56.淳と静蓮/静蓮の手紙(2)/高施(5)
56.淳と静蓮/静蓮の手紙(2)/高施(5)
告別式の帰り道。静蓮は淳と並んで歩いていた。
「いっぱい言いたいことあったのに……」
(会うとなにも言えなくなっちゃう)
「時間はあるよ」
優しく静かに微笑む淳だった。目尻の皺が深い。笑顔が財産だった。
「……ありがとう。幸せのお裾分け」
「えっ? ああっキャンディ……」
「そう美味しかったわ」
「よかった。持っていって。……美濃さんが『持っていきなさい』って言ってくれたんだ……」
「そうなんだ。うれしかった……」
並んで坂を歩いた。
「それで……」
「あのう……」
同時に言ってしまい立ち止まり見つめ合う。どうぞどうぞと譲りあう二人の手が触れ、重なり、自然とつないだ。
淳の手は温かかった。
ゆっくり歩き出す。
「レディファーストでどうぞ」
「ずいぶんと筆不精なのね?」
歩く先を見ながら静蓮が言った。
「えっ?」
「お見送りはしてくれたのに。……お迎えはしてくれないのね」
「それはゴメン。知らなかったなあ。知っていたら必ず迎えにいったもの」
(まだ届いてないのかしら……まあいいわ。こうして会えたんですもの)エンジェルは?」
淳の目を見て話す静蓮だった。
「えっ?」
「エンジェルのお話」
「僕は……ずっとこうしていたい」
手を強く握る淳だった。
「先に言われちゃった」
握り返す静蓮だった。
「いっぱい話すことがあるのよ(手紙に書いたのはほんのちょっとなんだから)」
聡声の爆笑話は書き切れなかった。
「僕も話さなきゃならないことがいっぱいあるよ」
慎重に話す淳だった。
二人はゆっくり坂を下った。
*
帰った淳が玄関先の段ボール箱に気づいた。しおりに聞くと「平叔父さんが裁判で使うから捨てないでって言ってた」と伝えた。
(どうして墨月先生が資料を持っていないんだ?)
墨月に連絡すると「複写は提出済なので、原本保管をよろしくお願いします」とのことだった。
(いつものように分類していないんだろうな……)
そう考えた淳は段ボール箱を台車に乗せた。
五分ほど歩いた南東の角にある新築のベルを鳴らした。
「はい? なんだ淳ちゃんか? ――あーそれいらないから」
いつもの平悟郎だったが、段ボール箱を見た途端に不機嫌になった。
「裁判で使うんでしょう?」
「えっ? ああ……でも見たくないから事務所に置いておいて」
家を資料で穢したくないらしい。
「それはいいですけど、分類したんですか?」
「ああ、墨月先生がな。淳ちゃんは開く必要がない」
目を反らしていた。
「(嘘か……)じゃあ事務所に保管しておきますね」
後で自分で確認するしかなかった。
「ところで平叔父さん、静蓮の手紙を知りませんか?」
「生活設備連合協会? 知らないな」
「(また嘘だ……)怒らないですから、本当はどこにあるんですか?」
「怒らない?」
「ええ。怒りません。捨てたとか?」
「捨ててないよ」
「じゃあどこなんです?」
平悟郎の視線が段ボール箱に向けられた。
「……どうして裁判の資料に静蓮からの手紙が入っているんです?」
「知らないよ。墨月先生に任せたらそうなったんだ」
「(嘘吐き……)墨月先生は――」
「――淳ちゃんごめん。ドラマ始まるから!」
ドアが閉められた。
捨てていないというのは本当だろうと予測する淳だった。
台車に乗る段ボール箱の重さは変わらないが、少し傾斜になっていて力が必要だった。
「ふう……」
溜息一つ。
押して上がるより、引いて上がることにした。
*
事務所に戻り段ボール箱を開くと、裁判に必要な分は墨月法律事務所の封筒に入っていた。
金城高施が辞めることになった資料もその中だった。
墨月が分類していたので、そのまま封筒に戻した。
「……」
梱包用テープで封をした。たぶん二度と使うことはないだろう。
他に白い封筒。これは生活設備連合協会や事故とは別の資料が入っていた。
こちらも墨月が目を通していたのだろう。鉛筆で資料の番号が書かれていた。
そのリストもあった。
他は、静蓮からの手紙だった。かなりの量だった。というか、ほとんどがそうだった。
*
家に帰り、一通ずつ読んだ。
何通かは濡れていたので、くっついていた。ポットの水蒸気で開いた。
泣けてきた。
書かれていたのは静蓮の日常だった。いっしょにウィーンに留学した聡声の食べられない話から食べ過ぎた話……幽霊の話……くだらない日常まで、そのどれもが静蓮だった。
最後に書かれている言葉はいつも同じ「……どうして手紙をくれないの……まだ怒っているの? ……わたしはあなたに会いたい」――それだけは繰り返し最後にいつも書かれていた。「わたしはあなたに会いたい」と。愛しているとは書いていなかったが愛は伝わった。
淳の頬に涙が伝った。
止まらなかった。
(僕も会いたかったよ)
手紙を読みつづけ泣きつづけた。
静蓮は二三日ごとに書いていた。帰るまでずっとだ。何通も何通も。淳は寝ないで全部を読んだ。「会いたい」「あたたに会いたい」――そう書かれていた。
淳は静蓮がどれだけ愛しているのかを知った。あのサインをした時からずっとだった。
リングの蝶が淳の頭の中を飛んでいた。恋の媚薬のように蝶の鱗粉が淳の心に止まった。
(僕も会いたかったよ)
淳もいま静蓮を愛していた。
*
坂の下で待っていた高施はドアを開け、静蓮を迎えた。
嬉しそうな静蓮を見て高施は何も言わなかった。
恋をしているのだ。何を言っても無駄だということを高施は知っていた。
(ようやく会えたんだ。無理もない)
自宅で着替えた静蓮を新神戸駅まで届けた。
夜には両親のいる東京だった。
笑顔で新幹線に乗る静蓮を見送った。帰った時より何倍も美しく輝いていた。
(恋か……)




