003 誰でも回せるようにしてください
美波が作成したマニュアルは完成に向かっていく。
そんな中、部長から指示は「誰でも回せるようにしてください」と指示される。
10月3週目。
美波がお手製で作っていた問い合わせ対応マニュアルは、3週目終わりの時点で手書きノートから、パワーポイント資料へと変貌し、すでに15ページになっていた。
最初は問い合わせの多い順に並べただけだった。進捗確認。書類不備。型番。写真。期限。それぞれに、電話を受けたら最初に見る箇所を、次に見る箇所、どこまで回答可能か、どこから先は回答NGかを書いただけだった。
判断できない案件のページには、誰に何を添えて確認依頼するかの流れも書いた。
これまでの「審査部長に確認」の1行の代わりに、申請番号と、何が規定に書いてあって、何が書いていないかと、似た前例の番号を3つ。それだけ揃えて持っていけば、木村が5分で答えてくれる、と。一方、揃えずに持っていけば「資料回しといて」で少なくとも3日止まる、とも。
外資系からの電話対応と、マスコミ対策のページも足した。ヒアリングで必要な事項はもちろん、英語にはカタカナでふりがなルビまで振っておいた。
今、何が起きているか。制度上、何が必要なのか。こちらで何を確認するか。言っていいこと、確認が必要なこと、言ってはいけないこと。初日の夕方と、2週目の水曜日にやったこととを、そのまま手順として起こした。
電話は、マニュアル作成中も容赦なく鳴り続ける。美波は対応にも手を抜くことはなかった。
「これ、見てもいいですか」
藤岡が、美波の画面を後ろから覗いて言った。
「どうぞ。共有フォルダに置いてありますので」
藤岡は自分の席に戻ってファイルを開き、20分ほど黙って読んでいた。終わると、再び美波の席へやってきた。
「1個だけ。4ページ目と9ページ目、同じ確認が2回出てきますよね。不備通知の送付先」
「はい」
「最初の分岐の前に1回だけ見るようにしたら、2ページ減ります。たぶん、そっちのほうが迷わない」
美波は4ページ目と9ページ目を開いて、見比べた。
「ありがとうございます。そうですね。ご指摘の通りですので、早急に直します。申し訳ございません」
「あと、表紙に、このマニュアルで答えられないものの一覧があるといいかも知れません。何ができないかが先にわかると、使う側は安心するんで」
藤岡はそれだけ言って、自分の画面に戻った。
美波は表紙の下に、「このフローの対象外」という見出しを1つ足した。
◆◆◆
10月4週目。
月曜日、美波は主任と共に木村から呼ばれた。
「冴木さん? あれ、共有フォルダの」
「問い合わせ対応フローのマニュアルですか?」
「そうそう。あれなんだけど。正式にうちの対応マニュアルとして使えるようにしておいてくれると助かるんだけど」
木村は書類の束に目を落としたまま言った。
「マニュアルがあれば誰でも回せるようにしてください。来年度のこともあるから」
「かしこまりました」
美波は会釈をしてから席に戻った。着席するとすぐ、正式な手順にするために足りないものをノートに書き出していく。まずは様式の版の統一。次に用語の統一。そして改訂日の欄。意外にも足りないものはそのくらいだった。
藤岡が、フローを開いたまま電話を取ったのは、その週の水曜日だった。
「補助金事務センター、藤岡です。……はい。……はい、申請番号をお願いできますか」
相手の声が、受話器から漏れてきた。最初から大きかった。不備の通知が来たが、意味がわからない。去年は同じ書類で通った。お前らはいつも言うことが違う。
「恐れ入ります。いま、記録を確認いたします」
藤岡は穏やかな声のまま、画面の上でフローをスクロールした。番号。氏名。代行者。不備通知の送付先。指で一つずつ追っていく。
美波は、自分の電話を取りながら、それを横目で見ていた。
藤岡の指が、不備通知のページで止まった。
「お待たせいたしました。不備のご連絡は、保証書の記載についてでございます。昨年度とは様式が変わっておりまして、型番の欄が分かれております」
「──だからさ、去年は通ったって言ってんだよ兄ちゃん? わかるぅ?」
相手の声が一段上がった。藤岡の声が穏やかなぶん、押せば通ると思ったのかもしれなかった。それにしてもヘッドセットを通しているのにこちらに聞こえてくるほどだ。憤りのほどが何となくわかる。
「はい。昨年度の様式では、通っております」
「──だったらグダグダ口答えしねぇで、今年も通せって言ってんだよクソが!」
「今年度の様式では、型番の欄の記載が必要でございます。そこは、変えられません」
藤岡の声は、最初と同じ高さのままだった。暴言までクッキリ聞こえる。
「──ったく! 融通がきかねえ木っ端役人がよぉ。おめーじゃラチ明かねぇから上の人間出せや」
「上の者に確認すべき点がございましたら、わたくしが確認いたします。どの点についてでしょうか」
受話器の向こうが、少し黙った。それから、相手は言った。去年の申請のときは、販売店が型番を書いてくれた。今年は自分で書けと言われた。どこに何を書けばいいのか、わからない。損なことを喚き続けていた。
藤岡は、もう一度フローを見た。「様式変更に伴う問い合わせ」の欄だった。記入例のページ番号が書いてある。
「記入例を、いまメールでお送りいたします。赤字の箇所だけご記入いただければ、そのまま受け付けられます」
相手が何か言った。藤岡は少しだけ間を置いた。
「ただいまのご質問については、確認のうえ、本日中にご連絡いたします」
電話を保留にして、藤岡は立ち上がり、木村の机まで行った。申請番号と、規定のどこに書いてあるかと、前例の番号を3つ。木村は画面を見て、5分で答えた。
藤岡は席に戻ると、すぐに折り返し、回答した。
毒づく相手の声は、最後まで大きかった。それでも、電話は切れた。
藤岡は受話器を置いてからしばらく画面を見ていた。やがて、美波のほうを向いた。
「自分でも、できました」
藤岡は笑顔でそう言って、自分の電話に戻った。
昼休みとは別の午後休憩は15分ある。しかし、実際はあってないようなものだ。
美波はその貴重な15分のうち、最初の3分でスマートフォンを開いた。メールアプリを立ち上げ、受信フォルダを確かめる。
15時ちょうどに一通、メールが来ていた。
『プレミアムバンダイ 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM <再版・1/144 デスティニーSpecⅡ>ご当選のお知らせ』
ログインして、申込履歴を開く。
美波は画面を見て目を輝かせると、一度だけ瞬きをした。嬉しさのあまり、スクリーンショットを撮ろうとして、2回、音量ボタンを押してしまったほどだ。
「あ」
背後で声がした。給湯室から戻ってきた藤岡が、マグカップを持ったまま立っていた。
「すみません、見えちゃって」
「いえ」
美波は慌ててスマートフォンの画面を消した。その間、藤岡の視線は画面から、電話機の脇にあるアクスタに移る。
「それ、シンですか」
「はい」
「FREEDOMの最後、よかったですよね」
美波は少しの間、藤岡の顔を見た。
「……はい」
「再版、当たったんですね。おめでとうございます」
藤岡はそう言って、自分の席に戻っていった。
休憩は、あと10分しかない。美波は慌てて財布を持って席を立つと、エレベーターホールへと走り出した。
◆◆◆
美波が作成したマニュアルが共有フォルダの「正式版」へと移ってから、フロアの雰囲気が明らかに変わった。
電話の数こそ減らなかったものの、「担当者に確認して折り返します」の数が明らかに減った。田村の口から、それが1日に1回しか出なくなった。3つ隣の席の「去年はこうしていました」も、すっかり聞こえなくなった。
美波の電話機の赤いランプが点く回数も半分以下になった。
「それ、フロー見て。7ページ」
田村が、隣の島に言った。
「最近は静かだな」
朝、梶谷が誰にともなく言った。
「いやあ、処理件数、先月比で3割増しですよ。放棄呼もゼロ。これ、上にそのまま出せますね」
石橋が、印刷した表を手に言った。
それは、共有フォルダに置かれるようになってからフル稼働し続けるマニュアルだった。
『審査業務における問い合わせ対応の標準化について』
表紙の下に、作成者の欄があった。
『審査部 木村』
中身は、美波がパワーポイントで作成したものだった。
その日は、受付終了から30分で、フロアから人がいなくなった。
美波が鞄を持ち上げると、主任も上着を手に取っていた。
「あ、冴木さんも上がりですか」
「はい」
エレベーターを待つ間、主任は腕時計を見た。
「5時40分。この時間に帰れるの、ここ来てから初めてなんですよ」
「そうですか」
「前は毎日9時とか10時で。折り返しの電話がたまっちゃって、それを全部僕が片づけてたんで」
エレベーターが来たので、2人で乗った。扉が閉まり、静かに下へと向かっていく。
「冴木さんが作ったマニュアル、うちの会社のほかのセンターにも持っていきたいくらいです。正直に言うと、実践的な統一マニュアルの作成が追いついていなくて困ってるのって、ここに限らず、どこも同じなんです」
主任は、本当にそう思っている顔をしていた。
「お役に立てたなら、よかったです」
美波は主任の顔を見ることなく、階数表示の液晶を見上げた。数字が1つずつ減っていた。
「家で、子どもが起きてる時間に帰れるんですよ。久しぶりに」
一階に着いた。主任は「お疲れさまでした」と頭を下げると、JR駅がある方面へと歩いていった。
美波はビルの脇にあるメトロの階段を下りた。
◆◆◆
10月最終営業日。
センターでは会議が何度も開かれていた。営業時間に、石橋や木村が姿を見せることはほとんどない。ときには主任も呼ばれている。
扉が半開きになった会議室の中で、石橋と木村、そしてときどき主任とが、資料を挟んで話していた。隙間からホワイトボードの文字は見えた。
『次年度体制』
『定員見直し』
『AI化』
夕方、受電タイムが終わったところで、美波が給湯室へマグカップを洗いに行ったときだった。
中から、主任と石橋の声が聞こえた。
「……島ごとだと、うちが12で、エブリデーさんが4、ラブジョブさんが4です」
聞こえてきたのはどちらも、人材派遣会社の名前だ。
「……ああ、あの島ってそういう分け方なんだ。6人のとこはどっちもダスアバさん?」
「……はい。うちの12のうち2つは、うちの下の、つなぎさんからの派遣です」
「……冴木さんと藤岡くん、一緒じゃないんだ? 時々話しているから一緒かと」
「……いえ。藤岡くんはエブリデーさんでしたよね」
「……ああじゃあ、全部派遣さんなんだ。そしたら話、早いね」
「……そうですね。センター長と次長と部長以外は全員」
「……えー。知らなかったなぁ。ちゃんとスーツとかジャケット着てるし、我々みたいな自動車会社からの出向かと思っていたんだよねぇ。ま、そんな感じで、12月は16人、年明け以降12人で回せそうってことで。あはははは」
石橋の笑い声が響いた。
美波は、給湯室の入口の手前で足を止めていた。が、マグカップを持ち直すと、自分の席へ戻った。出てくる気配もないので、洗うのは、週明けの朝にするしかない。
席に戻ると、美波はフロアを見渡した。4人の島が2つと、6人の島が2つ、あった。
◆◆◆
11月1週目。
週明け早々、美波はマニュアルの正式版を仕上げた。
田村が、刷り上がったばかりのマニュアルをめくりながら言った。
「いやあ、これ、すごいっすね。これなら、もう誰でも回せますねー!」
島の何人かが、顔を上げて頷いた。
「これ、ほかの部署にも展開できるんじゃない?」
「新人来ても、これさえ渡せば初日からいきなり電話取れるよね!」
前田が言った。
「そうなるかと」
美波は浮かない顔でそれだけ答えて、自分の画面へ視線を戻した。例外処理のページには、抜けが1つあった。分電盤の改修費だ。木村の「案件ごと」を、どの前例で判断したかの欄を1行足した。
改訂日の欄を、今日の日付に書き換え、バージョンを1.01と書き換えた。
17時半。山本が美波の席まで来た。
「冴木さん、ランチのことなんですけど。12月初旬ならだいぶ落ち着くからって、次長が」
「そうですか」
山本は「また日にち決まったら言いますね」と言って、軽やかな足取りで自席へと戻った。
美波はスマートフォンの予定表を開くと、来週を表示させた。それから、月を1つ送った。
11月30日の欄に、自分で入れた予定が1つだけあった。
『初回契約満了』
12月は、空いていた。
予定表を閉じたところで、スマートフォンが震え、メール受信を告げた。送信者は派遣元の営業からだった。
『冴木様 お疲れさまです。お伝えしたいことがございます。ご多忙の中恐れいりますが、本日または明日、お時間をいただけますでしょうか』
美波は、返信の欄に打ち込んだ。
『承知しました』
それだけ打つと、送信ボタンをタップした。
それから、フローのファイルをもう一度開いて、表紙の改訂日を確かめた。今日の日付が入っていた。
2010年からのハケンちゃんライフをエンタメにした供養小説も第3話。
派遣社員なんてマジで新人でも即戦力扱いで、未経験OKなんて名ばかりです。待遇に至っては直雇アルバイト以下ですからね。
派遣は未経験でもいいんでしょ?
いや、派遣の未経験は直雇(直接雇用)の未経験とは、求められるスタートラインが違います。
まず、事務方ではワード(差し込み印刷まで)とエクセル(関数計算とpivotテーブル)は「使えて当たり前」。電話は「お電話ありがとうございます。★★★、担当▼▼でございます」がナチュラルに出て当たり前。
コルセンとか審査は「未経験者OK、丁寧な研修」とかほぼ嘘(笑)。一番きっつかったのは、研修期間中に休んだり早退したら即日終了というのがありました。そこ、何と! 夕方から大雪が降り、電車やバスが次々止まる中、「終了でいい方はご帰宅ください」という勤務先のT●●研修担当は高らかに言い放ちましたもん。
全4話+エピで完結します。続きをお楽しみに! ブックマークとかもお忘れなく★




