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62.宇一事故(2)

62.宇一事故(2)


 現場は豪雨だった。


(前が見えないな……)


 藍河が最初だった。


 上り道路にコンチェルトを見つけると、運転しながら窓を開け、手にした発炎筒をきながら百メートルごとに道路に落とした。


(三本じゃあ足りないか)


 上からは(かろうじて)見えることに期待した。


 事故現場にライトを向けたままドマーニを止めた。


 深呼吸してから、上着を脱いで袖を上げ、軍手をはめた。


 コンチェルトの車体に牽引ロープを結ぶと、ガードレールの柱につないだ。もやい結びだ。


(もう一本だな)


 反対側にもかけた。


 室内に宇一が見えた。


 落ち着いていた。


 藍河は雨の中もう一度ゆっくり深呼吸した。


 雨水が口に入る。


「大丈夫ですか?」


 助手席にしおりが倒れているのが見える。


「……」


 雨で聞こえないが、宇一が親指を立てた。


「しおりさんは?」


 藍河が指さすと、宇一が胸に手を当てた。


「大丈夫と……。考えるから待ってて」


 聞こえているかどうか分からないが、宇一がうなずいた。


(さてどうしたものか。いち、先に人間だけ出す……だな)


 凹んだリアハッチを開けるように指示した。


 音がしたが動かなかった。


(あっ! ミスった! ハッチが開くと車体がゆがむ)


 車体が歪むと、重心が変わる可能性が高い。


(音がしたから、ロックは外れたと考えるべき)


右後このドアを開けます」


 そう言うと宇一はしおりを起こした。


 左後は崖だ。藍河には回れない。


「きゃあ!」


 しおりが驚いて降りようとするのを止める宇一。


 ドアが開かない。


(仕方ない……さっきので歪んだんだな)


 ドマーニの助手席下に置いていたカヤバのジャッキとグローブボックスからインパクタ ドライバを出した。


「何をしてるんだ!」


 右後席の窓を割ろうとした時、中年男性が声をかけた。


 この雨の中に傘だった。全身濡れている。


「(莫迦ばかか?)――事故です下がってください」


「あっ! しおりちゃん!」


 平悟郎へいごろうが近づいた。


さわるな!」


 藍河が怒鳴りながら、ドア開けようとした平悟郎の袖を引いた。


「(信じられん!)――落ちかけているんで近づかないでください」


「何をするんだ! いま助け――」


 なおもドアを開けようとする。


「――人の話を聞け!」


 男が近づきすぎて崖に落ちそうになる。


「いいか?」


「――しおりちゃんが!」


「人の話を聞け! いいか?」


「あんた何てことをしてくれたんだ……万が一死んだらどうするんだ……ああ可哀想に」


「まだ生きている」


 藍河は状況判断ができない人間と話したくなかった。


「下がってください」


「何するんですか!」


「下がってと言っている」


「何を――」


「――下がれと言っている」


 藍河がジャッキを上げた。ふいに笑ってしまった。


 ジョージ・ワシントン大統領が少年のころ桜の木を切ったことを父に正直に話した逸話を思い出したからだ。ただし、嘘だ。その当時米国に桜の木はなかった。


 墨月が言っていた。「叱れる訳ないだろう。まだ、斧をもったままだったんだぜ?」


「窓を割る。下がれ」


「そんなこと! もし何かあったら――」


「――もうなってる。お願いですから、下がってくれませんか」


 トラックが止まった。〔ガレージ二十一〕の積載車キャリアだった。


あいさん、どんな感じ? ――どなた?」


 良雄よしたかだ。


「知り合いらしい。――二人ふたり中。意識アリ。怪我なし。人優先で、車は捨てる」


「あいよ」


 これだけ凹めば修理できない。部品取りもできるかどうか。


叔父おじです! この車高かったのに……」


 もちろん金を出していない。


「あ、そう、下がって下がって」


 体格の良い良雄が威圧して、平悟郎を下がらせた。


「そうそう、オジサン、狼煙のろしいてくれる?」


「はあ? 狼煙?」


「助手席にあるから……これがこうなってと……(ロープを二本持ってるとはさすが藍さん)」


 良雄がロープの組みぐあいから状況を理解した。


 言われた平悟郎が仕方なしにキャリアの助手席を開けた。


 年配の男性が寝ていた。指差す足下に発炎筒が転がっている。


「百メートル毎に一本、下り三本、上り三本、計六本」


 寝ている男性が静かに言った。


 年上には自然と頭が下がる平悟郎は、傘を差しながら発炎筒を小脇に歩きだした。


「一、ガラスを割る。二、リアハッチから脱出。三、車体回収」


 藍河が言った。


「ハッチ開ければ?」


 首を振る。


「ダメ。ロック解除しちまった。ガラスを割れば、ゆがみで開く、はず」


「バランスは? ああ、そうか……落ちるな……とすれば、窓か……車ごとがベストだけどねえ……」


 良雄よしたかが足を踏むとアスファルトがくずれた。


「(地盤がゆるい……)時間がないか」


「そういうこと。……開けるよ?」


「うん」


「あ?」


「何?」


「頼める?」


「ああ、そうだね。俺のほうが適任だ」


「毛布を持ってくる」


「あいよ」


 良雄が宇一に窓を割るのでガラスが飛ぶと説明した。上着とバスタオルをしおりにかける宇一だった。


「えっ?」


 ドライバで割ろうとした瞬間、急ブレーキの音。


 振り返った良雄が見たのは、引かれそうになった平悟郎とけて山壁に追突したトラックだった。


 大声で叫んでいる。


(悲鳴があるうちは大丈夫だろう……)


 良雄が前に集中した。一発で綺麗に割る。


 ガラスで支えられていたドアがひずみ、リアハッチが開いた。


 きしむ音にしおりがびっくりするが、宇一に抱かれた。


 大まかなガラスを取っていると、藍河が持ってきた毛布をハッチにかけた。横を布ガムテープで止める。


 表から二人でしおりを出した。ていねいに。ゆっくりと。


(抜けた! 酒?)


 良雄には匂いがキツイらしい。


 宇一が出る。


 二回目で慣れている。シャツの袖が引っかかった。雨で布ガムテープが取れかけていた。


「問題ないです」


 許可が出たので、一気に抜いた。


(えっ!)


 二人は驚いた。宇一の破れたシャツから見えた腕はかなりの古傷だった。


(道理で……)


 若いのに落ち着いている理由が分かった気がした。


「ありがとうございます」


 丁寧ていねいに宇一が二人に謝った。軽々としおりを抱き上げる。


「東財さん」


「はい?」


「病院まで赤ドマ使ってください」


「えっ?」


「赤いドマーニ。キーはエンジンかかってますから」


「どうして病院なんですか?」


 二人とも怪我けがをしていない。


「病院で会うほうが楽ですから」


 藍河が笑った。しおりの飲酒に責任がないとはいえ、同じ日に事故では家族と会うのは心苦しいだろうという藍河の親切心だった。


「それに酔ったとき、転んで頭を打ったとも考えられます」


 丹棟翠にむねもえぎも藍河も頭部を確認していない。


「けれど、大丈夫なんですか?」


「はい。……SVXのキーはありますか?」


「中です」


 視線の先のブリーフケースの隣にあった。


「じゃあ後でお届けします。――病院は、茶泉の附属病院が一番近いです。場所は分かりますか?」


「分かります。でもイイんですか?」


「どうせ時間がかりますからね」


 コンチェルトを見た。検査と、親御さんに説明する時間と同じぐらいだろう。


「しおりちゃん……」


 倒れていた平悟郎が言うが、雨で宇一は聞こえずしおりを乗せてドマーニで病院に向かった。


 トラックは鮎川の会社だった。壁に当たってタイヤが溝に落ちていた。


 雨合羽の良雄の親父さんが現場を仕切っていた。


 赤ら顔だったが、上手に一般車を誘導している。


 ドマーニを優先して出す。負傷者優先だ。


「平さん大丈夫ですか?」


 若いスタッフが頭を押さえながら言った。血がにじんでいる。


「大丈夫じゃあないだろう! き殺す気か?」


「だって……道の真ん中で何をしてたんです?」


狼煙のろしだよ」


「狼煙?」


「怪我は?」


 藍河がスタッフの頭を見た。切れていたが深くはない。


 トラックを見た。フロントウィンドウが割れている。


「ベルトをしてないから……まあレントゲンだね。検査したほうがイイ。後で目眩めまいや吐き気がある場合はすぐに病院に行くこと。分かった?」


 スタッフは素直に頷いた。


「大丈夫ですか?」


 平悟郎にも聞いた。足を捻挫したようだ。


「あんた誰――」痛みで声が出ない。「――なんだあ」


「ただの車屋。――折れてはいない」


 添え木に道具を使おうとドマーニを探した。


(そういえば乗って行ったな)


 トラックの荷に残っていた木を添えテープを巻いた。


 良雄がキャリアのクレーンでトラックを出した。


「ダメだ!」


 運転しようとするスタッフを藍河は止めた。後遺症の可能性がある人間には乗せられない。


「さっきの男は誰なんだ!」


 藍河にめる平悟郎だった。


「彼氏ですが」


 コンチェルトを見ながら「どうしようか」と考えていた。


「彼氏? よく知らない人間にしおりちゃんを――」


 藍河が足を指差した。途端に痛がる平悟郎だった。


 続々とトラックやバンが到着した。一般車が通れない。


「あなたここを言いました?」


 藍河が静かにいた。


「もちろんだ! しおりちゃんに何かあったらただではすまさないからな」


「無線で、しおりさんは無事。事務所に向かったって言ってくれるかな?」


 藍河が若いスタッフに依頼した。


「えっ? あっ、はい」


「おい! 聞いているのか? そんな男の言うことを聞くんじゃあない!」


「じゃあこの状況をどうする気ですか?」


 上から下までトラックで動けない。平悟郎が横を向いた。


(先にドマーニで行かせて正解だったな)


「社長です」


 無線だ。


『藍河さんですか?』


 鮎川建設株式会社代表取締役社長鮎川淳だ。


「藍河です」


『しおりは? 大丈夫ですか? へい叔父おじさんの話じゃあ――』


「――無事です……(相手の言葉を遮ってしまった。疲れているな)……茶泉学院大学附属病院です。スタッフのかたを事務所にいったん帰していただけますか? このまま大勢で病院にかれても解決しませんので」


『分かりました。――藍河さん?』


「はい」


『ありがとうございます』


「こちらこそ」


(最高の一言だね)


 遠くで救急車両の音がした。



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