60.しおり見つかる(2)/英雄宇一(3)
60.しおり見つかる(2)/英雄宇一(3)
営業用のボルドーレッドのドマーニに乗る藍河のスマートフォンが鳴った。
「はい」
路肩に停止する。
『雅仁さん?』
「はい。翠さん? お久しぶりです」
『こんにちは雅仁さん』
丹棟翠だった。
時計を確かめた。十五時過ぎ。夜の店には早すぎる。
『墨さんに聞いたんだけど』
「いました?」
『鮎川しおりさんよね?』
「そうです」
『お店に来てくれないかしら?〔バー・アヴァロン〕じゃあなくて、杏の〔クラブ・アヴァロン〕のほうに』
「怪我は?(……クラブ? バーでなくて?)」
『怪我はないけど……飲みすぎね』
「……親御さんに連絡できる状態ですか?」
『できないわね。完全にグロッキー。彼氏がもうすぐ来られるみたいだけれど』
「少し待ってもらってもいいですか?」
探してもらった人に、どういう状況か説明が要る。
(昼から飲んでる? 朝、車で今十五時……? 彼氏?)
『はい』
電話を切って、墨月に電話した。
「翠さんのところにいた。怪我はない。僕が迎えに行くので事務所で待つように鮎川さんに連絡して」
『分かった』
(墨なら適当に安心させるだろう)
それが仕事だ。
道すがら、他の営業やお客さんにもハンズフリーで連絡した。
ビルの横の駐車場に紺のコンチェルトがあった。しおりの車だ。
隣りにスバルSVXが止まっていた。
(本革。ヴァージョンLか。左ハンドル。どこにでも金持ちはいるんだな)
燃費は3km/Lと聞く。
ハザードを点けながらビルの前に止めた。キーを抜いたが、ドアロックはせずに営業カバンをトランクに入れてビルに向かう。
〔バー・アヴァロン〕と〔クラブ・アヴァロン〕のネオンが消えていた。
明るい店は初めてだった。
女性が二人。
奥のソファーに美女が寝ていた。バスタオルがかけられている。
「すみません。容態は?」
「こんにちは雅仁さん。大丈夫。飲んで寝ているだけ」
「すみません。……翠さん、こんにちは……。ご迷惑をおかけして……じゃあ送りますね」
「こんにちは……」
開けていたドアから青年が声をかけた。東財宇一だ。
「ああ、こちら」
丹棟翠が手招きした。
「こちらは?」
「東財さん。彼氏よ。――こちら、ホンダの藍河雅仁さん」
「東財宇一です。本当にご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。日を改めて謝罪に参りますので……」
翠だけでなく藍河にもきちんと挨拶する宇一。
「あっ……はい、藍河です。車屋です」
営業用の名刺を渡した。
「……状況がよく分からないんだけど……?」
「小蓮――ああ、店の娘ね――小蓮のお友だちが呼び出したらしいの。杏に電話がつながらなくて来たんだけど……。小蓮はいないし、お嬢さんひとりだし……」
床にバケツがあった。モップも。
「失礼だけど免許証を見させてもらったら、墨さんの探している子だったから。墨さんとも連絡がつかなくて……大丈夫だった雅仁さん?」
「はい。連絡してあります。親御さんには墨から連絡させています。……お友だちに呼ばれて朝から飲んだ? それはお友だちとは呼ばない」
「ごめんなさい」
「翠さんに言ったんじゃあありませんよ。すみません……本人には明日、天罰が下るでしょう」
二日酔いだ。
(かなりキツイぞ)
開いている酒瓶はパトロン。
(こんな高い酒をもったいない)
「下に運びましょうか」
「はい」
宇一が軽々としおりを抱いた。痩せてはいるが鍛えているようだ。
しおりにバスタオルをかけ、車のキーを藍河に渡す翠だった。
「来て……くれたんだ……」
目が覚めたらしい。
「わたしの……王子さま……。好き」
頬にキスされる宇一。
真っ赤になりながらエレベータに乗った。
(若いねえ……)
藍河がコンチェルトのキーを確かめた。
キーホルダーが切れていた。本体に濡れた跡がある。
(たぶんキーレスエントリー機能は効かないな。飲んでこぼしたか……)
「今度は杏ちゃんか……」
「アンちゃん?」
表に出たところで藍河のスマートフォンが鳴った。
『いたわ……バーに』
声がこもっている。
「そう良かった(……たぶん化粧室だな……)」
それ以上聞く藍河でもない。「お大事に」と言って切った。
降りると、表で制服の警官が藍河の営業車のタイヤに白線を引いていた。
駐車禁止だったらしい。
「鴬鳥さん?」
宇一が巡査に声をかけた。
「坊ちゃん? お知り合いで?」
「ええ。お願いします」
「あっはい。気をつけてくださいね」
高くない背を丸めながら鴬鳥巡査が消えた。
「お知り合い?」
「ええちょっと……」
「コンチェに乗せましょうか」
「はい」
(どんな彼氏かと思ったが……)
営業の藍河は多くの人を見ている。
まともそうな人物なので、しおりを送ってもらうことにした。
(俺が送るとしてもついてくるだろうな……)
やはりキーレスは動かなかった。
(交換だな)
エンジンを始動させ、後席ドアを大きく開いた。
藍河が硬貨を払っている間に、宇一がしおりを後席に乗せる。
「もう大丈夫だから」
声をかけられた眠り姫は夢の中だった。
藍河が後席のドアを開け、両側ともチャイルドロックする。
「どうして? ああ……そういうことですか」
しおりが寝惚けて開けないようにだと、宇一が気づいた。
「チャイルドロックしてますので」
藍河が念をおした。
「はい分かりました」
宇一がSVXからブリーフ・ケースを出した。
コンチェルトJX−iに乗り込むと、シートベルトをしてから発進させた。
無駄のない、上品な運転だった。
残った藍河はSVXをじっくり見た。
(北米仕様。初期型。……フル装備だ)
庶民には買えない。
(ふう……)
店に戻って、翠を手伝おうと考えた藍河だったが止めた。
女性は酔った姿を他人には見られたくないものだ。
バーの化粧室がどういう状況かは判断できる。何もしない親切もある。
暗記している顧客の和菓子屋に電話した。探してくれた人たちの礼だ。お茶請けの一つもあればいい。
(翠さんの好物は何だったっけ? 抹茶大福?)




