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「レディール・ファシズに行くんだね。私、応援するから」
そういって微笑んだアイルフィーダの心を、八年前、愚かな俺は何も知らずにいたんだ。
【八年前 オルロック・ファシズ】
あれはヤウに世界王になれと告げられて、数週間後だった。(第五章参照)
ローズハウスで暮す母が忽然といなくなった。
「すぐに人手を集めて探さないと!」
心が壊れた母は何かを探し求めて、警備の目をかいくぐり徘徊を繰り返す。今回も同じだと思って、部屋を出ようとした俺を、母の身の回りの世話をするガーネットが引き留めた。
「違うのです!あ、アイルフィーダ様はっ」
「え?」
これほどに取り乱したガーネットの姿を俺は初めて見た。
彼女が何処の誰なのか俺は知らない。
俺が物心つく前から、母に仕え、家族も友人もいる様子もなく、ずっと母と共にある女性。いつも寂しげな笑みを浮かべ、母が唯一その心を開く女性。俺にとっても母親のような存在。
そんなガーネットが俺の足にしがみつくようにして泣いている。そして、吐き出すように叫んだ。
「ケルヴィン様がっ連れて行って!ああ…アイルフィーダ様ぁあ」
その名前を聞いた瞬間、心臓が低く音をたてた。頭が真っ白になって、体が動かない。
そんな俺の金縛りを解いてくれたのは、この部屋に俺たちの他に、たった一人通ってくる少女。
「ガーネットさん?どうしたの?」
むせび泣くガーネットに目を丸くしながら、こちらを心配そうに伺うアイルフィーダ。
ここしばらく理由は分からないが、俺を避けて、この場所にも通うことがなかった彼女。しかし、先日の一件の事を、世界王になるか否かを相談したいと今日はここで会う約束をしていた。
思えばアイルフィーダと出会った印象は最悪だった。
他人に干渉されることが嫌いな俺は、やたらとなれなれしく接してきたアイルフィーダに対して当初、最低な態度をとり続けていた。しかし、何故だかアイルフィーダはめげずに俺に関わり続けた。
そうして気が付けば、少女に変装していることも、自分が次期世界王であることも知られている。
知られた事は突発的だったが、知られても危機感も抱かなければ、不快にも思わない。むしろ心強くさえ感じさせる不思議な少女。
身内以外にこれほど、自分を晒したことのない俺にとって、アイルフィーダは特殊な立ち位置に存在する。
それが果たしていいことなのか。悪いことなのか。今の俺には判断が付かない。だが、そんな彼女だからこそ、吐ける弱音が確かにあった。
だからだろうか?その顔を見た瞬間、俺は焦る感情のままにアイルフィーダに手を伸ばしてしまう。
「母さんがっ!」
アイルフィーダはもぬけの殻になっている部屋と、ただならぬ俺たちの様子に固唾をのんだ。
「いつもの脱走じゃない…そういえる根拠が何あるのね?」
こちらをまっすぐに見つめるアイルフィーダに、俺は言葉を詰まらせた。
母がここから消えた理由は、はっきりしている。そして、二度と帰ってこないことも…、だからこそ、ガーネットは泣き叫び、俺は呆然とするしかない。
「私にそれを教えられない?」
「……」
「力にもなれない?」
「え?」
「別に理由は説明しなくてもいい。だけど、フィリーのお母さんをここに連れ戻すために、私が何か手伝えることはない?」
「あ―――」
その言葉に俺は自分の愚かさを悟る。
母があの男に連れていかれた。その事実だけで母を諦めた。まだ、間に合うはずなのに。助けるという考えさえ放棄した。
だが、アイルフィーダの言葉に嘆くだけではなく、助けに行けばいいのだという希望が芽生える。
「———一手伝ってくれるのか?」
声は自分でも驚くくらい頼りない、震えた声だった。
その声にアイルフィーダは力強く頷いてくれる。
「当たり前でしょ。友達じゃない」
迷いのない彼女のその強さと優しさに、俺はいつだって救われる。
▼▼▼▼▼
母を連れ去ったのは―――ケルヴィン・ファシズ。
レディール・ファシズの世界王であり、オルロック・ファシズ議長であるという、ありえない二足の草鞋を履く男。
巫女であった母にとっては、形式的なパートナーであり、世間的には俺の父親となっている男。
しかし、世界王は神の魔導力により巫女が受胎することで誕生する存在だ。俺とケルヴィンには血縁関係はないし、ケルヴィンと母に男女の情というものはおそらく存在しないように思う。
何しろ物心ついた時には、母は心を病んでいたし、ケルヴィンには母とは違う妻と、その子供がいる。
俺は彼らの家族して現在ともに生活をしているが、それは家族ごっこをするためではなく、ケルヴィンが俺を監視するためだ。
ケルヴィンに母と俺に対する家族愛は存在しない。
それなのに、二十年以上前にレディール・ファシズからオルロック・ファシズに亡命した際、ケルヴィンは母を伴ったか?そこには反吐が出るような事実があるだけ。
『オルロック・ファシズへ亡命する条件だったんだよ。世界王だけではなく、神の魔導力を宿した状態の巫女とその腹の子供が―――実験体としてね』
オルロック・ファシズへの亡命は、母の意志ではなかった。
母はケルヴィンが亡命するための道具として、オルロック・ファシズに連れ去られたにすぎない。当時、既に俺を腹に宿していた母にとって、それはどれだけ辛いことだったのだろう。
ただでさえ、人ならず者を腹に宿し、信じていた世界王に裏切られ、故郷を捨てさせられ、実験体として扱われる。
母が心を病むのは当然だった。そして、その体も変調をきたした。
世界王は、巫女が神籠りの儀を経て初めて宿る。
それならば、俺が母の腹に宿ったのはオルロック・ファシズの亡命前ということになるだろう。
亡命は今から二十数年前。その時に宿った世界王である俺は、通常、二十数歳であるのが自然だ。だが、俺は母の腹から産まれ出でて十七年。
ちなみに世界王も、人と同じく通常母体から十か月で出産となる。
その事実から導き出される、数年の矛盾。その理由は簡単だ。
―――母は五年、俺を腹に宿し続けたのだ
それが母体による影響なのか、はたまた、俺という存在に理由があるのかは、未だにはっきりわかっていないらしい。
だが、誕生を拒み続けた俺たち母子を結局屈服させたのは、やはりケルヴィンという男だった。
あの男は、母に怪しげな実験を繰り返し続けさせ、そして、俺を誕生させた。そして、俺もまた母同様に実験漬けの幼少期を過ごすこととなる。
そんな俺たち母子にとって、屈辱的な記憶しかない場所。
「ここにフィリーのお母さんがいるの?」
アイルフィーダが表情を硬くして呟いた。
正方形の巨大な建物は、高い壁に囲まれて俺たちを威圧している。町はずれにあるこの建物は、軍事機密でもあり一般人が近寄ることもできはしない。
「オズ魔導研究所。母さんは、ここにいるはずだ。アイル、ここまで付き合ってくれてありがとう。君のおかげで勇気が出たよ。後は―――」
「ここまで来たら、最後まで付き合う」
この研究所を出て生活するようになって、まだ数年だ。
生まれた時から半分以上を過ごしてきたこの場所は、俺にとって庭のようなもの。警備の目をかいくぐって近くに来ることなど造作もないけど、内部に潜入するとなれば、俺一人ならどうとでもなるけど、アイルフィーダがいてはこの先は難しい。だけど、一人で心細いのも確かだった。
「だけど…」
それでもアイルフィーダに何かあっては、後悔してもしきれない。渋る俺に、何故だか自信に満ちたようにアイルフィーダが断言する。
「フィリーのお母さんを助ける手助けはできないかもしれないけど、フィリーの足手まといには絶対ならないから。早く行きましょう」
そういって俺より先に歩き出す彼女を追って、俺は母を助けるためにオズ魔導研究所へ向かったのである。




