公の護衛として念願の王都に行く様になります。(そこまでは書きませんが…)しかし初めての国一の都に嬉しくて舞い上がり遊び過ぎて大公に叱られると地獄の特訓を命じられ、遊びに行くのも禁止され壁登りを繰り返す日々に、いつかのエミルの様に腕パンパンになって細マッチョだったノアが変わって大公領に帰ってきます。
ランに「え、誰?」と言われてしまうことでしょう。




