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あんねの蒼  作者: Anne
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第2話 眠れない夜

少し時間が戻ります

初めてSUBARUへ行った日の夜。


眠れない。


あんねは右を向いた。


目を閉じた。


青い車がいた。


左を向いた。


また目を閉じた。


やっぱりいた。


「……もう」


目を開ける。


暗い天井しかなかった。


今日まで、車なんて気にしたこともなかった。


お父さんの車だって、名前を聞かれたら困る。色くらいなら分かる。でも、それだけだ。


なのに。


――BRZ。


覚えてしまった。


びーあーるぜっと。


たった三文字なのに、なんだか格好いい。


あんねは布団の中でもぞもぞと身体を動かした。


机の上に、今日もらってきたカタログがある。


見ない。


もう見た。


帰ってから何回も見た。


だから見ない。


目を閉じる。


青い車。


「…………」


あんねは起きた。


机のライトをつける。


カタログの表紙に、青いBRZがいた。


「いた」


当たり前だった。


椅子には座らず、そのままカタログを持ってベッドへ戻った。


表紙をめくる。


青い車。


まためくる。


黒い車。


まためくる。


白い車。


「青がいい」


誰も聞いていないのに言った。


もう一度、青い車のページへ戻る。


昼間、ショールームで見たのもこれだった。


低くて、つるんとしていて、目が少し怖くて。


でも、怖いだけじゃない。


なんとなく笑っているようにも見えた。


変なの。


車なのに。


写真の下には、小さな文字がいっぱい並んでいる。


あんねは読んでみた。


二・〇、ボクサー、ディーオーエイチシー、デュアル……。


やめた。


何を言っているのか全然分からない。


でも、その横に書いてある数字は分かった。


2,793,000円。


あんねは止まった。


もう一度見る。


一、十、百、千、万――。


「二百七十九万……?」


高い。


たぶん、ものすごく高い。


でも、車ってこれくらいするものなのかもしれない。


お父さんが今乗っている車がいくらだったのか知らない。


そもそも二百七十九万円がどのくらい大変なお金なのかも、よく分からない。


ただ、自分のお年玉では絶対に足りないことだけは分かった。


もう一つ数字がある。


2,871,750円。


「こっちのほうが高い」


同じ青い車なのに。


何が違うんだろう。


6MT。


もう一つは、


E-6AT。


「…………?」


暗号にしか見えなかった。


あんねは考えるのをやめて、次のページをめくった。


今度は黒いBRZ。


こっちは、


2,478,000円。


「あ」


安い。


三十万円くらい違う。


三十万円。


ゲームが何個買えるんだろう。


かなり買える。


たぶん。


こっちでいいんじゃない?


同じBRZだし。


青にもできるなら、こっちでいい。


あんねは、ものすごく賢いことを思いついた気がした。


さらにページをめくる。


白いBRZ。


タイヤのところが、なんだかさっきの車と違う。


でもBRZだ。


そして。


2,058,000円。


「これ!」


思わず声が出た。


慌てて口を押さえる。


隣の部屋から何も聞こえてこない。


よかった。


もう一度値段を見る。


二百五万八千円。


さっきの青いやつより、七十万円以上安い。


これならお父さんも喜ぶんじゃないだろうか。


同じBRZ。


色だって、下を見ると青がある。


あんねは小さく頷いた。


これにしよう。


自分が買うわけでもないのに決めた。


念のため、装備も見る。


知らない言葉ばかりだった。


でも、その中に読めるものがあった。


エアコンレス。


「レス……?」


しばらく考えた。


レス。


ない、という意味だった気がする。


その後ろには、


ヒーター機能のみ。


と書いてある。


あんねは固まった。


「……冷たいの出ないの?」


夏は暑い。


ものすごく暑い。


窓を開ければいいのかもしれない。でも信号で止まったら暑そうだ。


髪もぐちゃぐちゃになる。


雨が降ったら、窓も開けられない。


「だめじゃん」


七十万円安いBRZは、あっという間に候補から消えた。


さらに、


スピーカーレス。


「音楽も聴けないじゃん」


だめだ。


全然だめだ。


なんでそんな車を売っているんだろう。


あんねには分からなかった。


一つ前のページに戻る。


二百四十七万八千円。


こっちにはエアコンがある。


スピーカーもある。


「じゃあ、これ」


決まった。


今度こそ決まった。


でも。


もう一度、最初の青いページを開く。


じっと見る。


「…………」


こっちのほうが格好いい。


理由は分からない。


タイヤのところが違う。


下の丸いライトもついている。


昼間見たBRZも、たしかこっちだった。


値段を見る。


二百七十九万三千円。


三十万円。


あんねは唸った。


「三十万かあ……」


自分で言ってから、ちょっと大人になったような気がした。


三十万円の価値なんて、よく分かっていない。


それでも、安い方がいいに決まっている。


お父さんが払うんだから。


そこまで考えて。


あんねは、はっとした。


「……買うって言ってないじゃん」


そうだった。


お父さんは一度も、BRZを買うなんて言っていない。


今日はレガシィを見に行っただけだ。


BRZを見つけたのは自分。


これがいいと言ったのも自分。


運転席に座って、ハンドルを握って。


お父さんに笑われた。


それだけ。


急に、カタログが少し重くなった。


あんねはページをめくった。


座席の写真があった。


前に二つ。


後ろにも二つ。


「四人乗れるんだ」


お父さん。


お母さん。


自分。


弟。


ぴったり。


だったら大丈夫。


……たぶん。


あんねは写真に顔を近づけた。


「後ろ、狭くない?」


前の座席と後ろの座席の間が、ほとんどない。


ここに足を入れるのだろうか。


自分の膝を見る。


それから弟のことを考えた。


弟は自分より二つ下。


「まあ、あいつなら入るか」


自分は助手席。


弟は後ろ。


それでいい。


完璧だった。


問題が一つ解決した。


いや。


だから。


買うとは言っていない。


「…………」


あんねはカタログを閉じた。


寝よう。


ライトを消す。


布団に入る。


目を閉じる。


助手席に自分がいた。


隣でお父さんが運転している。


家の前から出て、いつもの道を走る。


窓の外を学校の友達が歩いている。


みんなが振り返る。


クラスの子がいたら、絶対見ると思う。


ちょっと見てほしい。


でも、見られるのは恥ずかしい。


少し手前で降ろしてもらおう。


いや。


せっかくなら校門まで――。


――あんね、それ誰の車?


――うちの。


そこで想像が止まった。


違う。


お父さんの車だ。


「……まあ、うちの車だし」


想像を再開した。


青いBRZが学校の前を走る。


格好いい。


でも学校まで送ってもらうのは、ちょっと恥ずかしい。


少し手前で降ろしてもらおう。


いや。


せっかくなら校門まで行った方が――。


「…………」


何を考えてるんだろう。


あんねは布団を頭までかぶった。


そもそも、まだ買ってもいない。


     * * *


数日後。


夕食が終わって、あんねが食器を台所へ運んでいると、


「今度の休み」


父が言った。


あんねは振り返った。


「またスバル行くぞ」


心臓が、一回だけ大きく鳴った。


でも、すぐには聞かなかった。


何を見に行くのか。


レガシィかもしれない。


たぶんレガシィだ。


だって、最初からそのつもりだった。


期待したらだめだ。


「……何見に行くの?」


できるだけ普通に聞いた。


父はテレビを見たまま答えた。


「BRZ」


「え」


母が先に声を出した。


あんねは何も言えなかった。


「この前の青いやつ?」


母が聞く。


「うん。もう一回ちゃんと見てくる」


もう一回。


BRZを。


あんねは台所へ向き直った。


口元が勝手に動きそうになったから。


「ふーん」


それだけ言った。


     *


「またスバル行くぞ」と言われた日の夜。


眠れない。


まただった。


右を向く。


左を向く。


時計を見る。


十時四十七分。


まだ早い。


目を閉じる。


青いBRZ。


「…………」


今度は、前よりひどかった。


また行く。


今度の日曜日。


あと何日?


あんねは布団から右手を出した。


月曜日。


火曜日。


水曜日。


木曜日。


金曜日。


土曜日。


日曜日。


長い。


ものすごく長い。


それより。


今度は何をするんだろう。


見るだけ?


また運転席に座っていいのかな。


お父さんは乗るのかな。


車を動かすのかな。


だったら自分も乗れる?


助手席?


絶対助手席。


弟は後ろ。


いや、弟も来るのかな。


来なくていい。


来たら助手席を取られるかもしれない。


いや、弟はBRZなんか興味ないから大丈夫。


でもお母さんが来たら?


「…………」


お母さんが助手席。


自分が後ろ。


あんねは眉を寄せた。


それは困る。


でも、お母さんに「後ろ乗って」とは言えない。


どうしよう。


そもそも試乗するなんて、お父さんは一言も言っていない。


また勝手に話を進めている。


あんねは布団の中で丸くなった。


買うのかな。


今度こそ、その言葉が浮かんだ。


お父さん。


BRZ、買うのかな。


聞けばいい。


明日の朝、


「BRZ買うの?」


と聞けばいい。


簡単だ。


でも。


「買わないよ」


と言われたら。


それは嫌だった。


まだ分からないままの方がいい。


あんねは目を閉じた。


青いBRZがいた。


今度はショールームじゃない。


家の前に停まっていた。


朝、玄関を開ける。


そこに青いBRZがある。


お父さんが鍵を持っている。


自分は助手席のドアを開ける。


弟は後ろ。


やっぱり狭いと言っている。


あんねは笑った。


暗い部屋で、本当に少しだけ笑った。


それから、ふと思った。


いつか。


お父さんじゃなくて。


自分が、あっちに座れたら。


運転席。


昼間に座った、あの場所。


でも免許は十八歳からだったはずだ。


自分は十二歳。


「あと六年……」


長い。


長すぎる。


日曜日までだって、こんなに長いのに。


六年なんて待てるわけがない。


あんねは枕に顔を埋めた。


それでも。


もう一度目を閉じると、


やっぱりそこには、


青い車がいた。

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