70.緑朗と死神女
70.緑朗と死神女
深夜のホテル〔コーサウェイ東京〕のラウンジに、チェット・ベイカーの「アイ・シュッド・ケア」が流れていた。
奥のテーブルで、緑朗がグラスを傾けていた。
「ザ・グレンリベット三十年」
女が英語で答え、グラスを置いた。若くとても美しい女だった。
不思議とグラスにルージュがついていない。
ロックがワインクーラーに入れていたボトルを出し、セルヴィエットで水滴をさっと取りながら注いだ。
琥珀色。スペイサイドの珠玉の逸品はストレートで愉しむべきだろう。
それでも、かなり冷たい。先ほど入れた部分まで濡れていたが再度、霜がつく。
「笑顔は残す」
ロックが静かにフランス語で言った。
「将棋だ。チェスではない。相手の歩も金になる」
「裏切れば歩に戻る」
女のやわらかく紅い唇が誘う。
女にメモを返し、グラスの香りを楽しんだ。
「神が不意識化(決して意識化されない)集合自我か。――オッカムの剃刀だな」
テーブルの生牡蛎にウイスキーを垂らし胃に納めた。
「あなたとは相性がイイわ」
ロックを見つめながらメモを胸の谷間に消し、女も同じようにして食べた。
「いかが?」
「粋狂だ」
ロックが席を立った。若く見えるが、女と同じで何歳か判断できない。
女をリードして静かに歩む。足音がまったくしない。
「マクスウェルの悪魔と寝るとはな……」
「似て非なり。いるけど、会ったことはないわ」
量子力学で解決された問題でさえ、現在の人類の情報ではそれに至らないと言いたいらしい。
「CQFD(証明終わり)」




