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15.墨月の闇

15.墨月のやみ


 閃光せんこう


 莫大な光が周囲を照らし、次の瞬間、爆音と共に炎上する。


 スプリンクラーが自動降雨した。


 小雨と煙の奥に人がいた。倒れている。


 青年と少年だった。頭から血を流す青年を、血まみれの少年が膝に抱き泣いている。


 一瞬のでき事だった。


 その日から少年には何もなかった。あるのは残骸だけだった。壊れた心と壊れた身体。


 それ以来、少年は本心から笑わなくなった。愛する者を永遠に得られぬのは罰だ。少年が何をしたのだろう。青年科学者、一人の女性を愛した。それだけなのに。


 少年は、車椅子の少年になり、車椅子の青年になった。彼が愛したのは彼女ただ一人だった。


 何億もの富を得、弁護士・税理士として名声をつかみ、慈善事業を繰り返しても何一つ変わらなかった。相変わらず焦燥にられ安心はなかった。青年にあるのは残骸だった。


 魂魄たましいなど信じていない青年だが、あるとすればあの日に消えたのだ。


 市中の人々は青年の心のやみの奥を知らなかった。それはとても深く暗い闇だった。青年は目的のために手段を選ばなかった。常に巧速だった。時には裏に手配して問題を処理した。あとを残すような事はしない。完璧だった。


 あるモノと出会うまでは。


 それはモノだった。人間の形はしていたが悪魔だった。善魔とでも言おうか。善を囁き魔に入るモノだった。


 空魔くうまと言った。


 くうに魔などない。青年は応えた。


 真空にも物質は生ずる。すぐに消えるが。らぎだとそれは言った。


 林檎りんごを手に取りグラスにジュースにして注いで飲む、それ。


 くうの遊びだとそれは言った。


 青年は心の産物だと言った。


 それは甘く微笑み林檎りんごジュースを渡した。心の産物なら何も変わらない。


 青年の心の深い闇の井にそれがゆるやかにしのびねっとりとした感触が闇のふちに触れた。


 本能が拒絶している。


 青年は手に取った。


 熱い。いや痛い。凍傷になりかけている。室温なのに。甘い夢が鼻腔から脳に直接刺激した。飲む。辛い。いや甘い。苦くもあり酸い。海鹹しおが舌に残る。うまい。


 えぐみがに残った。


 それが微笑んだ。


 人間には天賦がある。お前には……それは美しい女だった。男かも知れない。美しい。繊細な手を青年の額に触れ続けた……天命てんめいが読めるだろう? いくら慈善を尽くしても手に入れられぬモノがあるのを知るお前はさとい……。


 のモノが囁いた。


 全てはくうさ。からえぐみが足先に這い、指を痙攣けいれんさせた。


 神経細胞が再生されていくのが分かる。


 足から這い上がり脊椎そして傷ついた脳幹に至った。


 吐き気がするが何も出ない。


 床に落ちたのは冷や汗だった。止まらない。


 長い時間の後、痙攣けいれんが落ちついた。


 足先に痛みが残る。


 感覚は何年ぶりだろう。


 代償はあるとそれは言った。


 痛みだった。


 わずかに動く。重い。


 やがて容易に動くのが分かる。


 痛みはなくならない。松葉杖で歩けるだろう。


 やがて普通に歩き走れるのが分かった。


 しかしそれにつれて傷みも増大するのだった。


 生きていることは痛みだ。青年は言った。


 生きているうちだけしか痛みは感じられない。死はあらゆる束縛からの開放だ。時の翁の前髪を掴んだようだ。


 青年はモノになった。


 魔人まじん


 空魔くうま


 青年が最後にれたのは自分の愛した人に似た女性だった。愛しているとは言わなかった。愛していなかったから。本当は愛したかった。愛していたのかも知れない。


 さわらぬ愛情。


 れぬ愛情もあるのを青年は最後に知った。


 手遅れだった。


 井底いぞこの焦燥は消え、青年は満たされていた。


 青年は開放された。


 間にあったのだ、確かに。


 それが最後だった。


 漏刻ろうこくの水がついえ時のおきなの瞳孔が広がり目を闇に変えた。


 むくろとなった黒衣こくいの神が鎌を上げた。


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