80.〔慈悲の家〕(2)
80.〔慈悲の家〕(2)
南緑が丘にある神戸ノートルダム教会の施設〔慈悲の家a〕が取り壊されたのは秋も暮れだった。
施設の文化住宅は倒壊したので、子供たちは暫定的に他の施設に預けられたが、そのままになってしまった。
神戸ノートルダム教会の出資者の一人である学校法人茶泉学院の理事の汚職から、事業資金の一部が施設の名を借りて資金洗浄されていたためだった。
善意と信じて寄付を受けとっていたシスターは身に覚えのないことに動揺を隠せなかった。
取調べを受けている間に施設は競売にかけられ落札された。
傾いた礼拝堂は取り壊され、施設と共に更地にされた。
勾留期間最大まで調べられ、身の潔白を最後まで主張したシスターたちは更地に立ち尽くすことになった。
悪夢ではなく、紛うことなき現実だった。
大シスターは震災からの辛労が祟り倒れた。入院したのが茶泉学院大学附属病院が民事再生手続の再生計画から名を変えた緑が丘記念病院だというのは偶然の皮肉だった。
さて、神戸ノートルダム教会の南緑が丘の施設〔慈悲の家a〕の不祥事により、全く別組織の神戸聖ルチア教会の東緑が丘の〔慈悲の家c〕が風評被害を受けることになった。
南の神戸ノートルダム教会の〝ノートルダム〟が「聖母マリア」を意味するフランス語の「我らが貴婦人」であることから分かるとおりフランス人シスターが設立したものだ。
一方、東の神戸聖ルチア教会の設立はイタリア系米国人シスターによる。「聖ルチア」は「シラクサのルチア」を意味しており、シラクサはシチリア島の都市の名だ。同じラテン民族といってもフランス人は堅実だが、イタリアは陽気だ。
しかし、運営教会が違うといっても、同じ日本聖公会神戸教区にあっては世間は同じものと扱い、善意は遠のいた。
〔慈悲の家c〕のシスターはまだ若く諦めなかった。必死で寄付を募り、ビラを配り、街頭で演説し、無知と戦った。
事実、警察は〔慈悲の家c〕のシスターたちを参考人として任意に取り調べたが逮捕していない。「起訴すべき」との報道機関からの声はあったが、そもそもが犯罪とは無関係であったし、金の流れも一切なかった。
こうした勘違いはよくある。三菱鉛筆と三菱財閥(三菱グループ)が別であるように、日清オイリオ・日清食品・日清製粉の三社は全く関係がない違う会社だ。
これは宗教上の教義――名前の由来が同じだからだ。〔慈悲の家〕は『新約聖書』「マタイによる福音書」第七章第二十四節の「岩の上の家」から発案している。
〔慈悲の家c〕のシスターは、同じ名前にすべきではなかったと臍を噛んだ。
〔慈悲の家a〕の大シスターに大恩があった。そのお返しに同じ名を持ち共に生きようとしたのだった。
袂を分かつ原因とは関係なかった。生き方の問題だった。
だが、失った信用を得るには時間が経かった。
〔慈悲の家c〕は借地に建てられていたが、信者の不動産所有者の好意から長年賃料を支払っていなかった。
建物も震災で残ったとはいえ、かなりの修繕が必要だった。
緑が丘中央銀行からの申し出もあり、担保権の信託として再出発することになった。銀行の信託部が建物を修繕する資金を調達し、施設を運営することで話はまとまった。
担保権が銀行にあり、修繕は鮎川建設が担当した。
鮎川忠の仕事の補修だったので、それほど手間はかからなかった。
その担保にした修繕費も本来は不動産所有者が出したかったが、他の土地も問題があり手が回らなかったのが実情だった。
資金は震災で助けられた人々が僅かばかりのお金を合わせたもので、毎月の銀行の収益は芳しくなかった。銀行がそれでも応じたのは頭取自身が助けられた一人だったからだ。
それに〔慈悲の家〕出身を名乗る男性がかなりの出資をし、毎月の保証をしたからだった。派手なスーツを着た小太りの男性だった。
緑が丘中央銀行の業績は悪化する一方だった。茶泉学院の理事の汚職はその信託に影を落とした。
他の件で手いっぱいだった不動産所有者は信託満了を待たずに返還を求めた。
シスターは協力を呼びかけ戦った。
銀行は契約を遵守した。頭取は義理堅い男だった。
だが、ある調査機関からの情報がシスターら〔慈悲の家〕の子羊たちの運命を変えた。
例の小太りの男性が反社会的勢力の一員であると分かると話は別だった。頭取は容赦なかった。所詮、金貸しだった。
不動産である土地、土地建物は競売にかけられた。子羊たちには買えない額だった。反社の男性も子羊の一人だった。
情報を流したのは墨月信行だった。弁護士は反社会的勢力の一員である男性の持つ情報が必要だった。
反社の男性は取引に応じた。
銀行に無記名の小切手が届けられ、信託契約は解除され、不動産所有者はシスターに土地を売り〔慈悲の家c〕は再生した。
新しくなった礼拝堂で、淳と静蓮の子――秋詠は洗礼した。
名付け親は墨月信行だった。
cf.
(二四)「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。(二五)雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。(二六)わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。(二七)雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」
『聖書 新共同訳 新約聖書』(日本聖書協会、二〇一五年)




