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55.静蓮の手紙/高施(4)

55.静蓮の手紙/高施(4)


 静蓮の欧州オーストリアからの手紙は、新しい事務所に転送された。


 請求書の処理をしていた平悟郎はまとめて未処理の棚に入れていた。


 平悟郎の頭の中では不渡りを出した生活設備連合協会セイレンといっしょになっていた。


 半年後、裁判が終わるとさっと段ボール箱に入れていっしょにしてしまった。


 一年の郵便の転送期間が過ぎると旧住所に届くようになった。


 広い家に一人で住んでいた平悟郎にとってその手紙だけが問題だった。


 一度そんな事があるとなかなか言い出しにくい。それにあの不渡りだった。旧住宅の手紙もいっしょの段ボール箱に入れた。見なくなれば忘れた。


 しかし、きずに届いた。平悟郎は機械的に入れるだけだった。


 静蓮が帰るまで、淳が手紙の存在を知ることはなかった。


   *


 金城高施きんじょうたかしは限界だった。


 現場は突然の土砂降りだった。資材にブルーシートをかぶせようと上に乗った時、ワイヤが切れたのだ。


 危うかった。


 部下が下にいたのだが資材が破損しただけで済んだ。


(何故切れたのか……)


 確認した。注文したいつものワイヤではなかった。


 かなり細い。


(切れるはずだ……)


 最初の何組かは三本共締めしていたが、切れた部の組は一本だけだった。明らかにタイトだった。


 事務所に帰って伝票を確かめた。


 半年前から新しい事務所に来ていた平悟郎が「資材を台無しにしやがって!」と怒っていたが、無視して確認した。「知らない」の一点張りだった。


 伝票はなかった。


 とすれば、前の事務所だった。


 車を走らせた。


 鍵を開け段ボール箱を出した。


(冗談だろ?)


 日付順でなく、アイウエオ順だった。


 高施はヤマり「生活設備連合協会セイレンだ」と決めていた。


 ひっくり返す。


 青い手紙が山のように出てきた。


 頭に血が上っている高施にその差出人を確認する余裕はなかった。


 破れたそでから雨水がしたたりおちた。赤い血も混じっている。


 白い封筒があった。


「これだ!」


 伝票には、注意書きがミミズのった字で書かれていた。


平悟郎アイツの字だ……)


 横に小さな字で「在庫がないので別の部番×3個」とあった。


 高施は聞いていなかった。


 電話した。


「セイレンさんの伝票で……」


『――何で勝手に出すんだ!』


 平悟郎が怒鳴った。


「ふざけるな!」


 態度が許せなかった。


「こっちは命張ってるんだ! 今から持っていく。逃げずに待っていろ! 社長にも言うからな」


 最初に謝ってくれればそんなに事を大きくする気はなかった。


(資材がたった一か月の給料分! ――なくなっただけだ。幸い怪我はない)


『こっちも言いたいことがある!』


 勝手に切る平悟郎だった。


 急いで青い封筒を段ボール箱に入れ直した。濡れていたが拭く余裕はなかった。


 ホンダ・アクティのミッドシップをフルに使い、すぐに着いた。


 東緑が丘の事務所の前には部下が不安そうに待っていた。どう決着がつくか彼らも不安だった。「中で待っていてくれ」と高施は言った。


(外で部下を待たせるなんてどうかしている)


 部下は「ここでいいです」と丁寧ていねいに断った。


「どうして勝手に伝票を見に行ったんだ!」


 高施が切れた。平悟郎が吹き飛んだ。


 ちょうど帰ってきた社長の忠が止めた。


「待て! おい高施! 待て!」


 命令に高施が止まった。自分の手を見た。傷めたようだ。


 平悟郎が鼻から血を出しながら気絶していた。たぶん鼻が折れている。歯も。


「殴ることはないだろう」


 忠が仲裁した。


「話し合えば分かることだ」


 表の若い男が入ってきた。


「大丈夫ですか?」


「救急車を」


 高施が無表情に言った。


「外に出してくれ」


 そんな高施を初めて見た男は静かに「はい」と言うと、気絶した平悟郎を簡単に隣りのソファーで横にした。


 一一九番通報。「火事ですか、救急ですか?」の声が聞こえた。


 忠が隣りに何人かいたスタッフに「終わった者から帰らせてやってくれ」と言った。


 安堵あんどした表情の表のスタッフを見て、高施も落ち着いた。


(自分のことはいい。だが、スタッフには生活がある)


「どうしたんだ」


「何でもないです」


「何でもない? 人を殴っておいてか……」


 高施の血に濡れた袖を、忠が見た。


「それより身体は大丈夫か」


「ええ、かすり傷です」


(手が痛い。殴ったからか、それとも……)


 破れた袖を引きちぎってから座った。


「そうか良かった」


「これです」


 濡れた伝票を出した。


 座って忠も見た。滲んではいるが解る。見にくいのは元からだった。


「×3? なんで3なんだ?」


「ないから……細いのを……」


 平悟郎だ。気づいたらしい。支えられている。喋りにくそうだ。


「束ねるように……言ったのに……。お前……殴ったな……絶対……訴えてやる!」


 タオルが血だらけだった。


「きちんと束ねましたけど……」


 支える男性が言った。平悟郎の取り巻きだ。


 高施が深い溜息をついた。


「聞いていたら、ちゃんとしていました」


 静かに高施が言った。


「ちゃんと……言った」


 タオルを見る。失神しそうだった。


「もう良い。お前は休んでろ!」


「兄さん……」


「引っ込んでろ!」


 強く言う忠だった。そして高施に「お前らしくもない」と呟いた。


「すみません」


「どうして殴ったんだ……まあそんなことは良い。平悟郎には私からきつく言っておく」


「社長……」


「お前は何も言うな。お前が言いたいことは私も同じだ」


 忠が「身内なんだぞ。あんなのが」と言うと、高施は「すみません。こんな事になるなんて」と言うほか何も返せなかった。


   *


 忠は白い封筒を引き出しに入れた。金城高施の退職届だった。高施なりのケジメだった。


 忠は引き留めた。「本当のケジメとは続けることだ」と。


 若人は何かあるとすぐに辞めるが、社会的には辞めることが責任を取ることではない。


 だが、高施の意志は固かった。理由を色々並べたがどれも曖昧だった。「本当の理由を言わない」高施が好きだった。


 あの事故の後、警備会社をめた高施を感謝と同情から雇ったわけでなかった。


 仕事に必要だったからだ。実際、高施のお蔭で東緑が丘の受注は完売した。忠は思いとどまって欲しかった。


 忠が平悟郎を切れない理由は、年が離れていたこともあったが、幼いころ岡山の親戚に預けられたことをいまだに言う平悟郎が不憫だったからだ。義父に引き取られるまで岡山ではかなり辛い思いをさせたと言う思いから、どうしても忠は甘やかしてしまった。とりわけ義父が平悟郎を可愛がったせいもある。


 強く高施に願ったが、高施が言った。「社長、平さん切れないでしょう」と。


 忠は無言で納得した。平悟郎がいる限り高施に帰る気はなかった。


 平悟郎はその後三か月もあごが使えなかった。鼻に人工骨を入れただけだったが、顎はワイヤで止めていた。鎮痛剤でも痛みは治まらなかった。


 痛みは恨みを増した。平悟郎が痛み恨みを金額にして訴えたのはいうまでもない。


 休業補償も含めて多額の賠償金だった。刑事事件としても訴えた。刑事事件は忠が墨月弁護士に頼んで平悟郎に訴えを取り下げてもらった。墨月が刑事よりも民事一本のほうがもらえますよと言ったからだ。嘘だが。


 忠は高施を犯罪者にはしたくなかった。墨月もそれを分かっていた。民事請求は高施が一括で払える額ではなかった。墨月は相手は無職だからと毎月の一定額で折り合うよう平悟郎と話をつけた。ない者からは取れない。平悟郎は納得するしかなかった。それならともう一度刑事事件に勝手にしようとした。あなたも刑事事件に関与したことで前科がつきますよと墨月に言われ、平悟郎は諦めた。方便だった。


 嘘は平悟郎のほうだった。子供がいなかった岡山の親戚宅ではたいそう大事にされた。家族で一番の食事だった。甘やかされて育った。話を聞くと働かされていた忠のほうが食べられなかったようだが、忠の困った顔を見るのが好きで言っていた。確かに食べられなかった時期も何日かはあった。平悟郎はその一時期を言っているだけだったので嘘ではなかった。


 兄といっしょに義父の会社に就職したのは、単に羽振りが良かったからだ。本心から兄と何かしたいとは思わなかった。


(最近は飲みにも行けない)


 広い家で一人で飲むだけだった。


 平悟郎の妻と子は、真面目に夜も忠の会社を手伝っている。


 裏切られた思いが余計そんな話を平悟郎にさせた。


 一方、高施は弁護士に依頼する金がなかったので、自分で裁判に挑む気だった。部下の面倒までみていた高施の預金はぎりぎりだった。


 訪ねてきた墨月はこう言った。「何も心配することはない」と。


 高施には多額の退職金が出た。


 忠の一存だった。


 だが「今は反対運動でお金が出せないので分割にしたい」という話だった。


 墨月が言った。「分割された退職金で支払えば良い。手元にはこれだけ残る」と電卓を見せた。


 最初は一文ももらう気はなかった高施だったが「好意は素直に受けるべきだ」と言う墨月に従った。退職金を分割にすることで、平悟郎とは縁が切れることになった。「社長は納得されているんですか?」恐る恐る高施は墨月に聞いた。「任せてもらっている」「では僕もお任せします」と言う高施だった。高施に異存はなかった。


 平悟郎が入院している間に、旧宅が解体された。ほとんどが空の酒瓶だった。


 淳やしおりも手伝った。


 想い出があったが、見ると今は全て平悟郎のものだった。


 どう見ても使えないおもちゃや、使い方が良くわからない工具などなど。


 手伝おうとしたがお手上げだった。


 しおりは隅に置かれた段ボール箱の中を見た。手紙だった。


 しおりはそれを平悟郎に伝えた。生活設備連合協会セイレンとの裁判が続いていたので、平悟郎は残すよう言った。「裁判の資料だから中身は決して見ないように」とも。


 裁判と聞いてわざわざ開けるようなしおりではなかった。


 皆からすればゴミの段ボール箱といっしょに手紙の箱も新居に送られた。


 忠は「入院中では役員業務ができないだろう」と平悟郎に会社の株を返すように言った。その替わり平悟郎は一戸建てをもらったのだ。


 未練はなかった。


 使いようもない会社の株より夢にまで見た新築一戸建てだった。


 その家で平悟郎は都合半年間会社を休んだ。


 その保証金が会社から出ていると知ってもそうしただろう。


 自分なりに色々家に手を加えた。


 会社に出てみると仕事はなかった。


 事務は二人の女性で間に合っていた。


 最終は淳が夜にチェックしていた。


 平悟郎にあててがわれた仕事は壁紙クロス貼りだった。


 表面上はとても善人の平悟郎には似合いの仕事だった。壁紙職人が全員そうではない。平悟郎が特別だった。


 転送期間が過ぎた手紙が差出人に戻る前に、静蓮はオーストリアから帰国した。


 高施は墨月の紹介で陸緑朗の仕事を手伝うようになった。もちろん忠が墨月に就職を頼んだからなのは言うまでもない。



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