004 歓迎会の前に契約終了 ~ エピローグ
主任に呼ばれた1on1の会議室には、次長が待っていた。
美波は自分の運命を知る。
11月1週目。火曜日
「冴木さん。1on1を開きたいんですが。今、お時間いただけますか」
主任に声をかけられたのは、派遣元からメールが来た翌日、午前10時過ぎだった。
「はい」
美波は書きかけの付箋をモニターの縁に貼ると、立ち上がった。
主任のあとについて、フロアの奥にある会議室に向かった。ドアの前で、主任が一度だけ振り返った。何か言いかけて、言わなかった。
会議室の中に、石橋がいた。テーブルの端の椅子に座って、手元のスマートフォンを伏せたところだった。
「あ……」
美波は椅子の背に手をかけたまま、1秒だけ止まった。
会議室。現場の上司と、その上の誰か。テーブルの上の、裏返したスマートフォン。
前の職場でも、その前の職場でも、会議室の向こうでは電話が鳴っていた。
「どうぞ、座ってください」
主任が言った。美波は石橋の向かいの椅子を引いた。会議室の空気がわけもなく、重く感じた。
「まず、本当に感謝しています」
主任は、手元の紙を見ることなく、美波を真っ直ぐ見て話す。
「冴木さんが来てから、折り返しの電話が半分以下になりました。部長に上がる確認も、資料を揃えてから上がってくるようになったことで、業務の滞りそのものがだいぶなくなりました。藤岡くんも1人で電話を回せるようになった。そして僕も、家に帰れるようになった」
1つずつ、指を折るように言った。
「全部、冴木さんが作ったマニュアルのおかげです。本当に、ありがとうございます」
感謝の言葉を素直に受け取れないほど、部屋の空気は重い。
「できれば、これからもいてほしいと思ってます。それも、本当です」
主任は、そこで少し黙った。美波はその表情を見て、これから何を言われるか察した。
「ただ、来年度の体制の見直しが決まりまして。そのですね、冴木さんのおかげで業務が安定して、手順も標準化できたので、審査補助の人数を減らす方針になったとのことです。それでその、冴木さんの派遣元、つなぎさんにもウチから話がいっているので……」
向こうで、電話が鳴っていた。誰かが取った。
「ごめんねー★」
石橋は顔の前で両手を合わせると、口角を上げたまま、小首をかしげた。重苦しい空気を少しでも和らげたいという気遣いのつもりだったのだろう。が、かえって浮いていた。
「上が決めたコトだからねー★」
「承知しました」
無表情のまま、美波は言った。
「マニュアルの最終版と、対象外の案件の一覧と、例外処理の前例の索引を、共有フォルダの正式版に入れておきますので」
「はい。これまで短い間ではありますが、本当にありがとうございます」
主任がそう言うと、石橋がスマートフォンを手に取って軽やかに立ち上がった。
「じゃ、あとはよろしく。いやあ、冴木さん優秀だもんねー。次もすぐ決まるから安心でしょー。ははははー」
ドアが開いて、閉まった。
会議室を出たところで、主任が言った。
「冴木さん。下のカフェ、行きませんか」
美波は一緒にエレベーターで1階へ行った。ビルの入口脇のカフェは、昼前だからか、空いていた。
オーダーカウンターの前に立つと、主任がおもむろに財布を出す。
「おごりますよ。何にします?」
「いえ。結構です。お気持ちだけで。私、自分のコーヒーは、自分で買いますので」
美波は無表情のまま軽く会釈すると、隣のレジに立った。
「あ、でも、会社の経費で落ちますし……」
「ヴェンティサイズのカフェラテ。ショット追加、ブレベミルクで」
主任が財布を持ったまま、少しの間、立ちつくす。美波は無視して、さっさと注文を済ませた。代金を払うと、レシートを受け取った。
オーダーしたカップを受け取ったところで、美波はレシートを主任に差し出した。
「どうぞ」
「えっ」
「主任はコーヒー代を経費で落としたいんですよね? でしたら、『一人でお飲みになった』では落ちないでしょうから」
主任は美波からのレシートを見ると、受け取った。美波は振り返ることもなく、一人、エレベーターホールの方へ歩き出した。
夕方、派遣元の営業から電話が来た。
「──冴木さん、お疲れさまです。つなぎ人材サービスの森です。お話、もう現場でも聞かれましたよね」
「ええ」
「──本当に残念です。先方からは、ものすごく高い評価をいただいておりまして。ダス・アーバイテン様のほうでも、冴木さんのおかげで現場が見違えたって」
森の声は、明るくて、丁寧だった。
「──ただ、ダス・アーバイテン様の請負枠そのものが見直しになったということで、うちとしても、どうにもならなくて。ほんとに、申し訳ないです」
「いえ。承知しています。派遣なんてそんなものです。用がなくなれば『終了』という名のクビですから」
「──次のお仕事、すぐご紹介できるように動きますので。冴木さんならどこでも即戦力です。次もすぐに決まりますよ」
森は、そこで少し声を落とした。
「──それで、1つだけ。次の職場見学の際、こちらでの在籍期間を聞かれたら『プロジェクトの終了に伴い』ということでお願いできますか。短期で契約終了しちゃう人って、どうしても『何かあったのかな』って見られちゃうので」
美波は、手帳のページを2枚戻す。そのページの端には、前の面接の日付が3つ、走り書きのまま残っていた。日付の横には、3つとも同じ言葉が書いてあった。
『在籍期間、聞かれた』
「かしこまりました」
「──ありがとうございます。じゃあ、最終日まで、よろしくお願いします」
電話が切れた。
美波は無表情のまま、手帳を閉じた。
手帳の1ページ目には、『生きているということは、それだけで価値がある』と書かれていた。
◆◆◆
話は、翌日の昼休みにはフロアに広まっていた。
「え、冴木さん、今月で終わりなの?」
田村が弁当の蓋を開けたまま言った。
「仕事できるのに?」
「家庭の事情とかじゃない? ほら、年齢的にさ」
向かいの前田が言った。
「ああ、そっか。そういうのもあるか」
「そういえば、来週の健康診断ってさ」
話題は、それで変わった。
◆◆◆
最後の2週間。
美波は通常どおりに出勤した。相変わらず2番目に着き、主任に挨拶をして、席に着いた。
電話を取り、4分で切った。その合間に、フローを直していく。
FAQの文言を、誰が読んでも同じ意味になるように揃えた。
共有フォルダのファイル名から、「最新」「確定」「これ使う」を消して、日付と版番号に統一する。
リンク切れを3箇所直す。
前例の索引に、分電盤の件を足した。
この日も、藤岡が電話の合間にやってきた。
「例外が来たとき、自分で判断していい線って、どこですか」
「判断しないでください」
美波は言った。
「記録を残して、規定のどこに書いてあって、どこに書いていないかを揃えて、上に確認してください。判断するのは、上の仕事です。こちらで判断したことは、あとで誰も覚えていません。判断した人のことも」
藤岡は手帳に書いた。書き終えてから、少しだけ顔を上げた。
「ありがとうございます」
机の脇では、シンが前を向いていた。
◆◆◆
11月30日。最終出勤日。
昼前、外資メーカーの日本法人から電話が来た。
藤岡の電話だった。
「補助金事務センター、藤岡です。……Yes. ……Yes, may I have the application numbers?」
藤岡の英語は、美波のそれより少し丁寧だった。
受話器の向こうの声が、強くなった。藤岡は、一瞬だけ美波のほうを見た。
美波は、動かなかった。
藤岡は画面に目を戻し、フローを開いた。番号。氏名。代行者。不備通知の送付先。指で1つずつ追った。
「We can't promise a date for the approval itself. But we'll confirm the status and get back to you within two business days.」
電話は、7分で終わった。
藤岡は受話器を置き、付箋に申請番号を書いて、主任の机に持っていった。
美波は、自分の電話に戻った。鳴っていなかった。
16時半、山本が美波の席まで来た。
「冴木さん」
山本は、少し困ったように笑っていた。
「歓迎ランチ、結局、できませんでしたね」
島の何人かが、顔を上げた。
一瞬、誰も何も言わなかった。
「送別ランチなら、まだ……」
田村が言いかけて、そこで止まった。
「そうですね」
美波は言った。
「業務は、間に合ったので」
山本は「そうですよね」と言って、自分の席に戻った。
17時の受付終了とともに、電話が止まった。
美波は名札兼入館カードを、100円ショップのケースごと主任に返した。紙の名札は、最初の日のまま、ラミネートされていなかった。ロッカーの鍵などは結局渡されずじまいだったので、ほかに返却物はなかった。
「お疲れさまでした。本当に、ありがとうございました」
主任は、深く頭を下げた。
「こちらこそ、お世話になりました」
藤岡は席を立って、会釈した。何か言いかけて、言わなかった。美波も会釈を返した。
美波は、電話機の脇のアクスタを手に取った。
台座のあった場所に、埃のない四角い跡が、灰色の机の上で白く残っていた。指でなぞると、すぐに周りと見分けがつかなくなった。
アクスタを、鞄の内ポケットに入れた。
ドアを開けて、廊下に出た。背後で、受付時間外の電話が1本鳴り、留守番電話に切り替わる音がした。
美波は振り返らなかった。
12月1週目。9時。
この日も始業のチャイムと同時にセンターの電話が次々と鳴った。
藤岡が受話器を取る。対応しながらも、慣れた手つきで共有フォルダのフローを開いていく。
「補助金事務センター、藤岡です」
6人の島の端の席には、段ボール箱が2つ置かれていた。印刷されたマニュアルと、一足早い、来年度用の様式資料一式だった。
「そういえば、昨日までいた、あの英語の派遣さん。なんて名前だっけー?」
田村が、隣の前田に聞いた。
「さあ。契約、終わったあの人ですよねー」
「そうそう」
ここで前田の電話が鳴った。前田はひとしきりやりとりすると、保留ボタンを押して、田村のほうを向いた。
「田村さん、これ、型番が違うってやつ、どうするんでしたっけ」
「マニュアルにそれ、書いてあったっしょ」
言いながら、田村は自分の電話が着信を知らせてきたので、受話ボタンを押した。
「はい、補助金事務センターです」
電話は鳴り続けた。誰かが取り、誰かが答え、誰かが切る。
歓迎ランチは開かれなかった。業務フローを記載したマニュアルだけが残った。
2010年からのハケンちゃんライフをエンタメにした供養小説の最終回です。
マジで派遣やっていると、あっさり切られますよ? 勤怠が悪い、業務がヤバイで切られるは当然だけど、意外にあるのが「できるが故に、切られる」です。
シゴデキの結果、自分自身がリストラ対象とかもう乾いた笑いしか浮かびません。
マジで。しかも、こういうときに限って、勤務先の人の態度はシカトかテヘペロ。もうね、って。




