87.天使
87.天使
毛布に包まっていた淳が肩を揺らされた。
「おい! 大丈夫か?」
心配そうに顔を覗きこんだのは楫本だった。
「大丈夫かい? 魘されていたが……」
淳が目を覚ますと、ストーブの前に衣類が丁寧に並べられていた。
跳開橋の管理室だった。
「跳ね橋の上で何をしていたんだね。もう少しで凍死するところだったぞ」
「ここは……? 僕が見えるの?」
「はあ?」
楫本が飲み物を手渡した。
「見えるよ……ああこれか」
テーブルにあった眼鏡を差しだした。
「(さっき眼鏡……)あっありがとうございます」
ココアをもらい啜る。湯気すら温かい。
眼鏡が曇った。
「帰ってきたんだ……帰ってこれたんだ。神さまありがとうございます」
信心深く祈った。
「ヴァンホーテン?」
「ああキッドが好きなんだ。温まるにはちょうどイイ。まだあるよ」
「ありがとうございます」
注がれたカップの十字の傷に目が止まった。
「キッドのカップだがどうしたね? 味はうまいと思うんだが……」
楫本が「洗ってなかったかな」と呟いた。薬指に金の蝶が止まっている。
「ちょっと混乱してて……変な夢を見ていたみたいです……天使が……」
「……そんな時もあるもんさ」
頷く楫本だった。
「たまにはゆっくりしなさい」
ストーブの火が揺らぎ、跳ねた。
「天使を見たことはありますか?」
「むかし一度見たよ」
楫本が顔を歪め一笑した。
「今も見えてる」
顎で前を指示した。
「どこに?」
振り返る淳。
「君だよ。むかし君の家に強盗に入ったことがある」
もう一度顎を使った。
「泥棒に追い銭してくれた。エンジェルだよ、君は。あの後キッドに会ったんだ……」
「え?」
思い出せない。
(髭が……)
ようやく思い出す。
(ああ強盗さんだ。昼御飯三日分の)
「君がこんなことしてちゃあいけないな。みんなのお手本にならなくちゃあ」
楫本はズレた淳の毛布を直した。楫本は淳をよく知っているようだ。
「すみませんでした」
深く丁寧にお辞儀した。
(痛い!)
腰に傷みがあった。足も。
(怪我だ。今日の。現実だ。……だとすると為替はない。――寒い)
毛布を重ねる。
(あの蝶のデザインは……)
楫本の指輪が視界に入った。
「つかぬことをお伺いしますが」
「何だい?」
「その指輪はどちらで?」
「これか……妻と娘にお揃いで買ったんだ……どうかしたのかね?」
指輪を見ながら楫本が想い出を語った。
「静蓮が……妻が同じ指輪をしているので」
「そりゃそうだ」楫本が笑った。「奥さんの指輪は娘があげた物だからなあ」
「妻をご存知なんですか?」
「会ったことはないよ奥さんにはね……聡声という名を?」
「妻の幼馴染みです……」
合点がいく淳だった。
「……聡声さんの?」
「そう……父親で、強盗だった。……今は橋の管理人さ」
楫本が制御パネルを見やった。オールグリーン――正常に運行されていた。
「聡声さんは……」
「これも何かの縁だということかなあ……」
答えず楫本が呟いた。
ストーブの薪が跳ねた。
「(そう……こんなことをしている場合では……。みんな待っているはずだ)帰らなくちゃ……」
毛布を畳み、生乾きの服を着だす淳だった。
「まだ温まって行きなさい」
「ありがとうございます。お礼は必ずさせていただきますので、今日はこれで失礼します。本当にありがとうございました」
深く深く礼をして、外に飛びだした。
「おいおい! どこに行くんだ! キッドが迎えに行っているのに……」
楫本の声は淳に届かなかった。




