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33.静蓮の声楽/レイコ・リー/蝶のリング

33.静蓮の声楽/レイコ・リー/蝶のリング


 静蓮せいれんが音楽に目覚めたのはごく自然なことだった。


 幼いころから〔リラクシン〕――父の店で生のジャズを体感していたのだから。


 プロの演奏だった。


 世界レベルのミュージシャンたちだった。


 みんなに静蓮は可愛がられた。そして、静蓮は自然と歌った。


 父のれいも期待していたのだろう。


 静蓮の歌声にれ、ウィーンの音楽学校に入れてくれた。そのことは感謝していた。


 だが、静蓮は日本にいたかった。好きな人がいたから。


 励がピアノを弾かなくなって長い。上手だった。ただ、それは素人としてだった。


 プロにはなれないと励自身の耳が教えてくれた。


 美味しい料理を自分で作れないのと同じだった。


 励は何をどうしているか手に取るように分かった。分かるができない。


 変に才能を知っているだけに、どうしようもなかった。


 かといってインスタント料理のような演奏で済ませるような音楽家にはなりたくなかった。


 聞くだけの評論家にもなりたくはなかった。


 励は自分が認めた音楽家を招き演奏してもらった。


 簡単なことだった。


 自分で作れなければ料理人シェフを呼べば良いだけだ。


 だがそんな良い料理人はすぐには集まらない。


 高くないギャラで来てくれるのは無名の演奏家たちだった。


 励は自分の耳を信じた。


 そんな励に次第にミュージシャンも心を開きはじめた。


「あの人は本物だ」


 そう言われるまで何年もかった。


 今まで何とかやってこれたのは、そんな励の努力の賜物たまものだった。決して平坦な道程みちのりではなかった。


 最近、励が見つけた宝石が二つあった。一つは自分の娘、静蓮。澄んだ綺麗な声だった。


 売れる声だった。


 もう一つの宝石は、鮎川淳のコンサートの帰りに会った美声の少女だった。


 名刺を渡した。


 翌日、母娘がたずねてきてくれた。


 娘の名前は聡声さとえで、母は元々ソプラノ歌手を夢見ていたらしいがあきらめ、自分の娘に夢を託していた。


 母は別にレッスンさせていると言って先生の名を言ったが、すぐに励の顔色が変わった。


 励は「ダイヤが石になる」と一言いうと、静蓮と聡声に特別レッスンを受けさせた。


 先生は無名のころから励の世話になっている東洋とうよう至宝しほう――レイコ・リーだった。


 二人ともTVのCMで歌う姿ぐらいは知っていた。


 白いドレスで歌うレイコは美しかった。


 レッスンは厳しかった。


 二人は泣き出しそうになったが、レイコは容赦なかった。


 レイコは「命を預かった気でしている」と強く言った。「泣くのはお客さんが感動してから」とも言った。


 卵翼之恩らんよくのおん。または慈烏反哺じうはんぽというべきか。


 レイコにはそれが励への恩返しだったのだろう。これだけ成功したのは励のお蔭だった。


 パリの小雨で肺炎になりかけて今は療養していた。作詞もしたかったので、四季のある日本に帰っていたところだった。


 基礎レッスンを終え、二人はウィーンへと旅立った。


 多くのミュージシャンに囲まれ、語学に堪能だった静蓮は海外が初めてだったけれど特に違和感はなかった。


 大変だったのは聡声の方で、まず乳製品が食べられなかった。海外で乳製品が食べられないとかなり限定された食事になる。


 寮母の心配もあり、静蓮がお店の料理長シェフから教わった中華料理を寮のキッチンを借りて作った。食材は似たようなものがたくさんあったので何とかできた。


 聡声は静蓮の作った食事を必至になって毎日食べた。


 しかし、逆に食べ過ぎて太ってしまった。


 静蓮も不慣れで多く作りすぎたのがいけなかった。広東カントン料理は基本大皿である。


 聡声は七日で太った体重を元に戻すのに三週間かかった。


 けれど、美味しいのでまた食べ始め、結局ぽっちゃりした体型に落ち着いてしまった。


 声楽は身体が資本で、前の聡声の細い体型では出せる音が決まっていたのでちょうど良かった。


 聡声は感謝して、自分の大事にしていた指輪を静蓮に贈った。黄琳玲ホアン・リンリィンデザインの高価な蝶のリングだった。


「こんな大切なもの、もらえないわ」


 聡声が寝る前にいつも大事そうに磨いているのを静蓮は知っている。


 けれど、がんとして聡声は渡した。


 静蓮の指にきれいに輝いた。


「ほらちょうどでしょう?」


 聡声は喜んだ。


「でもいいの?」


 静蓮が聞くと「あなたのほうが似合っているわ」と聡声は答えた。


「母からもらったんだけど」


 聡声が赤ちゃんのようにふくらんだ指を静蓮に見せた。


「もしかしてあたしのせい?」


「さあどうかしら」


 微笑む二人だった。



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