表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/93

43.春女と无冥(6)

43.春女と无冥(6)


 涙が止まらない。


 通話が切れたスマートフォンをハンサムボーイに返した。


 しばらくしてアスコットが停まった。


 安モーテルだった。


 美しい女性がレイバンをかけて部屋に向かった。


 途中、振り返って車の番号を確かめた。「7221」だった。


 ハンサムボーイがスナップオンの工具で前後のナンバープレートを地元のものに替えていた。


(「7221」――ヒントはあったのに。十二月二十七日……誕生日。わたしの。今はもういない、前のわたしの……)


 シャワーを浴びて髪を乾かしながら、渡されたパスポートを見た。


 姓名欄に「劉雅玲」〝Liu Yaling〟とある。


 台湾語でどう発音するのか不明だが、ラテン文字でなんとなく分かった。


 ブリーフケースの中には新しいスマートフォンと、台仏と仏台の紙の辞書と、カナディアンクラブ(CC)ウイスキーがあった。


 指紋認証でスマートフォンを起動させると、仏語で自分の名前が出てきた。


(サフィール・リウ?)


 英語でいう「サファイア」だ。藍色の宝石。


 ロックの仕事にソツはなかった。


 フランス語の「サフィール」は男性名詞だ。海外では女性は公然と差別される。指摘すると「気づきませんでした」となる。


(これでしばらく遊べそう)


 スマートフォンにはアプリが入っていたが、覚えるのは紙のほうが優先される。物理的に覚えたほうが学びやすい。


 CCの封を切って、そのまま口にした。


(ここが胃か……)


 胃の場所が分かった。


 のどが焼けていた。


(酔えそうだ……酔いたい……)


 ハンサムボーイが盗聴を調べてから、先にシャワーを浴びていた。


(わたしは逃げなかった)


 どこにも行くあてはなかった。


 安物のTVから天気予報が流れていた。


 今夜のパリは雨だそうだ。


 雅玲ヤァリィンが泣いていた。


 雨の音がした。


(違う……シャワーの音だ)


 雅玲ヤァリィンの泣き声かもしれなかった。


緑朗ロックに気に入られようとフランス語を勉強した日々。夜の新地しんちを酔って運転した日々。そういえば、代議士になったらしい西川の新車を全損させたっけ。かなり怒っていたが、あの時も緑朗ロックが……。鳩太郎に会って酔っぱらい運転を厳しく言われた。あの鳩太郎が……)


 ハンサムボーイがシャワーから出てきた。


 背中に傷があった。盲管銃創もうかんじゅうそうがいくつもある。


 ハンサムボーイがソファーに横になり、目を閉じた。かなり疲れているようだ。


 雅玲ヤァリィンがベッドから起きると、ふらつきながら歩き、ひざまずきソファーのハンサムボーイにキスをした。


(どうしてそんなことをしたかというと酔っていたから……そしてなにより肌さみしかったから……)


「あなたの名前を教えて」


「……ハンサムボーイ」


 雅玲ヤァリィンが笑った。顔をゆがめる。


(頬が痛い……最近、笑っていなかったみたい……)


「ホントウの名前」


无冥むみょう


(たぶんそれは殺しの名前……)


「そうじゃあなくて、ほんとうの名前。わたしにはもうないわ」


 CCを飲んだ。ハンサムボーイに口移す。


「……りょうだ」


 静かに言った。


醸成了かみなしりょう


 咳をした。苦そうだ。


「そうよかった。名前があったのね。わたしにはもうないわ。ほんとうの名前は……。……了……」


 了のキスの味はCCで分からなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ