79.墨月(2)
79.墨月(2)
墨月信行は鮎川淳の性格を熟知していた。断れないと踏んでいたのだ。
鮎川は実践派だ。今の裁判のように書類の多い司法制度では、鮎川が弁護士になっても通用しないことを現役の墨月は知っていた。
南緑が丘の住人を扇動するのに手間はかからなかった。小石を一つ池に入れるだけ。波紋はやがて広がり誰にも止められなくなる。
人間の心を一つにするには象徴(偶像)や目標が必要だ。
墨月が自ら先頭に立つことはない。あくまで裏方だ。静かに、そして全てを操る。
南緑が丘を買収させたのは墨月だった。東南緑が丘全体でかなりの住人がいる。それが全て鮎川の、延いては自分の顧客になると考えれば安い買い物だった。生命保険・損害保険――保険関係だけでも莫大な収益が安定継続的に入ってくる。買収金額などすぐに回収できる計算だった。
墨月は鮎川建設に隙を与えなかった。人は与えられればすぐに魔が差す。魔が差さなくても間が抜ける。
「小人閑居して不善をなす」
鮎川に事故が多い理由だ。不注意も立派な不善だ。
一回目は奇跡、二回目は偶然、三回目は故意。不文律だ。
フリードリヒ・ニーチェも「悪人がいくら害を及ぼすからといって、善人が及ぼす害に勝る害はない」と述べている。
自分を善人だと思い込んでいる人間を墨月は許せなかった。それらの行為は不器用でも誠実に努力している人間の足を確実に引っぱる。悪気がなくて、そうしたことをするのだけは許せなかった。
まだ悪気があるほうが墨月は許せた。飢えた人間が盗むのは許せる。余っているからという理由で盗むのだけは許せなかった。
古書『易経』にもある。「校を履いて趾を滅る。咎なし」――軽く足枷をさせて大きな戒めを与える方が小人物のためだ。
墨月は敢えて鮎川に足枷を履かせた。それが鮎川のためだった。
以来、偶然の事故はない。収益も上がっている。墨月なりの愛情だった。
鮎川が絶対に知ることはない愛情だった。知ったとしても本心を理解しないだろう。墨月はそれで満足だった。結果幸せになれば良いのだ。
大事にしている靴が傷むと泥川を渡らないより、渡ってゆっくり洗うほうが良い。丹念に手入れすれば前より綺麗になる。気に入らないなら新しく誂えれば済むことだ。過去に囚われるより今を生きることだ。未来は今の延長線上にしかないのだから。
(人生なんてのはほんの一瞬。冥土までの息継ぎだ)
墨月は徳利を置いた。盃の日本酒を飲む。
(旨い)
肴は鰰の塩焼きと煮つけだった。昨日の残りだが実に旨い。温めると味が蘇る。塩焼きはチンしすぎて破裂してしまったが。
煮つけは子持ちだった。肉の淡泊さと合いまた絶妙だ。酒が進む。さっと煮ているので薄味だ。むしろ蒸しているのに近いかも知れない。出汁を吸い、酒を啜った。




