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39.春女と无冥(5)/雪女(3)/人材派遣会社

39.春女と无冥(5)/雪女(3)/人材派遣会社


 G62Pジュネーブグリーンパールのホンダ・アスコットFBT−iが止まった。


 埠頭ふとうだ。


 ハンサムボーイが後左ドアを開けた。シートベルトを外した美しい女性が降りた。


「(しおの香り……)いろいろありがとう」


 ハンサムボーイは何も言わなかった。


 年配の男性が一人近づいて来た。


 二人で話すハンサムボーイ。聞きなれない言語だった。中国語や韓国語でもない。


 外国人らしいその男が小型の船に向かって、手を振った。数珠をしている。


 ハンサムボーイが一言告げた。男性の顔色が一変する。


 こちらを見る。脅えているようだ。


「行こう」


 帰ってきたハンサムボーイが言った。


「なんて言ったの?」


「素手で三人殺した」


「わたしが?」


 妙に納得しそうな数だ。


「そう。必要なら処分しろ。海は広い」


 ブリーフケースを渡される。


「処分……ね」


 海に捨てる意味らしい。


「誰が運転を?」


 受け取る。


 ハンサムボーイが笑った。


「分かったわ。ありがとう」


 女が頬にキスした。


「また会える?」


「会えない」


 頬に手をやるハンサムボーイが言った。顔は微笑んでいたが声は悲しんでいた。


「会えば……」


 合点が行く女。


「最後ね(わたしの)。本当にありがとう」


 船頭の案内で漁船に乗った。


 かなりれている。


 出航した。


 アスコットが静かにUターンした。


 黄色いサスペンションが夜でも分かる。


(ビルシュタイン)


 振り向かずハンサムボーイが消えた。


 もう会うこともないだろう。


(忘れよう)


 しかし揺れる。


(気分が……)


   *


 バッハの「フーガ」が静かに流れるアスコットの車内。


「あの人が……殺したの? ……鳩太郎きゅうたろうが?」


 静かに運転するハンサムボーイ。


 沈黙は金。


(必要以上に話すな……か)


 シートベルトをした。


(どこに行くのだろう……)


 スマートフォンが鳴った。


 曲はホルストの「木星」だった。


 助手席のPCを確かめ出るハンサムボーイ。


 メーターは一四〇のまま。かなり安定している。


「落とし物が見つけかりました」


 英語で話す。


「他にありません」


 ミラーを見た。遠く後方を。


 春女も後ろを見た。


 何もなかった。暗闇だけだった。


 深夜の高速の後ろを見るのは初めてだった。


「……はい」


 相手の返事に答えたハンサムボーイがスマートフォンを春女に渡した。


「わたし?」


 春女が受け取った。


「……はい」


 おそるおそる出る。


『やあ、スピード・スター』


 フランス語だ。


「誰? それにわたしはヤク中じゃあない……」


 フランス語を英語に翻訳している自分に気づいた。


(スピード・スターはわたしの陸上部のあだ名だ。足も速かったが、頭にくるのも速かった)


 瞬間湯沸器。スピードは覚醒剤メタンフェタミンのこと。新地しんちでのあだ名だ。


(源氏名は……よそう。思い出したくない)


 相手が分かった。


「ロック!」


 陸緑朗くがろくろうだ。


『正解だ』


 緑朗が言った。


『大丈夫か?』


「大丈夫なワケないでしょう?」


 同じくフランス語で答えた。


「どうなってるの!」


『雪女だ』


「それ以上のことよ! ナニがあったの!」


『見た通りだ』


「相変わらず言葉が足りないわね! 好かれないわよ!」


『東緑が丘地区を?』


「鳩太郎が買収させていたんでしょう? 知ってるわ」


『買収に応じない人間も中にはいる』


「だから鳩太郎みたいな人間がいるんじゃあない」


 強引にまとめるような人物が。


『住宅施設か商業娯楽施設か問題になっている』


「芦屋に商業施設なんてこれ以上できないでしょう?」


『ふつうはな。しかし、お金が動いた。香港の投資会社が北米の会社に投資した。莫大な資金をな。アメリカの上院も暗黙に了承している。で、国内では代議士の西川にしかわが……』


「国税庁の人でしょ?」


 官僚時代、新地で会ったことがある。国税庁は財務省の外局だ。


『前はな。圧力をかけた。しかし住民反対は必至だ』


「で、鳩太郎が住民を押さえた?」


『逆だ。山田は住宅施設にしようとしていた』


「なぜ?」


茶泉さいずみの病院はもう新しくない』


「何? 病院?」


 話が見えない。


『茶泉は施設を移転することで、行政から融資を得たかった。移転にまぎれて帳簿も修正できるからな。移転先が商業施設の真ん中では話にならない』


「で、住宅街?」


『今の時代は高齢者医療だ。必要なのはそれに特化した病院だ。そのほうが確実に儲かる。芦屋にとってもな。芦屋出身の西川にしてみればどちらにしても儲かる仕組みだ』


「鳩太郎は何をしたの? 住民運動の旗持はたもち?」


『それをしているのは鮎川あゆかわだ。山田は運動を押さえようとしていた』


「えっ? 逆じゃあないの? 住民運動を押さえたら住宅街にならないじゃあない」


『逆効果だ』


「え?」


『人間反対されると意地を通したくなる』


 反対運動が大きくなると関心のない住民も立ち上がらざるをない。


「しょせん、鳩太郎は悪役か……」


『悪役はギャラが良い。住宅施設の下請業務全般だ』


「ハンサムボーイは?」


『ハンサムボーイか……イイ名だ』


 笑う緑朗。気に入ったようだ。


 煙草のピースに火をつけた。両切りの音。


『ハンサムボーイは商業施設にする担当の……』


「やったの?」


『相変わらず直接的だな。大事は水面下で静かに動く氷山だ。本人ではすぐに問題になる。商業施設担当は地元で(表面的には)賛成している山田に協力を求めた。情報を得た担当は秘密裏に個別に交渉していった』


「……鳩太郎の情報は、より反対運動が拡大するように……」


 FBT−iが信号待ちで止まっていた。


 いつのまにか高速を出ている。


 もう降ろしてとは言わない。言えない。


『正確だった。そしてもうえる』


「ロックは?」


 春女が緑朗に訊いた。


「あなたはナニ?」


『人材派遣会社だ』


(……裏、のね)


新地時代あのころから?」


『ああ』


 煙草を消した。


『長い』


「わたしあなたが好きだったわ」


『知っていた』


 もう一本煙草を吸った。煙が見えるようだ。切ない紫煙。


「好きだったけどどうしてもそばにいちゃあいけないような気がしていた……安心できなかったワケが分かったわ。だから鳩太郎と結婚した……のに……わたしどうなるの?」


『パスポートは用意した』


「国外? ……帰ってこられないわね」


『もちろん。未練でも?』


「ないわ」


 きっぱり言った。


「せっかくのフェラガモがしいけど」


『また買えばいい。生きていれば買える』


「持ってこられたのはこれだけか……」


 フェラガモを見た。同じモデルだが、違う。


「これ……」


『彼女の物は持ってこられない。当たり前だろう?』


「『彼女』……ね」


 山田春女やまだはるみはもういないのだ。着ている服も似ているが春女の物とは違う。


『もう別人だ。彼女は死んだ』


「それも派遣?」


『そうだ』


「派遣のひとのパスポート?」


『そうだ』


「死んだ人の?」


『死んだのは山田の妻の春女で君じゃあない』


「鳩太郎は?」


『病院だ。心筋梗塞で亡くなった妻のそばにいる』


「病院……茶泉の病院で?」


 溜息が出た。


『そういうことだ』


 そこで整形もしたのだろう。歯の矯正も。


(いいえ。カルテを替えたのね……)


「鳩太郎はナンて? 伝言は?」


『何も』


「何も?」


『もういいだろう』


「最後まで聞かせてよ。派遣のひとはなぜ死んだの? 親兄弟は?」


『いない。いれば派遣できない。台湾人でフランスに留学経験がある』


「ちょっと待って! わたし台湾語できないわ」


『心配不用だ。行き先は今言えない』


「盗聴?」


『その可能性はないが念のためだ』


(どこだろう? からい物は食べられない)


『それから、チョーカーはもうするな』


 緑朗が言った。


「ロック……」


 泣けてきた。止まらない。


「……わたし寂しいわ……」


『ああ……』


 緑朗は言葉にしなかった。


「どうして……どうして助けてくれたの?」


『……それが答えだ』


 切れた。


 涙が止まらない。



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