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25.平悟郎が車を奪う/淳が車を買う

25.平悟郎が車を奪う/淳が車を買う


 商業娯楽施設は結局、造られなかった。


 住民運動の結果だった。


 誘致しようとした米国ニューヨークの会社は地域性の調査が不足していた。反対運動が激化するうちに株価が下落し、ボストン近郊の会社に乗っ取られてしまった。


 新しい経営陣はすぐさま建設を白紙撤回した。


 残ったのは手つかずの土地だった。


 鮎川淳は社長の忠の経営方針を守りながら、新しい工法を考え実践していった。墨月すみつき弁護士が特許関連など全面協力してくれたお蔭もあり、東緑が丘はほとんど鮎川建設が建てていた。


 南緑が丘は対抗していた山田栄建設だ。山田栄は誘致会社が買収した土地を、新会社からただ同然の金額で購入していた。今回一番儲けたのは山田栄だった。


 だが、山田栄も微妙なところだった。岡山の開発で、施工不良から訴えられていたのだ。今回の件がなければ生き残れなかっただろう。山田栄も、岡山の件から安全性に訴える住宅開発をしていた。


 その陣頭指揮を取っていたのが灰原はいばらだった。灰原は、忠と交渉していた土田の直属の部下だった。昔はかなりロクでもない事をしていたらしいが、今は実直な会社員だった。かなりの切れ者で、山田に魂を売っているのかと淳が思うほど強力だった。その不動産戦争の日々の中でも淳は早朝深夜法律の勉強を続けていた。


   *


 そのころ墨月の紹介で中古車を購入した。平悟郎のスズキの軽四が下取りだった。動かなくなったのだ。タイミング・ベルトが切れたらしい。オイルを定期交換していなかったのも原因だった。


 平悟郎が黙って忠のトヨタ・クラウンをちゃっかり乗って行ってしまったので、どうしても必要だった。


 免許を取ったばかりのしおりにはクラウンが大きすぎて運転できないと前に言ったからだが、それを覚えていて勝手に奪う平悟郎の無神経さに淳はあきれた。


 朝から車を洗っている平悟郎に言っても返してくれそうもないので、新たに買うことにした。


 ホンダの営業の藍河雅仁あいかわまさひとに言ったのは、予算と大きさだった。


 夕方には同じ型のカタログのコピーと、画像のプリントアウトを持ってきてくれた。


 紺のホンダ・コンチェルトJX−iだった。


 しおりは前の事故から白い車に乗ろうとしなかったのでちょうど良かった。


 中古なのにかなり綺麗だった。


「今はもう販売されていません。電動ドアロックが全車標準装備です。メンテナンスもこちらのディーラーで点検整備していましたので心配ありません。医師の奥さまが乗り換えた下取りです。とても丁寧ていねいに乗られていましたから問題ないと思います。何かあればいつでもご連絡ください……」


 藍河が丁寧に説明してくれた。


 契約を交わそうとしたが、藍河自身が現物を確認していないので、明夕ということになった。


 問題なかった。すぐに使う予定はない。トラックは山ほどある。


「気にするほどではないのですが……」


 翌夕、来訪した藍河が言った。


「……一部、このドアは板金しています」


 写真の左後ドアを指差した。


「走行に問題ありません。きれいに直っているので安心してください」


「事故車?」


 淳が聞いた。


「いいえ。この程度で事故扱いにはなりません。へこめば板金しないと仕方ないですから。ドアを交換しても色を塗り直すことになります。――それに中古車で全く傷がないのを見つけるのは……」


「……外物そとものですからね……」


 淳が言った。外にあるものなのだ。多少の傷はあって不思議はない。


 染みのない外壁の家を見つけるようなものだろう。納得した。


「綺麗に直ってるんですよね?」


「綺麗ですよ。ドアを開いて塗り直し部分を確認するまでは、私も分かりませんでした。いちおう、中古自動車査定士です」


(ルールか……)


「不具合は最初に言っておかないと、あとあと問題になりますから。――それに、墨月すみつき先生のご紹介ですから、この価格です。ご安心を」


 実際安かった。オートマチックで、エアコン、パワーステアリング、パワーウィンドー(※)、パワードアロック。キーレスエントリーまで全部ついていた。


 ※ホンダの表記による。


「どうしてこんなに安いんですか?」


「そもそも三十年前の車ですから、値段がつきません。それに、点検を入れて下されば、それで儲かります」


「え?」


「中古車の利益は新車より多いです。利益率を下げて販売する以上、回収するには点検が必要です。ディーラーなので点検率も本社に言われますから」


 微笑ほほえむ藍河だった。


「今月は予定(の目標ノルマ)をクリアしたので上にはこれで通します。それにすみさんの紹介ですからね」


「じゃあこれでお願いします」


「はい。妹さんのご了解は?」


 きちんと乗る人間を把握している藍河だった。購入者がが良くても使用者に反対されるケースもあるからだ。


「とても気に入ってましたよ」


「では、こちらに実印とご署名を。お支払いはこちらの金額でよろしいですね。クレジットで……」


 書類を説明する藍河だった。カードを認証した。自動でプリントアウトされる。


「こちらが領収書です。こちらとこちら、そしてこちらに実印をお願いします。印鑑証明を一通お預かりします。……こちらが預かり証です。……納車ですが、車庫に問題なければ今週末には」


「そんなに早いんですか?」


 今日は日曜日だ。


「書類が揃っていますので。それに墨さんが動いてくれますから、車庫も問題ないと思います。正式に判るのが金曜の朝ですので、どちらにご連絡しましょうか」


「金曜は僕の携帯に。土曜は妹が自宅にいると思います」


「分かりました。金曜日午前中にご連絡いたします。金曜に登録できれば納車は土曜日でよろしいですか?」


「ええ、妹が家にいますので」


「納車式の後、納車説明を妹さんにさせていただいても?」


 言い忘れていたのではない。印象つけるためだった。


「納車式?」


「取りに来ていただくと納車費用がかかりませんから」


 書類には費用が書かれていない。


「ホンダでは納車式をさせていただいているんです。何か調子が良くなくて、来店していただいた時に、私がいなくても顔を知っている店の者に言っていただいたら大丈夫なように、メンバーを紹介させていただいているんです。それと、妹さんは初めて買われるんで色々ご説明させていただいたほうが良いかと思います」


「分かりました。妹に言っておきます。店の方に行かないといけませんね」


「土曜の午前中でしたら私がお迎えにあがりますが」


「……車を持ってくると二人いるからですか?」


 段取りを考える淳だった。


「正解です。それと、納車式の時にお写真を撮りますので」


「……ドレスですか?」


 淳が笑った。


「別にかまいませんよ。運転できる服装であれば」


 藍河が上手にかわした。


「別の営業のお客さまですが、紋付もんつはかまで来られた方がいました」


 藍河が微笑んだ。


「そこまでなさる事はないですが……」


「おめかしするよう言っておきます」


「期待しておきます」


 やわらかく笑う藍河だった。


「では金曜午前中にご連絡、土曜納車ということで」


   *


 予定通り金曜日に登録され、土曜の朝に藍河がしおりを迎えに来た。


 しおりは淡い紫陽花あじさい色のワンピースで待っていた。


「初めまして、鮎川あゆかわしおりです」


 しおりがにこやかに藍河に挨拶した。


 藍河は微笑みながら店に案内した。


 店頭でスタッフが一列に並び紹介された。


 花束贈呈と拍手の後、大きな鍵型のマスコットを手に写真撮影が行われた。


 スタッフ全員と、しおりだけと二枚の撮影を、車コンチェルトを前に行われた。


 そのあと藍河がしおりにキーレスエントリーなど使い方を教えたが、しおりは上の空だった。初めての車でドキドキしていたのだ。


 藍河は二度納車説明するようにしている。納車当日と二三日後だ。そのころには落ち着いているのでゆっくり聞いてくれるからだ。だいたい当日はみんな嬉しくて聞いていない。


 帰ったしおりが花束を生ける間、綺麗なコンチェルトをじっくりながめた平悟郎はその日からクラウンを洗わなくなった。




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