26.さっき断ってたよね
「よっ!ラン」
頭に包帯を巻きながらいつもの調子で笑いながらエミルが言った。そんなエミルに私はちょっと呆れて言葉を失った。
エミルは救護室に行ってから暫く手当てを受けていた。私は救護室まで来たものの手当てが終わるまで入る事が出来ず、部屋の前で待った。傷は深く手当ては長引き、その待っている時間はさらに長く感じた。時々手当てを受けているエミルの「イテッ」とか「ったー」とかそんな声が聞こえたので、意識はあるし命の危険は無いのではとは思っていた。
とは言え心配して救護室まで駆けつけて、やっと手当てが終わって面会出来た私にそんな調子でいるものだから、力が抜けるのと同時に少し呆れてしまったのだ。
そんな言葉を失い立ち尽くす私に、エミルは「まあ、座れば?」と近くの椅子を勧めてきた。なので勧められるがままに座った。何故かどっと疲れを感じた。
「……傷は、大丈夫なの?」
「縫ったから傷が開かない様に暫く安静にだと」
「そう……」
顔を見ると顔に血を拭った跡が少し残っていた。髪もエミルの金髪が混ざった明るい茶髪に少し血が固まって黒くなっている部分があった。そして服にも所々血が付いていた。
「すぐ治るから心配すんな」
エミルにそう言われる位、私は表情に出てしまっていたのだろうか。
そこへ救護の人が服を持って来た。
「汚れた服では不衛生なので着替えてください。手伝いいりますか?」
「ああ……いいっす」
軽い感じでエミルは断った。救護の人はテーブルに着替えの服を置いて部屋から出て行った。
「ラン。着替えさせて」
思わず瞬きをしてしまった。
「何で?」
「安静にしなきゃいけないから」
「さっき断ってたよね?」
「男に着替えさせられるより女性にやって貰いたいじゃん」
下心かよ。
でも安静にしなければならないのも分かるし、男より女の方が優しそうだと私でも思うから、溜め息をつきながら椅子から立ち上がり、やってあげる事にした。
服を脱がすのは予想外に緊張した。勿論間違っても傷口に触れない様にとの意味での緊張もあるのだが、男の人の服を脱がすのは初めてだった。フェルの服位ならなんて事ないのに、何故エミルのは緊張するのだろう。フェルよりもずっと大きい体だからだろうか。
上半身を脱がすと濡らした布を固く絞り体を拭いた。筋肉が盛り上がった体はフェルとも私とも全然違った。
「ちょっと擽ったい」
「我慢して。頼んだのはエミルでしょ」
「へい」
顔の血の跡や血が固まった髪も拭いた。
「……あのさ、あんまり見ないで」
エミルは顔が近いのにじっと私を見ていた。とてもやり難い。
「まぁまぁ、いいじゃん」
「気になるの」
「だって貴重な体験だからさ」
「顔が終わるまで目を瞑って」
「仕様が無いなぁ。目を瞑ったからってキスするなよ」
「しないわよ!」
「しても良いけど」
「しないわよっ!」
全く、こんな時でも冗談ばかり。こっちは皮膚を引っ張って傷が痛まないかと心配なのに。
何とか拭き終わって「私後ろ向いてるからズボン履き替えて」と言ったら、「え?」と言われた。
「ズボンは替えてくれないの?」
「何馬鹿な事言ってるのよ!しないわよっ!」
おそらく怪我して無かったら引っ叩いていたかもしれない。
エミルに背を向けて履き替え終わるまで待った。そうしていると冷静になる様で、顔が熱くなっているのに気がついた。ちょっと怒ったからだろうか。どこまでが冗談なのか。ズボンを履き替えてなんて、冗談なのか甘えているだけなのか。着替えの手伝いまでは甘えだとは分かる。じゃあキスは何だ。そういう冗談は慣れてないから本当に困る。
モヤモヤと一人考えていると後ろからガタタッと音がした。
「どうしたの!?」
振り向いてエミルを見ると、テーブルに手をついていた。
「ちょっとくらっと。血が足りてないからかな」
そう言いながら焦点が合っていなかった。顔色も悪い。立ち上がったからかもしれない。ズボンは履き替え終えていた様だったので、体を支えてベッドにゆっくりと腰を下ろさせた。
「大丈夫?」
私の問い掛けに何も答えなかった。その代わりにぎゅっと私の体を抱き寄せた。
「エ、エミル……?」
何も言わずに抱き締める力を強めた。それはフェルが私に抱き着くのに似ているのに、その力強さやホールド感は子どものそれとは全然違った。
「あ、足……まだ拭いてないよ」
エミルは言葉の代わりに頭をスリッとした。器用に傷口を避けて。先程拭いた髪が私の服に当たり、まだしっとりしているのを感じた。濡れている程では無い。手をそろそろと上げて、エミルの明るい髪に触れると不思議な気持ち良さがあった。
私に髪を触られエミルは反射的に顔を上げ、目線が合った。エミルのグレーとブルーの中間色の瞳の色は少し薄くてとても綺麗だ。その瞳に呑み込まれる様に体が動かず、心臓だけが激しく動いていた。
エミルにさらにぐっと強く抱き寄せられ、体がエミルの上に乗ってしまい顔が近づいた。
「兄貴大丈夫か?」
救護室の扉が突然開かれてノアが入って来た。反射的に体が動いてエミルから離れた。さっきまで体が動かなかったのに、違うかもしれないけれどこれが火事場の馬鹿力かもしれない。
「……邪魔したか?」
「違う!よろけたエミルを支えただけ!」
ノアに言い訳すると、ノアの後ろに立つ大公が視界に入り、その全ての感情を無にした真顔に強烈に恥ずかしさを感じた。
大公に椅子を勧め、私は少し離れた。何も言わずに椅子に座ったのは大公の優しさなのかもしれない。突っ込まず表情にも出さない大公に読めない怖さはあったけれど、言われなくてホッとしている自分もいた。
「災難だったな」
「いえ、避けきれなかった自分が未熟なだけです」
「あれは絶対に態とだ!態と顔を狙っていた」
ノアは怒りを露わにした。私には全然分からないけれど、ノアには態とに見えたらしい。
「ノア、推測でしかない。冷静になれ」
大公に言われてノアは渋々といった表情で息を吐いた。
「試合はエミルの反則勝ちだが、負傷により決勝は棄権になった」
「はい。承知しています」
エミルが決勝を棄権したので優勝は師団長になったのだろう。エミルの連覇記録は止まってしまった。
「最短で治す為にも傷が治るまで大人しく休め。いいな」
「ありがとうございます」
エミルの本音は私には分からない。棄権する事になり優勝を逃したのを残念に思っているだろうか。怪我をした事を情けなく思っているだろうか。
何一つ分からないけれど、大公の言葉を全て素直に受け入れていた。
「失礼します!」
突然救護室に一人の騎士がやって来た。大公が居る事に少し躊躇った様だったが、大公が「気にするな」と声を掛けたので、騎士はエミルに体を向けた。
「エミルのファンのご令嬢が容態を心配して外に詰め掛けています」
「兄貴、モテる〜」
「俺、ファンいたの?」
「とりあえず五人集まって警備兵に止められています」
「意識もあるし元気だと伝えてやれ。いつまでも待たせては令嬢にも警備兵にも悪いからな」
「ハッ!」
「俺も行こう!可愛い子がいるかも」
「お前、ちゃっかり顔を売る気だろ。俺のファンだぞ」
「顔、そこそこ似てるから」
「顔の問題か?」
バンッと、私がテーブルを叩いたので、大公とエミルとノアは一様に驚いた様だった。
「エミル、足はそのファンの子にでも拭いて貰いなさい」
「え?」
私は布を桶に放り投げると救護室を出た。慌てた声でエミルが「ラン!待てって」と言っているのが聞こえたけれど、無視した。
何が“俺のファン”だ。エミルの女ったらし!
何故こんなにもイライラするのか分からないが、窓の外の綺麗で清々しい晴れた秋の空を見上げてもイライラした。
護衛がしっかりと私の後を付いてきていたが、それすらも振り切りたい位にイライラした。人に構いたくない気分だし、人に心配されるのも嫌な気分だった。
そんな私の気分などお構い無しに前から人がやって来た。イライラを見せる訳にはいかないと、深呼吸してから改めて前を見た。そうしたら意外な人物である事が分かった。
「ラン。エミルの様子を見に行っていましたか?傷の具合は?」
騎士団長のフィンだった。そして、隣には奥様であり大公の妹のクラウディア様が居た。
「本人は元気にしております。今は大公様がお側におります」
それを言い終わる直前に、クラウディア様がぐいっと私に近づいて私の手を握った。
「貴方がランね!一度お話してみたかったの」
クラウディア様は好奇心に満ちたキラキラとした目を私に向け、私はその圧に気圧されてしまった。
☆おまけ
ランの護衛は救護室まで案内した後、救護室前で待機していました。救護室内でのランとエミルの会話が聞こえたり聞こえなかったりと、無の境地で立っていた事でしょう。ノアが護衛になるまでランの護衛をしていて、ノアが休みの日や今日の様にノアが剣闘大会に出て護衛につけない日にランの護衛をしてくれているベテランなので、ランの護衛をしていたらこんなのは慣れっこであって、ちょっと歯痒い思いもしているかも…。
ランが怒って救護室から出てきて、ピリピリしている様子に声も掛けられず気配を消してあとを追いかける様はさながら忍者の様…は言い過ぎかもしれませんが、対応力があってとても気遣い屋さんです。
ちなみに、妻子持ち。大公はエミルをランの護衛につけた後、護衛がランに懸想するのを嫌がって若い騎士をつけるのをやめ、愛妻家の騎士から腕が立つのを選んだとか。




